第53話 幸運の女神
「へえ」
一瞥した小夜が顔を上げて破顔した。表情にも声にも零央までが嬉しくなりそうな喜びの感情がこもっていた。
「やったじゃん。損失分、取り戻したね」
「はい」
零央の返事は自信に溢れていた。投資した五百万円余りの資金は五千万以上まで増えていた。約十倍だ。残っていた資金に足すと株式投資を始めた時点で持っていた金額を超える。
小夜が報告書に眼を戻した。
「今回はあんたの強欲がプラスに出たね」
「確かにそうですが、小夜さんの言うように千株ずつ買っていれば、もっと平均値を下げられたはずです」
小夜が視線だけ寄こした。
「それだと今回の場合、儲けを取り逃がしちゃうよ?」
「それでも、です」
零央は言葉に力を込めた。
今の零央は買い急いだ事実の方が気になっていた。そのために平均値を下げるという目的を十分に達成することができなかった。それに、今回は見通し通りに上がったから良かったものの、仮にそのまま低位で推移していれば資金を増やせることもなく苦い思いを味わっていたかもしれない。急激な上昇は行幸に過ぎなかった。
経過を冷静に振り返る一方で、零央は満足感に浸ってもいた。投資における失態は、中高一貫校に通い、大学受験もそつなくこなした零央にとって人生初の挫折と言ってよかった。母親を亡くした他は大きな失望を味わった経験もない。多大な損失という欠落を埋めた事実は大きな達成感として零央を包んでいた。想いは自然と口を動かした。
「それに、損失を取り戻せたのは小夜さんのおかげです」
小夜が小さく笑った。
「あたしは何にもしてないよ。あんたがあんたの金を使って自分で決めてやり遂げたんだからね。そうだろ?」
「確かにおっしゃる通りです。でも、小夜さんから教えていただいた知識がなければ、こうはうまくいきませんでした。その点は感謝すべきだと思います」
「ま、思うだけなら好きにするさ」
小夜が一度、首を横に傾げた。
「小夜さんは、ぼくの幸運の女神です」
真っ直ぐに見つめ、零央が言うと小夜が顔をしかめた。
「あんた、よくもそんな恥ずかしい台詞を面と向かって言えるもんだね」
「事実ですから」
「茶髪の女神なんているわけないだろ?」
小夜が顔をそむけながら、持ち上げた片手を手首で振った。
「いるかもしれませんよ?」
「いないって」
小夜が苦笑を大きくしてさらに手を振る。零央は微笑った。
「ぜひ、何かお礼をさせてください」
「いらない」
零央の期待に反し、返ってきたのは簡素で明確な拒絶の言葉だった。
「どうしてですか?」
零央の声は哀調を帯びた。
「あたしは、じっちゃんがした約束を代わりに果たしてるだけだから」
小夜の態度は頑なだった。
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