211.子どもたちの決意


 夜。

 そろそろ皆も眠りに就こうかという時間帯である。


 グロッザは自室で静かに本を読んでいた。料理と素材に関する本。勉強であった。

 文字を追う目は、ときおり天井を向く。どこか遠くを見つめ、我知らずため息をつく。


「このままじゃダメだよね。やっぱりさ」


 他に誰もいない部屋で、ぽつりとつぶやく。

 リベティーオの謝罪を受け入れた彼だが、心の重しはまだ残っていた。

 それでも前に進まなければ――と、今日も彼は本を開いている。


 そのとき。

 部屋の扉を遠慮がちにノックする音がした。


「グロッザ。起きてる?」

「ステイ?」


 驚いた彼が扉を開けると、そこには寝間着姿のステイが立っていた。


「入っていい?」

「いいよ」


 どこか思い詰めた様子のステイを見て、グロッザはうなずく。

 部屋の中央に、ぺたんとステイが座る。グロッザはお茶を淹れた。眠る前に飲んでいる、気持ちを落ち着けるための薬草茶。

 お茶を淹れる間、ステイはずっと黙っていた。

 向かい合ってグロッザが座ると、彼女は口を開く。


「ごめんね、グロッザ」

「どうしたのさ、いきなり」

「今日のことだよ。その、あたしが怒っちゃったから、空気を悪くしたんじゃないかって。余計なことをしたんじゃないかって。謝りたくて」

「気にしないでいいよ」


 グロッザは答え、カップに口をつけた。揺れるお茶の表面を見つめながら、言う。


あの子リベティーオの言うとおり、予選落ちくらいでいつまでも落ち込んではいられないしね」


 苦笑する。

 グロッザは気づいていない。

 本人はただ微笑んだだけのつもりでも、側で見ていたステイには、どこか無理しているように映っていたことに。

 まだ引きずっている――そう思ったステイは唇を噛んだ。


 意を決し、告げる。


「ねえ、家出しよ。あたしたち」


 グロッザが驚きの表情でステイを見る。彼女はまっすぐにグロッザを見つめ返した。


「リベティーオがいる間は、きっとグロッザは落ち着いていられないよ。今だってそう。だったらさ、いっそ環境を変えてみようよ。あたし、ヤだよ。グロッザが、リベティーオの言葉のせいで塞ぎ込んでるの」

「ステイ……」

「もちろん、ずっとじゃないよ。あの子がここにいる間、距離を取ろうって話。六星館を出て、そこで改めて頑張ってみようよ。そうすれば、きっとグロッザもまた元気になれるって」

「……」

「ね? だから家出しよ?」


 ステイは真剣だった。グロッザは揺れた。

 カップの中に入ったお茶を、じっと見つめる。ゆらゆらした水面に映っていたのは、自分で思っていたよりもずっと思い詰めた表情をしている自らの顔だった。


「そう、だね」


 ややあって、グロッザはつぶやいた。

 今の自分に必要なのは、新しい環境でのチャレンジかもしれない。

 ステイを見る。彼女は満面の笑みを返した。


 すると。

 突然、部屋の扉を開け、中に入ってくる人物がいた。


「話は聞かせてもらったわ」

「ティララ!? それに皆も!?」


 やってきたのはティララを先頭にしたエルピーダ孤児院の子どもたち。ナーグ、エーリ、ミティ。


「ど、どうしたの皆」

「どうしたのって、心配して見にきたに決まってるじゃない」


 ティララが腰に手を当てる。


「まったく、水くさいわね。私たち、エルピーダ孤児院の家族じゃないの。家を出て新しいことを始めようってんなら、私たちも一緒に手伝うわよ」


 彼女が言うと、エーリも続く。


「うん。手伝う。それにあたしも……あの子はちょっと苦手、だし」

「家出なんてワクワクするぜ!」


 乗り気で目を輝かせるのはナーグ。その隣では、ミティが涙目になっていた。


「お姉ちゃんたちと離ればなれはイヤ。ミティもいく!」

「皆……」


 グロッザは目を丸くし、それから表情を柔らかくした。そんな彼の背中を、ステイが嬉しそうに何度も叩く。


「よかったねグロッザ! これであたしら怖いものナシだよ!」

「ごほん」


 ティララの咳払い。感激しているステイを鋭い視線が貫いた。


「で? 六星館を出たとして、ステイには行く当てがあるの?」

「う!? そ、それはぁ」


 途端にしどろもどろになる。ステイは冷や汗を流しながら、愛嬌を込めて言った。


「フィーリングで何とか?」

「なるわけないでしょ」


 バッサリ斬り捨てられ、ステイは肩を落とした。

 そんな『姉』を見て、不敵にティララは笑った。


「こんなこともあろうかと、いくつかそれっぽいギルドに当たりを付けておいたわ」


 まさかあんな簡単に見つかるとは思ってなかったけど――と彼女はつぶやいたが、誰も聞こえていなかった。子どもたちはただ「お、おおっ……!」と驚くばかり。

 気を良くしたティララは胸を張る。


「よそのギルドに全員が住み込むわけにはいかないから、旧バルバの建物を拠点として使いましょう。そこから、めぼしいギルドに下働きに行くのよ。どう? この案」

「おおっ!」


 皆の称賛の視線がティララに集まる。ミティが「お姉ちゃんすごーい」と拍手する。

 ティララはまんざらでもなさそうだった。


 ――それから、エルピーダ孤児院の子どもたちは車座になって話し合った。


「そういえば、フィロエ姉とかはどうするの?」

「皆、体調を崩して辛そうだから、そっとしておきましょう」


 意見は、まとまった。

 ティララが言う。


「イスト先生はあの厄介なお嬢様の面倒で手一杯のはず。だから自分たちのことは自分たちで面倒を見る。これは自立への第一歩よ」


 円陣を組んで、手を重ねる。子どもたちは声を合わせた。


「エルピーダ孤児院、ファイトー!」

「おおーっ!」


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