第41話 やり直し
「それで? 決算関連の資料は?」
「はい?」
意外そうな声を返すと小夜の顔が途端に不機嫌になった。
「調べてないの?」
緩慢に顔を上下させる零央に小夜は冷たく言い放った。
「やり直し」
「…別の銘柄を探すようにということでしょうか?」
「そうじゃないよ。そうじゃなくてさ、あんたがこの銘柄を選んだ理由は、会社の持つ資産が株価に反映されてないってことだろ? 別の言い方をすれば、市場では適正に評価されてないってことだよ。だったら、それが間違ってるのか正しいのか状況を把握しないと意味ないだろうがよ」
小夜が一度言葉を切った。険悪に細めた目で零央を見やる。零央は身を竦めたままだった。
一つ、小夜が息を吐いた。
「資産を把握しろって言ってもさ、別に会社に乗り込めとか、現地を見に行って実地調査までやれとかまでは言わないよ。たださ、数字になって出てきてる資料の検討ぐらいはしようよ。どこか妙な点がないか見とかないと投資なんてできないじゃん? 今はネットがあるから本決算でも短信でも、報告書なんかも簡単に見れるんだからさ、やるべきだよ。そのぐらいの手間は惜しむなよ。な?」
細く零央は返事をした。正直に言えば、手間を惜しんだのではなく思いつかなかったというのが正解だった。そうなると、なおのこと口に出せなかった。いずれにしても、企業データを調べなかったのは明確な間違いだった。却下された最初に選定した銘柄の時ですら詳細に資料を眺めている。今回は低PBRの銘柄を手がけるというアイデアと条件に当てはまる銘柄の探索に夢中になってしまい、基本を忘れていた。
「とにかく、これじゃあ話にならないから次までに調べといて。三日後に―水曜は美加子さん、休みだっけ。だいいち連休だし―んじゃ、次の日曜ね。時間はいつも通り」
「あ、あの―」
「? 何さ?」
「そんなに時間を空けてもいいんでしょうか? 調べている間に上がってしまったりするんじゃ…?」
「大丈夫だよ、多分」
「多分…ですか」
納得しきれていない様子の零央に小夜は明るく言った。
「そんなに焦らなくてもいいじゃないか。株はいつでも買えるよ」
「は、あ」
「まあ、いいや。気持ちは分からなくもない。せっかく見つけたチャンスだもんね。ケータイ教えといて。家であたしも様子見てヤバそうだったら予定変更するから。ついでにあたしのも教えとく」
電話番号のやり取りの後で小夜が訊いた。
「そういえば、この前途中経過とか言ってたけど、どうだった?」
「…ぼくがダントツで負けています。兄二人は儲けを吐き出してほぼトントン、といったところのようです」
沈んだ声で零央は言った。薄々分かっていたとはいえ、改めて劣位の立場を思い知らされていた。状況を父親の前で説明した時の兄たちの様子を明確に覚えている。明らかに優越の気配を感じた。一人ひとりを個別に呼んで聞くわけではない父親のやり方も一層気を滅入らせていた。
「だったら、余計焦らなくてもいいじゃん。負けて元々だろ?」
わずかに零央は顔を歪めた。小夜の言葉は、必ず勝ってもらうと宣言したこの前の言葉と矛盾している。中身は事実なので言い出せなかった。
「気楽に行こうぜ」
小夜のエールで会合は終わった。
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