第125話 良弦のいた部屋

「さてっ、と。グチっててもしょうがないな。零央くんが見たがってた物、見せたげる」


 戸惑いながらも返事をし、零央も立ち上がった。入った時とは別の、横にある引き戸を開けて小夜が廊下に出る。付き従った零央は冷たい空気が頬に触れるのを感じた。足元の木張りの廊下も冷たく感じる。話している間にも部屋の内部は随分と暖められていたようだった。右手へと向かった小夜はそのまま直進した。


「外から見た感じよりも大きな家ですね」


「そうだね。縦に長いんだよ。じっちゃんが資料置くのに便利なの探してたら、ここになったんだって」


 会話を交わしつつ、二人は微かに窓から光が入る廊下を進んだ。隣家が間近にあるため薄暗い。途中には一枚のドアがあり、押し開けた先はさらに廊下だった。続く廊下に移った二人は右側にあるドアの前で立ち止まった。廊下同士を分けたドアからさほど離れていない位置にあるそれは、ごくありふれた姿をしていた。ただし、他の部分と同様に改装してあるために建物の外観に比して新しい。両側は漆喰の壁だった。

 小夜がドアを押し開けた。鍵はかかっていない。昼間にもかかわらず内部は暗く、カーテンでもかかっているものと思われた。


「ごめんね。今、電気つけるから」


 手馴れた様子で小夜が壁に手をやった。瞬きと共に部屋が明るく様子を変える。小夜に続いて足を踏み入れた零央が最初に目にしたものは製図台だった。シンプルで無骨にも見える素朴な造りをした台の表面は色が変わり、使い込んだ形跡があった。


「じっちゃんがさ、資料が痛むって言って窓が無いんだよね、この部屋」


 小夜の説明を耳で受け止めながらも零央の意識には届いていなかった。視線を注ぐ製図台は零央の使用する物とは形が異なっていた。だが、強い関心を抱く存在である良弦もまた同じ発想をし、同じ考えの元に作業をしていた事実が零央の心を明るくしていた。


 二人の入った部屋はフローリングとなっており、製図台の前には椅子が置かれていた。素朴な木の椅子だ。背もたれもひじ休めも直線で構成され、他の素材は使われていない。角の丸み以外は曲線の見当たらない角ばった印象の椅子は元の持ち主の気質を映しているかのようだった。座席に置かれたクッションのパステルピンクが部屋の佇まいの中で妙に浮いて見える。ここだけ現在の持ち主の意向が顔を出していた。台の両側にはフラットなスペースが付属していて、右側には二本のペンと定規が無造作に置かれていた。たった今まで人がいたかのような気配を零央はふと感じた。

 製図台の左横には細長いダンボールのケースが収納ボックスの中に立てかけてある。一目でB1の方眼紙だと知れた。自身で使用している品と同じだった。周辺に置かれている物はそのぐらいで、零央が使っているようなパソコンの類は見当たらない。


 部屋の空気は冷たい。台の左側に置かれていたリモコンを取り上げて小夜が操作している。エアコンは別の場所にあるらしく、奥へ移動して覗き込むような体勢になっていた。小夜の姿を追っていた零央の目に映った物は大量の本だった。製図台は部屋の手前に寄せて設置してあり、部屋の奥側や反対の壁際、入口付近といった空いた場所には軒並み本棚が並んでいた。どれも詰まった本で隙間が見当たらない。小夜は零央を読書家と評したが、桁が違う。圧倒される量だった。本棚と天井との間には全て耐震ポールが挟まっている。やはり元の持ち主の性格を反映しているように零央には思えた。


 大量の本に眼を奪われている間に、小夜が近くまで戻ってきていた。部屋の奥にもう一度眼をやると、先程まで小夜がいた場所に人が通れるほどの隙間ができている。壁際の本棚に挟まれた場所から奥の部屋の様子が垣間見えた。部屋の中程にも本棚がある様子で、背表紙の並びが見える。向こう側の壁は中身の詰まった本棚で隠れていて見えない。おそらくは壁際にも本棚が並び、一部屋全てが本で埋まっているはずだった。夥しい数の蔵書であった。元々は別の部屋だった場所を繋げてあるらしく、間にある敷居や隅の柱に痕跡が残っていた。部屋同士が窮屈に繋がっているのは、奥の部屋で収容しきれなかった本がこちら側の部屋まで溢れたせいに違いなかった。

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