第55話 非合理
「ちなみに、今回のペイ・ラックの上げを小夜さんはどう見ますか?」
顔を上げた零央は手がけた銘柄について質問した。ペイ・ラックの上昇は零央が売った後も続き、現在も持ち続けていればさらなる利益となった計算だった。
「何が理由かって話? それとも、どう感じるかみたいなもっと曖昧な話?」
「両方お願いします」
「分かんない」
「?」
零央は怪訝な表情になった。
「えーと。それはどういう…」
「言葉通り。あたしにはそんな難しいことは分かんない。それにさ、あたしみたいに株で儲けようって人間にとっては上がった事実が大事なんであって、何で上がったのかなんてどうでもいいんだよ。どう感じるかも一緒。上がり方なんてどうでもよくて、上がった事実が大事」
口を開けた状態で零央は小夜を見つめた。
何てプラグマティックな…。
呆気に取られていた。言葉を失くしていると小夜がおかしそうに笑った。
「何て言ったんじゃ不親切だから、少しだけしゃべっとくとお」
急いで零央は書き取る姿勢になった。
「あ、でも、さっき言ったのは本音ね。正直、理由なんてどうでもいいんだよ。じっちゃんもそうだった」
零央は目で頷いた。
「まず、どうして上がったかについて言うとね、あんたの目論見通り、保有資産が見直されたんだろうね。で、上がり方が急だったもんだから野次馬が飛びついて過熱した、と。そんなとこ?」
零央は、小さく二度首を頷かせた。
「上がり方については確かにちょっと急過ぎるとは思うかな。あんたのことだから未練があるような気がするけど、早めに手放しといて正解だったと思うよ」
わずかに零央は表情を歪めた。ペイ・ラックへの関心の持ち方を見透かされていたからだった。
「あと、やっぱ思うのは、市場って行き過ぎるもんなんだなってことかな」
「行き過ぎる、ですか?」
「そ。上にも下にもね。上がる時はどうしてここまでってとこまで上がるしさ。反面、下がる時はとことん下がる。市場ってそういうとこがあるよ」
「…非合理、ですよね?」
「まあね。でも、それはしょうがないな。だって、市場は結局、人が作ってるんだもん。人って非合理じゃん?」
「…確かにそうですね」
零央は静かに首肯した。自分が手がけた取引を思い起こしていた。
ペイ・ラックを買った時は失敗したくないという思いが強くあった。そのために、まだ下値があったにもかかわらず買うのを手控えた。合理的に考えれば、もっと資金をつぎ込む選択をしてもいいはずだった。資金は余っており、ナンピンを手がけている時の株価の値下がりは歓迎すべきものだった。零央が候補として取り上げた段階でのPBRの数値0・16は、資産に対する株価の比率だ。分かりやすく表現すれば、本来の値打ちの16パーセントの価格で売られているということだった。大幅なディスカウントだ。そこでさらに下がるのなら、買うのが合理的な判断だった。だが、実際に零央が成した判断は逆だった。あの時もう少し買い増しを実施していたなら、同じタイミングで売っていても利益は増えている。株には、失敗が後の取引に影響する、そういう難しさがあった。
売りに関してもそうだ。売って気が楽になった今考えれば、売りの理由の一つである損失奪回という要素は株価とは何の関係もなかった。損が埋まったのはあくまでもこちら側の事情であり、市場での株価には何の影響も与えない。そのように考えて行動した零央の売りが売買の一部となって株価を形成し、推移に影響するだけだった。それでも、売却の判断をした瞬間にはそれらの理由にも説得力があった。零央もまた、非合理な生き物だからだ。控えめに評するなら、資産と株価との対比を考慮したところに多少合理性が見られたといったところではあった。
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