八十二話――なぜかハイソな地区へ


 引っ張られるままに従うシオンだが、正直はてな。もう用事は終わった筈なのに、なぜ市中引きまわしの刑が如く服の上からでも腕を逃すまいと引かれているのかイミフ。


 学校でもらった古書を突っ込んだ鞄を肩にかけ直したシオンはヒュリアの手をそれとなく振り払い、イミフ状態そのままについていく。すると、ヒュリアは電車の切符を買わせてから目的地を伏せたままに乗り込んだ。


 クィースとザラのふたりもヒュリアの目的を知っているっぽいが、シオンには曖昧に笑うばかりで教えてくれない。シオンがこっそりケツキックくれてやろうか、思っていると電車が停まり、ヒュリアが下車したので仕方なくついていくのに、シオンもおりる。


 が、ずいぶんと場違いなところに着いた。閑静でまさにハイソな御方が似合いそうな場所だった。高級志向というか、なんとなくシオンはここにいてはヤバい気がする。


 まあ、それを言えばクィースとザラもそうだ。この中で唯一違和感がない御令嬢はシオンの場違いだろ、な空気感を無視してさくさく奥の方へと歩いていく。


 奥はことさらに高級感ただよう一角になっている。そんな中でも一際目を引く建物があった。漆黒の木材を使って建てられた洋服屋。看板には「衣装ジルバーズ」の文字が黄金色に輝いている。これは、庶民が入っていい店ではない。うん、絶対に。


 なのに、ヒュリアはその店に向かって歩いていく。迷いない歩みで進む女は途中シオンに振り向いて「早く来て」とばかり視線で突き刺してきた。シオンが「げぇ」思ったのはどうしようもないが、いかねばあとが怖いので吐きそうになりつつも従って入店。


「これはヒュリアお嬢様、いつもご贔屓に」


「こんにちは、ジルバーズさん。早速で悪いのですが、こちらの方にあわせて中央校の外套ローブを採寸と色あわせもお願いできますか? あ、一応色見本があれば」


「申し訳ございません、ヒュリアお嬢様。只今色見本はクイックリドーの奥様が」


「ああ、またですか……。でも、それならジルバーズさんにお任せさせていただけま」


「……」


「……。ジルバーズさん?」


 店内でヒュリアを歓迎していた老人と思しき声の男とヒュリアの会話に、特にヒュリアの発した言葉に「うげげげっ」などと考えさせられるシオンだが、次には自身に突き刺さる視線に気づいてそちらを見た。とても印象的な好々爺、に見える老人がいた。


 白混じりの短い髪に紫水晶アメシストの瞳。若い頃はさぞかしおモテになられただろうひとがシオンを見て呆気に取られていた。まるで、なにかとてつもなくありえないものを見たかのように。ここに在りえない者を見ているかのように。ぽかん、としている。


 が、老人はヒュリアに続いての疑問を吐かせず、まるでとんでもない失礼をした、とばかりにシオンへ頭をさげ、ヒュリアに向き直った。……なんだ、このイミフ翁。とかシオンが思っていると、再び老人とヒュリアが話をはじめる。外套ローブがどうのこうのと。


「えと、ジルバーズさん? シオンのことなにかご存じなのですか? さっき……」


「ああ、いえ。ただ、あまりにもお美しいのでつい年甲斐もなく見惚れてしまいまして」


「……。そう、ですか。珍しいですね。ジルバーズさんってかなり異性の美醜にこだわりがあって美女程度では靡いてもくれないって話、結構有名ですのに。まあ、本人は無自覚で困りものの傾国の美女ですが、シオンは。ちょっとは自覚してほしいものです」


「さようですか。これほどの美貌、ご自覚がないとは少々性質が悪いものがありますな」


「ホントに。あ、それで、どうでしょう? 何色もきっと似合いますがやはりここは専門家であるジルバーズさんに色をあわせていただいた方がのちの後悔がないと思います」


「ふむ、やや重責を感じますが、やってみましょう。なにより、お祝いなのでしょう?」


「はい。無事受かったので私たちからのお祝いの気持ちと贈り物、ということで」


 老人とヒュリアの会話から、どうもそういうことらしい、とわかってシオンは照れ臭い心地だ。今まで妹以外から贈り物やお祝いなどもらったことがないので、余計に。


 だから、恥ずかしい。遠慮したいのはやまやまだがんなことしようものなら厚意を無下にする気なのね? とか言われてトドメを刺されるのはわかり切っている。


 なのでもう、どうとでもしてくれ。なーんて思ったシオンは採寸をおとなしく受け、色あわせ、というのがなにかわからねど、そこは彼に任せることにした。どうせ服にこだわりがないだけ無知だし。寒さが凌げればどうでもいい、なんて思っているもんで。


 ……ここまでくると女子力どころか人間としてもかなり危うい思考回路をしている。


 自分の仕事、役割を終えたシオンがふと、店内に飾られている服の値札を見てゾッとしてしまう。なぜたかがシャツ一枚に零が五つ以上ついている? と。


 金銭感覚が違いすぎる。こんな場所に出入りがあるヒュリアの財力が怖いシオンだが、以上にこんな場所での買い物をもらっても怖くて着られそうにないのだが……。


 汚したらどうしよ、などと先の心配をしているシオンを置き去り、もとい放置でヒュリアとジルバーズとかは話を詰めていく。色についてなにか話しているが、ヒュリアは満足そうにそれで、と発注をかけている。なんでも新発の色があり、それが絶対似合うと。


 当事者たるシオンを放置して話はどんどん進んでいき、老人は発注書を記入していくのにシオンと身分証で自己紹介を交わした。彼はジルバーズ・オーデリュ。ヒュリアから追加された説明によると創業四百年の老舗洋服店の現店主だそうだ。


 今のところ弟子はいないらしいが、そのうちぽっと出の洋服好きが跡を継いでくれるだろうと呑気が可愛いほど呑気に構えている、という。いや、それ呑気の問題と違う。


 シオンはしかし思っても口にせず、面倒臭いので仕上がり日を聞いて店をでていくヒュリアたちに続き、間際で振り返るとジルバーズ老は神々しき者を見るような目でシオンを見送っていた。シオンが振り向いていても変わらず、見つめ続ける。


 居心地悪くなったシオンの方が降参してもうひとつお願いの意をこめて頭をさげ、洋服店をでて、扉を閉めた。不思議な紫水晶アメシストの瞳にあるとある感情に心が乱されそうだった。愛。心からの愛情がそこで息をしているような気がした。気のせいの筈なのに。


 シオンを想ってくれるのは妹、ヒサメだけであり、それ以外にはないし、在ってはならない。他人の愛に応えることはヒサメからの無上限の愛に背くような気がしてしまう。


 堅い思考だと理解していてもどうしても考えてしまう。シオンはヒサメが誰に愛され、愛に応えようと平気。なのに、逆をするのは許せない。冒涜。そんなふうに思う。


 そんな自分が嫌いなのに、どうしても他人の愛は信じられない。信じれば堕ちる。地獄の底の底までも堕ちていく。いつかの日々に夢見ただけで堕ちてしまった、今のように。


 今のままでいい。このまま変わりなく平穏でありさえすればいい。誰の心にも残らず、留まらず、死ねと言われたならばその意向のままに死ねばいいだけのことだ。


 思考の放棄とも違う。ただ単純な諦めが故に。ニークウィニーサに言った通り。シオンは諦めている。この世界での命にさえ、もうすでに。誰よりも深く、深く絶望して……。


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