七十話――騒動後の騒動
「なんだ、見かけだけか。つまらん」
「……シオン、今、なに起こたアル?」
ちょっとだけ発音が怪しいナシェル語のフォナが問うが、シオンは別になんでもなさそうに、というか愚問だ、とばかりに簡単軽く説明してくれた。衝撃展開を。
「軽く殴っただけなのに吹っ飛んだ。なにか、アレはギャグかもしくは脆弱なだけか?」
「……ザラ、シオンの長身の陰でよく見えなかったけど、アレ、バウク先生、だよね?」
「待った。俺も今自分の脳味噌に、記憶に検索をかけているところだ。いや、あ、え?」
壊れている、こいつら。なーんてシオンが思っているとザラの腕の中で女性が瞼を振るわせているのが見えたので、思考に超忙しいザラから女性を預かり直し、壁に寄りかからせて座らせ、自分がなぜか覚えている医療用の呪で応急手当てをしていく。
痣を薄くして散らし、唇からの出血を軽く拭って痛み止めの呪をかけていく。そうこうしていると背後がにぎやかになった。一番に体育館に駆け込んできたのは先ほど会った保健室の住人シェトゥマ、と高等科二学年主任を任されているらしき女性教員。
なぜ、そんな情報がわかるか、というと彼女の首からさがる名札に全部書いてある。ぶらぶらしていて名前の綴りがよく見えないので見るのをやめ、シオンはシェトゥマに目配せした。その意、「手伝え」だ。……肝の太さもここまでくると感心する。
「これは、いったいなにが、誰がこんなひどいことをしたのですかっ!? こんな……」
こんな。それが示すものは体育館の中に全部揃っていた。痣まみれなのはまだいい方。中には手足がパンパンに腫れあがっている者もいる。骨折までいかないだろうが、あそこまでいくとかなり痛い。証拠に怪我した腕を庇っている青年は奥歯を噛み、耐えている。
耐えようとしているのだが、痛みに自然と涙が流れてならない。体育館にいる生徒と思しき者全員が大怪我を負っていた。女子たちは固まってこれ以上に殴られたりしないように自己防衛していたが、先ほどの轟音でぽかん、としてしまっている。
しかもシオンの説明が聞こえていたひとりが他の者に伝播し、驚きが感染。そして、まるで示しあわせたように体育館にいる人間全員がある一点を見つめた。
今もまだ小さく音を立てている場所。
体育館の入口の真正面にあたる箇所にぽっかり、というかもう、ものすっごい大穴が開いている。まるで隕石でも降ってきて直撃したかのような大きく、深い、というか分厚い穴。そしてさらにその先にある建物にまで穴が開いている。ひとひとり余裕で通れる穴。
そこまで考えてザラはちょっといやだったが、そろーっとシオンに耳打ちで訊ねる。
「な、おい。あの穴いったい」
「む? 先の阿呆が通った跡だが?」
……。ああ、なんて軽々しくおっそろしいことを、答を返してきやがる女性だ。いや、だからこそのシオンなのだけど。いつでも堂々としていてぶれない。ある意味、間違った意味でだけ超リスペクト。尊敬することしきりでもうごっつぁんです。
貶しているのか、尊敬しているのか今ひとつわからない。ザラ当人もわからない。ただ確実なこととしてこれで親友の企みはもう交渉方法だけ間違わなければ成功する。
ちょーっとだけ一か八かな要素が見えなくもないが、敢えて見なかったことにした。
うん。無視する。とザラが思っているとシェトゥマとシオンが二手にわかれて怪我人に処置を施していくところで、ヒュリアがとにかくわかる範囲で学年主任に説明していくところだった。見事に置いてけぼり。が、仲間はいるもので誰かさんも見事な間抜け面だ。
「時に」
「ひみゃあああああっ!?」
置いてけぼり仲間のクィースとザラがちょっと仲間に入れてもらえるまでの間で雑談をと思っていると突然、知った声が聞こえてきてクィースがちょい跳ぶほど驚いた。
かく言うザラもびびったのか胸を、心臓のある辺りを押さえて驚きによる心音の異常を聞かれないように努めるが、どうせ筒抜け。あの距離のこの場所の騒音を聞き取るくらいだ。こんな近距離で遮るものがなにもないのに聞き逃す筈がない。つまり、無駄。
わかっている。わかっているが人間無意識の行動をしてしまう時がある。なので、ザラも心臓の異常心拍を抑えるのに無意味努力してしまっている。いや、しかし……。
「お、驚かすなっ!」
「勝手に驚いただけであろ?」
「ふぐぅ……」
「で、先の野蛮人はなにか」
……。せめて「誰だ」と訊け。そう思ったのはけっしてザラひとりではない筈だ。
しかも野蛮人扱いのまんまでその印象を訂正する気がないのが簡単に知れる恐怖。
「バウク・ベイラーズ。武術科「基礎の組手」の講師で、お前が言う通りの野郎だ」
「……冗句か?」
「は?」
「あの程度でひとに教えを説こうなどと冗句としか思えぬ。筋重量もなにもかも足らぬしなにより教えを乞いに来た者に立場を利用しやりたい放題とは今時珍しい猟奇性だ」
「それを一切躊躇なく殴れるお前が怖い」
「腑抜け」
グサっ。と、妙に軽いのに痛そうな音がしてザラが心臓を胸の上から押さえる。それを見ているシオンはイミフ状態。が、それ以上に意味がまったくわかっていないのが二学年の主任教員だろう。困惑ここに極まったりな顔をしているので。うん、憐れ。
きっと先の轟音を聞いて飛んできたのだろうに、誰もきちんとした説明をしてくれないし、求められない。事情を知る者すべてが忙しそうだから。説明しているヒュリアもわけがわかっていないまま説明しているので困惑は二乗。事情がわかりそうなのは……。
なんとなくでも事情を知っているのはこの場で今応急看護にあたっているので呼ぶに呼べず。だからか学年主任はこの中で唯一落ち着いているシオンに助けを求めた。
「ルマリエ教頭から聞いています。ツキミヤさん、ですね? いったいこれはなんの」
「知るか。来てみたらアレが暴力沙汰を起こしていたのでひとつ灸を据えただけのこと」
「アレ?」
「おい、ドジ。アレの名はなんだ? どうでもよすぎるのでもう忘れて彼方だ」
「……。ええと、あのバウク先生が」
「バウク先生? え、ですが彼がどうして」
どうして、と言うあたり、彼女はそのバウクとかいうのが問題のある講師だと認識していないのは確実。まあ、ヒュリアの話からも察せる。いつも職員室から遠いところで授業をしていたというのならば。己の悪事を隠していたのだ。汚らわしいことに。
なので、シオンが灸を据えた、と言うのも、その表現を使ったのもわかるので、クィースたちもいつもなら言えない普段の授業がどのようなものだったかを説明していく。
シオンなど学校ももちろん授業などからっきしでイミフだったのでそれが異常だとか正常だとかはわからない。が、わからないなりにわかることもある。だって、生徒は弱いものだ。本来まだ親や社会の助けを必要とするこどもだ。なのに、あんな……。
ああも自尊心を傷つけ、心をへし折られてはもう抵抗すらできなくなってしまう。
そして、餌食にされ続けるのだ。それがシオンには許せなかった。常に弱き者の味方でいて、幼きに特別甘いというか弱いので。その弱者が同じ弱者といえ逆らえない者に蹂躙されるのは許し難い。極刑。死刑すら生ぬるい。……たかが死、一個などでは許せない。
シオンがカヌーから受けた究極の死刑でも足りない、と思えるほどにシオンの
シオンは固まっていた女子を治療してあとをシェトゥマに任せている。まあ、どちらともなく彼の方が救護は専門性を持っている。ただ、即死級の重傷にすら使えるシオンの呪は女の子たちから一早く痛みと恐怖を取り払った。そのことに涙するコもいる。
「そんな、暴行が日常化していたなんて」
「あ、あの、嘘じゃないですからっ!」
「ミンツァさん、この状況を見てどうして嘘だと言えましょうか? ですが、そう」
学年主任の声が驚きを隠しきれない様子で零すのにクィースがなんとかわかってもらおうとするも、あまり必要のない努力。彼女はきちんと状況を見て事情を把握した。
辛そうに顔を歪めている。生徒たちの苦痛は彼女が思っている以上だが、それでもその悲痛を理解しようとしている。シオンなどはどんなのがいい教師かわからないのでなんとも言えないが、理解しよう、と他人の痛みを考えようとしてくれるのは善き者。
シオンがそう在ろうとしているように。暴言はオプションと化しているが、それでも善き者で在ろうとしている。在りたいと切に願っている。だが、本人は叶わぬ望みと思い込む。悲しくも酷につかりすぎ、自らを悪であると思い詰めて思い込み、追い詰めて……。
「今日は早く帰りなさい。バウク先生には私たちの方で事情を一応聞いてみます」
一応、とつけた主任教員は生徒たちに、シェトゥマに治療された者から早く帰るようにと言って自分はこのことを上に報告する気でいるのか体育館を去っていった。
生徒たちはシオンをちらちら見ていたが結局つつくにつつけずで三々五々に去っていったが、シェトゥマが治療した最後のひとりとシェトゥマ当人がでていくなりどこぞの御令嬢が体育館の扉を閉めてシオンを超いい笑顔で見つめてきた。……なんだ、この悪寒。
なんて、シオンは思ったが、ひとまず世話になっている手前吹きっさらしの大穴から逃げようとかはせず、何事だ、とばかりにヒュリアを見た。ザラは事情を知っているのか神妙な顔。クィースとシオンは双方共にヒュリアイミフで置いてけぼりだ。
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