第28話 フォーナイン

「資金が残ってるってことはね、あんたはまだ市場に参加できるってことなんだ。ありがたいじゃないか。株で失敗して、破産する人間だっているんだよ? それを考えりゃ、あんたは紛れもなくラッキーだよ」


 言葉もなく零央が見つめていると小夜が続けた。


「いいかい? 株ってのはね、市場に参加できるだけの資金さえあれば、いくらでもやり直しが利くんだよ」


 優しい声音に表情が緩んだ。


「あんたは今、確かにどん底かもしれないけど、諦めなきゃいいんだよ。あんたさえ諦めなきゃ、残りの資金は必ず活きる。あたしは、そのために来たんだ」


「はい」


「それにね。売買の成否を決めるのは資金じゃないから。一度言ったね。投資可能な金額があるんなら、後は上手いか下手かだけだよ。多いか少ないかなんてどうでもいい話さ」


「だけど、選択肢は狭まりますよね」


「理屈だけは一丁前だね。そこはまあ、その通り。たとえそうでも、手がけられる銘柄を手がけりゃいいんだ。影響は軽微だから気にしない。さ、行くよ」


 小夜に促され、零央は先に立って歩き出した。

 客間を出ると、零央は左に曲がった。零央の部屋は客間から見ると対角線上の角にある。客間と隣り合ったリビングの前を通り、広々とした廊下を進んだ。途中、別棟と連絡した廊下の前を過ぎ、自室に辿り着くと小夜を招き入れた。


「お?」


 小夜の第一声だった。眼は壁一面を埋め尽くした本を見上げている。造り付けの書棚は床から天井までの高さがあり、部屋の両側を占領していた。どちらの書棚にも隙間無く本が並んでいる。それでも入り切らない本は寝かせて置いてある。小夜は交互に視線を行き来させた。


「子どもの頃に読んでいた本も残してて…」


 気恥ずかしそうに零央は言った。書棚は奥行きもあり、本は前後二列にして並べてある。前に並べた本に隠れて見えないが、絵本や子ども向けの本もいくつか残してあった。


「読書家なんだね」


 本の背を身を乗り出して眺める小夜の感想は好意的なものだった。


「執着心が強いだけです」


 苦笑しながら零央は言った。事実、自身ではそう思っていた。


「株関係の本も多いね」


「付け焼刃です。試験について告げられてから手当たり次第に読みました」


「役に立った?」


「用語や概要の把握ぐらいですかね」


「だろうね。こういう本の九十九・九九パーセントは実際の売買には役に立たないから」


「フォーナインですか…」


 力無く零央は言った。フォーナインはフォーナインでもありがたくないフォーナインだ。


「ま、でも、学ぼうって意欲は大事だよ。最低限の知識はないと困るしね」


「だけど、学んでも成果が出ないとどうにも…」


「そりゃそうだね。そのための投資だもん」


「どうすればいいんでしょう?」


 会話をしながら並ぶ背表紙を眺めていた小夜が零央に顔を向けた。


「やればいいんだよ」


「やる? 何をです?」


「投資に決まってるじゃん」


 二人の距離をしばらくの間、無言が占めた。

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