第38話 初対面

 数磨が小夜に視線を移した。


「小夜さんですね?」


 小夜が名乗ってお辞儀をすると数磨も名を言って同様の仕草をした。


「お目にかかるのは初めてですね」


「初対面なんですか!?」


「そうだが?」


「…ええと」


 零央が言い淀んでいると数磨が笑った。


「不思議か? 電話で一度お話ししただけだが、技術を身につけておいでなのは分かったのでね、そのままお願いした」


 驚きを残した顔で見つめる零央に対し、言葉が続けて投げられた。


「小夜さんほどの方に教えていただけるチャンスなどそうそうないぞ。貪欲に吸収しろ」


 零央が返事をすると数磨が言った。


「お見送りしたら私の部屋まで来なさい。途中経過を聞く」


 数磨の言葉で零央は今日の予定を思い出していた。小夜との会合に夢中で忘れていた。


 そうか。それで一勢兄さんも家にいたのか。


 改めて一勢の所在に思い当たっていた。よく考えれば父親同様、兄も在宅するような時間ではない。

 零央の思考の流れには気づくことなく、数磨は小夜に向き直った。


「どうです? 零央はモノになりそうですか?」


 少し考え込むような仕草をしてから小夜は顔を上げた。


「正直、まだ分かりません」


「それは良かった」


「?」「?」


 笑顔の数磨に小夜も零央も揃って困惑していた。数磨は楽しそうに続けた。


「ダメなわけではないのでしょう? なら、まだ可能性はある」


 言われた小夜も笑みを形作った。


「おっしゃる通りです」


「率直な方だ、小夜さんは。りょうげんさんもそうだった」


 小夜を見つめる数磨の目には懐かしむような色があった。しばらく小夜と目を合わせていた数磨は深々と腰を折った。


「零央のこと、よろしくお願いします」


「あ、はい」


 立場を越えて示された礼節に戸惑い気味の小夜を残し、数磨は邸宅へと足を向けた。小夜は見送るように視線を送った。


「随分と丁寧な人だね、あんたのお父さんて」


「父は誰に対しても丁寧ですよ。ビジネスは人と人が向かい合う以上、まず関係を作らなくてはならない。そして、円滑な関係を作るにはある程度の丁寧さが必要だ、といつも言ってます。…無量兄さんはこの考え方は気に入らないみたいですけど」


「あたしは何となく理解できるな。口で言うだけじゃなく、実際にやってるとこもいいね」


「…そうですか。でも…」


「?」


「いえ。何でもないです」


 零央は先を促すと歩き出し、二人はいつものように門まで辿り着いた。外に出ると唐突に小夜が振り返った。


「あんた、この勝負、勝たないと承知しないからね」


「はい?」


「あんたの兄貴どものおかげで私情が二つんなっちまった。人を平気で見下すたわけも、女を欲望のはけ口ぐらいにしか思ってないたわけも、どっちも蹴散らかす」


 驚く零央が見つめる前で小夜が拳を握った。小夜は激しい性格の一方で、潔癖な性質らしかった。腰の位置にあった拳が零央の顔に突きつけられた。


「今、この瞬間からこれまで以上にビシバシやるから」


「は、はい…」


 気後れして零央がのけ反ると小夜は一転して明るい表情になった。


「じゃあね。見送りありがと」


 開いた手を振って小夜が駆け出した。


「あっ。今日は駅まで!」


「まあだ、そんな時間じゃないって!」


 慌てて門の外まで出た零央に小夜の元気な声が放られた。

 駆けていく小夜の後姿を零央は苦笑を浮かべて見送っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る