第三章 前引け

第74話 違和感

      

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 客間で小夜と向かい合った零央は不可思議な感情に捉われていた。怪訝な表情を浮かべているために眉間には浅く皺が寄っている。小夜と銘柄探訪へと出かけた次の週の日曜だった。小夜は相変わらずの制服姿で、零央はTシャツスタイル。居る場所は前回にも使用したミーティングデスクだ。今日も晴れているので日差しは強い。


「さすがは美加子さん。これ、絶品!」


 デザートの感想を小夜が口にし、零央は眉間の皺を深くした。小夜が手にするフォークの先にあるものがチーズケーキだったからだ。


 …よく、分からないな。


 疑念を零央は持て余していた。

 別にチーズケーキが悪いわけではない。定番のスイーツだ。美加子の手がけた品ならば小夜が言うように上出来に違いなかった。ささやかながらも引っかかりを感じているのは、素材にチョコレートが含まれていないことだった。小夜の好物が判明してから、美加子はチョコレートにこだわってデザートを提供していた。なのに、今日に限ってそれがない。零央が奇妙な思いをする理由だった。


 別にどうというわけでもないんだけれど…。違和感を感じるんだよな…。


「んーっ。このねっとりとした舌触りと甘みがたまんない」


 戸惑う零央の向かいでフォークを手にした小夜が身をよじっている。ふと零央は笑みを洩らした。


 …まあ、いいか。


 主賓である小夜が喜んでいる。ならば、自分はそれを素直に喜べばいい。零央はそう考えることにした。


 チョコレートにこだわらなくても美加子さんの作るものは美味しいわけだし。


 つかえが取れてしまえば、気持ちは楽になった。零央も美加子の作るチーズケーキは食した経験があった。甘みとチーズのコクが絡み合い、舌にまとわりつくような味わいは市販品を遥かに上回っていた。濃厚で、密な味だ。ただ、旨みを頭で理解しつつも零央は少し苦手だった。

 零央が内面でささやかな葛藤と組み合っていると小夜が言った。


「本題に入ろうか」


「はい?」


 唐突に声をかけられ、零央は気の抜けた返事をした。小夜が顔を曇らせた。


「『はい?』じゃないの。銘柄決めたのか、って訊いてんの」


 口を尖らせた小夜の声は不機嫌そうだった。見ると、いつの間にかチーズケーキもアイスコーヒーも無くなっている。小夜の細いお腹の中に全て収まってしまったようだった。


 …考え事をしてる間に、ティータイムは終わってしまっていたのか。


 零央の戸惑いを余所に小夜が迫った。


「で? 返答は?」


「もちろん、決めてあります」


 慌てて零央は答えた。嘘ではなかった。明確な方針に従って零央自身が選択した銘柄を準備していた。ただ、言い出すタイミングを掴み損ねただけだった。


「これです」


 零央は、デスクの上の資料の中からフィルムホルダーを取り出すと小夜に向けて置いた。透明なホルダーには一枚の紙片が挟んであった。経済新聞の切り抜きだった。


「株式欄だね」


「はい」


 明瞭な声で零央は返事をした。小夜の指摘通り、零央の示した紙片は新聞の株式欄を切り抜いたものだった。株式欄は日々の株価を掲載する証券面の前にあり、株だけでなく商品や為替の市況も解説してある。時折、同じ業種の二銘柄を取り上げ、株価の推移を対比した記事が載ることがあり、零央が取り出した記事はそれだった。

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