第94話 頭を下げ合う二人

「それで、今後の対応なんだけど。ぼちぼち料率の要望が出てきてるの」


「そうでしょうね。―小夜さん、少しの間待っててくださいますか?」


「あ、うん」


 小夜に声をかけると、零央は朱音と共にブースの中に入った。

 朱音の言う料率とは、著作権者への還元の割合を示していた。サービスの開始当初は一律としており、現行も同一の状況だった。しかし、中古の書籍にも販売動向の差はあり、販売量の多い著者の中から還元を増やすよう要望が出始めていた。予測された事態だった。零央は朱音とブースの奥で討議し始めた。小夜は手持ち無沙汰な様子でブースの展示や資料を見ていた。

 そんな折、ブースを訪れた人物があった。その男性がサービスの利用を検討している著者の一人だったため、零央が応対して説明を始めた。利用者の数が節目を越えた気分の高揚は知らず説明への没頭を生んだ。気づかぬ内に相当な時間が経過していた。


 小夜の声が脇で聞こえた。


「話し中、ごめん。あたし、一人で見てくる」


「え?」


 零央が顔を向けた時には、小夜の姿はブースの外に消えていた。


「え? あ? ど―」


 説明途中の男性を前にしてうろたえる零央に朱音が声をかけた。


「追いかけなさいよ」


「はい! ―すみません、あとはこの者が」


 男性に声をかけ、零央は急いでブースを飛び出した。


「―まだまだね」


 背中から聞こえた、笑いを含んだ朱音の声を受け止める余裕は零央には無かった。小夜が向かったはずの方向を推測だけで駆け回り、ようやくのこと零央は小夜の後姿を見つけた。駆けながら名を呼んだ。

 呼びかけられた小夜は足を止めた。振り返りはしなかった。どう後を継いだものか

と零央が思っていると唐突に小夜が振り返った。


「ごめん!」


 深く頭を下げた。


「こちらこそ、すみませんでした!」


 合わせるようにして零央も大きく頭を下げた。ブースの合間にできた通り道で頭を下げ合う二人を道行く人が怪訝な顔で見ながら通り過ぎた。

 同時に頭を上げ、顔を見合わせた二人は笑い出した。


「おかしいね、あたしたち」


「ホントですね」


 小夜は指で目の下を擦り、零央は頭に手をやった。笑い合う二人の間に既にわだかまりは無かった。


「後は任せてきたので、一緒に見て回りましょう」


「うん」


 二人は並んで歩き出した。しばらく会場内を歩いた後で小夜が訊いた。


「さっき、千人とか言ってたのは何?」


「あれはですね―」


 事情を説明すると小夜が感心したように鼻を鳴らした。


「そうなんだ。凄いね」


「ありがとうございます。それより、放っておいてすみませんでした。悪気はなかったんです」


「いいって。あたしこそ、ごめん。怒れる立場なんかじゃないのに」


 …やっぱり、怒ったのか…。それは怒るよな、放っておかれたら。


 口には出さず、零央は静かに反省した。


「ま、何にしても実際に行動して結果が出せるってのはいいね。立派な才能だよ」


「才能…ですか?」


 訊くともなしに訊くと小夜は静かに頷いた。


「株だってそうじゃん? やって、結果が出せりゃいいんだ。そのこと自体が才能を証明してるのさ」


 才能…。


 小夜の言葉に反応して零央の思考は展開した。


 …僕にも、才能はあるのか。そうか!


 小さいながらも自信が芽生えていた。胸の奥の小さな光に意識を向けていると小夜が言った。

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