幕間置き場

「探空士と歯車の姫君」_「スカイノーツたち」

「箱舟」を巡る冒険から、数年後────


ヴィクトリア・シティの中層、探空士ギルドの飛空艇係留場には無数の飛空艇が係留していた。危険な空域を乗り越えて、まさしく命がけの仕事から帰ってきた彼らは、今回の冒険談と愚痴とを言いながら、その成果を報告するためギルドへと歩いていく。反面、ギルドから出てきた探空士たちは綺麗な身なりで、係留されている飛空艇へと乗り込んでいく。彼らはまさに、これから命がけの冒険へと出発するのだろう。その顔には、緊張とまだ見ぬ世界への期待とが混ざり合った表情が浮かんでいる。


様々な表情の探空士たちの中、一人の少年が飛空艇から伸びたタラップを危なげなく渡り、硬い大地を踏みしめていた。やや細身の体に、頭からはねじ曲がった大きな角と印象的な四角い瞳孔をもつその少年は、その手にいくつかの荷物を持ちながら船へと振り向く。


「それにしても変わったなぁ、コトン」


その少年に声をかけたのは、今まさに下船した飛空艇の船長マジェスタのものだ。彼は飛空艇の甲板から、コトンと声をかけたそのファーリィの少年を見下ろしていた。


「ボク、そんなにも変わりましたかね?」

「覚えてないのか? 初めて船に乗ろうとした時は、危うくタラップから転げ落ちてあわや雲海の霞となるところだったんだが」


船長はそういいながら、眼下のコトンをみてにやりと笑う。コトンは恥ずかしそうに顔を赤くし


「そんな前のこと、もう覚えてませんよ!」


と声を上げるが


「だったらちゃんと覚えておくことだね。次からは助けてやれないんだから」


と船長は悪びれる様子もなく言葉をつづける。


「新人ってのは、だいたいどこも変わらないものだよ。最初の航海の時なんて、はしゃぎすぎてタラップから落ちかけるか、船酔いして動けなくなるか、その両方だからね」


コトンはその言葉を聞き、自分は両方だったなぁと今更になって思いだし、さらに赤面した。


「……船長は、そのどれだったんですか?」

「さぁて、忘れたね」


ははは、とマジェスタ船長の声が空へと響く。むっとした表情でコトンが船長を見上げると、さらに高らかに笑うのだった。


「だけどまぁ……変わったのは事実さ。随分と成長した」

「ボク、そんなにも変わりましたかね?」

「俺は船員を中途半端に教育したりはしないさ。どこに出しても恥ずかしくない程度には経験を積ませたつもりだよ。それに、背も少し伸びただろう」


コトンはこくりと頷く。この数年間で多少は背も伸び、筋肉もついた……と思う。結局のところ、山羊のファーリィであるためか、劇的に成長することはなかったし、筋肉質になることもなかったが。


「なにより角と毛並みがよくなった。最初に拾った時は……今でこそ言えるが貧相だったからなぁ」

「ちょっ……!? 角と毛並みだけですか変わったのは!!」


コトンが抗議の声を上げると、マジェスタは甲板に腰かけ


「いや、飛空艇に関する知識の吸収はとても貪欲だった。特に修理の技術に関しては、もう一端の探空士といってもいいだろうさ。空の知識も、船の知識も。十分だ」


落ち着いた、真剣な船長の声に息が詰まる。



「立派なものさ、だからこそ許可したんだ。俺の船を降りることを」



「船ちょ……ッ!」


顔を上げ、コトンが甲板にいる船長を見上げた時には、すでに船長は艦内へと戻っていた。その姿は見えないが、かつかつと鋼鉄の床を歩く、いつもの聞きなれた音がこだましている。


まだ、まだ伝えたいことはたくさんあったのに。まだ、言わなきゃいけないことはたくさんあるのに。今そんなことを言われたら、何も言えなくなってしまうじゃないか。だから、ボクは……


「マジェスタ船長ーーーッ!!」


肺が張り裂けんばかりに息を吸い、自分が出せる最大の声量で彼の名を呼ぶ。


「お酒はッ、ほどほどにしてください!! 飲み過ぎた次の日は、ちゃんとお水を飲んでくださいッ!」


周囲の探空士たちがいったい何事かと、好奇の目でコトンを見つめる。だが、そんなものを気にせず、続けて声を張りあげる。


「船長の好きなッ、コーヒーの淹れ方はメモをしていつもの戸棚に入れていますッ!! メイデンにも伝えてありますッ!」


「機関室の12番バルブは、この間取り替えておきましたッ!! しばらくは大丈夫だと思いますけど、急減圧加圧は避けてくださいッ!!」


探空士たちは足を止めて、コトンの方を見つめている。その中には一人、狼のファーリィの姿もあった。


「スミレのいぬの餌はッ、取り寄せているものを上げてくださいッ!! ジェラルド卿の連絡先は、台帳に書いてありますッ!!」


「ラニーはきっと、すごくいい腕の探空士になりますッ! あ……兄弟子のボクがッ保証します!! 絶対です、きっとすごい船長になりますからッ!」


大きく息を吸い、静かに息を吐く。心を落ち着かせて、伝えたい言葉を紡ぐ。



「……ボクはっ、あなたの船を去ります。ずっと昔、友達としていた約束を果たすために。あの時、あなたに拾ってもらって受けた恩はっ……まだ、全然返せてないですけどっ」


ぽろぽろと、涙を零しながらコトンは続ける


「絶対に……この恩のことは忘れたりなんてしませんっ。今度はっ、ボクはっ……空の上で、あなたの恩に報います!!」


ぐしぐしと、流れる涙を袖で拭い、まっかに泣きはらした目でそう宣言する。拭っても拭っても、止まらない涙をそのままにマジェスタ船長へと言葉を届ける。一度口を開けば、伝えたい言葉が次から次へとあふれ出す。それを必死に言葉にしようと、コトンは慌てて言葉を紡ごうとする。


「あっ……その、あのっ……それで、ボクはっ」



「気を、つけてな」



ぽつりと、一瞬の静寂を貫くように船内から声が聞こえる。たった一言。だがその一言に、今なら幾つも意味が込められてるとわかる。


「……っ!! 今まで、お世話になりましたッ!!!」


船長の言葉を聞き、コトンは深々と頭を下げる。今できることはほとんど何もない。それでも、今までの想いをこめてコトンも別れの挨拶を告げるのだった。


もはや群衆となりつつある探空士たちの中から、一人の少年が現れる。狼の耳を風に揺らし、数年前よりも立派に成長した彼はコトンの後ろに立つ。


「……うん。行こうか、ハティ」


しばらくして、ぽつりとつぶやいたコトンは静かに顔を上げて、ハティと声をかけたその狼のファーリィの顔を見上げた。


「もう、いいのか?」

「うん。きっと船長には伝わってると思う……それに、多分だけどあの人は湿っぽいのは嫌うだろうから」



そうして、二人のファーリィは歩き始める。

過去に感謝を、未来に希望を抱いて。


未だ見ぬ、未知なる世界への冒険に瞳を輝かせて。

彼らは皆、遥か蒼き空の果てを知ろうとする者スカイノーツたちなのだから。



Fin


──────────

登場人物:コトン

     マジェスタ・ジャイロ

     ハティ

     探空士ギルドの皆さま



あとがき

ハティ成分を補おうとして、妄想をフル回転させた結果の生成物です。

コトンとハティは、幼少期に一緒に空の旅にでようと約束をしていたわけですが、その話を実現させたらどうなるのかなぁというIFの話です。あの箱舟を巡る冒険から数年間の間、技術を磨き資金を集め、払い下げの古い小型飛空艇を買えるようになった時、多分マジェスタの元から独り立ちするのではと思い書き上げてみました。

正直、コトンは船長の器ではないと思うので、マジェスタが前線を退いたとき、その船を誰に譲るかなと考えたらラニーだと思ったのですよね。そういう話が出てき始めたときに、初めて昔の約束のためにハティと一緒に空の旅に出てみようと思うのではないかと思いました。コトンは飛空艇で生み出した利益を元に、ゆくゆくは下層の孤児たちのための基金を設立して孤児院を作ろうとするでしょう。もしかしたら、基金の名前にマジェスタの名前を借りるかもしれません。本人はめちゃ嫌がりそうですが。そうして、成長していった子どもたちが国の基盤を支えたり、探空士として活躍し、孤児をなくすことで恩を返そうとしているのかもしれませんね。妄想楽しい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る