第27話 エデン署にて③

 それは遥か昔。北欧に伝わる神話を記したエッダ詩『フョルスヴィーズルの言葉』にその名を見ることが出来る。


《邪神により鍛えられ、死の扉の下より引き揚げられしもの。解放の伴侶と共に、九つの鍵にて封じられた棺の中に眠りしもの。世に終を刻む、害なす枝なり》


 この詩に語られる枝とは、木の枝ではなく〝剣〟を意味する。即ち、レーヴァテインとは『世界を滅ぼす魔剣』の意である。


 この魔剣の名を冠する組織こそ、世に狂気と混沌を布教する邪教集団であり、神代の悪魔を崇拝する狂信者の徒党。そして、紀元前よりアスガルド聖教が忌むべき宿敵としてきた諸悪の根源。


 その名を目にした途端、アシュリーの雰囲気がガラリと変わった。彼女は〝そうあるべき〟という教えの道を今日まで歩んできたからだ。


 アスガルド聖教の持つ唯一の戦力にして、正義執行の為の神の剣。アスガルド聖騎士団とは、彼らの一切を駆逐し、殲滅し、蹂躙し、その全てを根絶やしにするために設立された組織なのだ。そして、アシュリーが席を置いている獅子十字隊とは、聖騎士団の中でも邪教徒の用いる悪しき術に対抗し得る術を身に付けた精鋭たちで構成された特務部隊であり、平たく言えば〝対邪教徒専門の殺し屋集団〟である。穏やかな性格のアシュリーを瞬時に練達の戦士へと切り替えるには、その名を口にするだけで充分だった。


 アシュリーの雰囲気が急変したと同時に、署長室の気温が一気に下がる錯覚をサマセットとダリアは覚えた。外の気温は高いにも拘らず、背中を冷たい汗が伝う。だが、それは決してアシュリーのせいだけではないということをすぐに二人は知ることになる。


 自分でも無意識のうちに殺気を放つアシュリーが、傍に置いていた己の剣の柄を掴もうとしたその刹那、第三者の声が室内に響いた。


「しばらく風通しが良くなるが……悪く思わんでくれよ、署長」


 署長室の扉に数度走った光の筋と、金属特有の凛と響く高音。その直後にバラバラになった扉の破片が辺りに飛び散り、ゆっくりと背の高い痩せ型の男が煙草を咥えながら入室してきた。その男はこの暑い時期にも拘らず黒のロングコートを着ており、何よりも異様なのは腰に差した日本刀。


 この室内の惨状を演出したのは、紛れもなくそれを用いたためであると。そして室内の温度を下げていた殺気は、部屋の外からこの男が放っていたものも合わさっての事象であると雄弁に語っていた。


 ソファーに腰掛け、驚いた表情のまま固まっていた三人を見下ろしている男は、咥えていた煙草を口から放し、煙を深く吐き出すと悪びれることなくこう呟いた。


「……灰皿、あります?」

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