第116話 祖父の思い出の品
「すみません、小夜さん。ぼくが関係していました」
「え?」
「今のやつらは、無量兄さんの仲間です」
告白した零央の胸には苦いものが湧いていた。そうなのだ。相手も零央を知っていたのだ。だから、先刻、素顔が晒された時に男の眼に動揺が浮かんだのだ。正体を知られた事実が男の感情に揺らぎを生んだに違いなかった。
零央の思いに違い、小夜は明るい反応を示した。愉快そうですらあった。
「株で勝てないからって、力ずくかよっ!?」
短く笑い声を立てた。
「笑い事じゃありませんっ! ―っ痛!」
大きな声を出した零央は顔をしかめた。殴られた左の頬が痛んでいた。小夜が苦笑した。
「ほらほら。笑い事じゃないのはそっちなんじゃないの? えっと、何かないかな?」
言って、小夜はバッグの中をまさぐった。小夜の手元に視線を注いでいた零央は、バッグのショルダーベルトが切れているのに気づいた。
「…それ、さっきの騒動のせいですか?」
「ん? ああ、もみ合ってる間にやっちゃったみたいだね。こんなのはまあ、直せばいいさ」
「…でも、大事な物なんじゃ…」
零央は言い淀んだ。小夜が手にしているショルダーバッグはこれまでにも何度か眼にしていた。持ち歩く回数が多いので思い入れのある品なのだと感じていた。僅かに小夜が苦い笑い方をした。
「ま、大事っちゃ大事かな。じっちゃんからもらったもんだから」
バッグをまさぐりながらの何気ない一言は零央の胸を抉った。
「申し訳ありません! ぼくが―」
『新しい物を』と続けようとして、すんでの所で零央は言葉を止めた。不遜な申し出だと気づいたからだった。
探したからとて同じバッグがあるとは限らない。よしんば寸分違わぬバッグが見つかったとしても、小夜にとっては同じ物ではない。新品の傷一つ見当たらないバッグを手にしようと、そこには祖父からもらったという思い出は存在しない。金銭で償えるような話ではなかった。
「ごめん。役に立ちそうなモンが無いや」
「…いえ。構いません」
沈んだ声で零央は答えた。申し訳のなさで胸が重かった。同時に、兄に対する憤りを覚えてもいた。結果としてだが、無量は小夜の大事な思い出の品を踏みつけにしたのだ。
無量との出会いにおいての小夜の感想は正しかったのだ。小夜に対して小さな怒りをぶつけた自分こそが道化に思えた。
…今、この瞬間から、あの男を兄とは思うまい。
零央は心に決めていた。
小夜が苦笑した。
「暗いなあ。そんな気にしなくってもいいって。バッグなら直しゃいいんだよ」
「…直すって、ご自分でお直しになるんですか?」
「違うって。プロに頼むの。そういう業者さんがいるんだよ」
「そう…なんですか?」
生憎と零央にはそうしたサービスに対する知識がなかった。
「そうなの。だから、このことは忘れなさい」
言いながら、小夜は切れたベルトの端を指先に持って振った。
「…分かりました。ですが、この騒ぎについてはこのままうやむやにする訳にはいきません」
零央は考えていた。
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