208.彼女の怒り


 風呂から上がった俺たち。今度はグロッザの部屋へと向かう。

 悪意はなかったとはいえ、傷心のグロッザにきつい言葉をかけてしまったことを謝るためだ。

 浴室では素直な姿を見せてくれたので、きっと大丈夫だろうと思っていたが。


「……むぅ」

「ほら、どうした。ちゃんと謝るって話をしただろ」


 リオは俺の数歩後ろを歩きながら、小さく唸っている。

 グロッザの部屋へ行くことを明らかに渋っていた。

 俺は腰に手を当て、言う。


「謝るのが嫌って気持ちはわかる。だけどな、相手の気持ちを考えることも大事なんだ。グロッザはリオの言葉で傷付いた。その事実は、ちゃんと考えなきゃ駄目だ。そりゃあ、リオはこれまで誰かに謝った経験はないかもしれないが、だからこそ――」

「ちがうんですの」


 俺の言葉を遮り、リオは言った。

 彼女は視線を落ち着きなく左右に向けている。両手を組み、指先をいじる。まるで薄氷の上に足を置くような慎重さで、廊下を進む。

 さすがに不審に思って、たずねる。


「なにか、別の事情があるのか?」

「ちがうんですの。ただ」


 俺の隣までたどり着いたリオは、俺の指先を握った。亜麻色髪の少女の小さな手は、かすかに震えていた。


「ただ……怒っている人はにがて、ですの」


 それは確かに得意な人はいないだろう――そんな言葉を俺は飲み込んだ。


 手を繋いだまま、グロッザの部屋の前へたどり着く。


「いいかい?」


 小声でリオに問いかける。彼女は小さく、こくりとうなずいた。

 部屋の扉をノックする。

 すると、中からざわめきが聞こえた。グロッザだけではない。複数の人の気配がある。


「グロッザ、俺だよ。今、いいかい?」

「はい。ちょっと待ってください」


 ややあって、扉が開く。


 部屋の様子を見た俺は眉を上げた。

 グロッザだけでなく、エルピーダの子どもたちが揃っていたのだ。レーデリアとノディーテの姿もある。


 レーデリアがオロオロして、ノディーテがニコニコしているのはいつものこととして――。

 グロッザを含めた他の子たちは、皆、どこか浮かない表情をしていた。


 その中でも特にいつもと雰囲気が違ったのは、ステイだった。

 こちらを見上げる顔が、明らかに怒っている。ステイはすぐに視線を外したものの、何に怒っているかはだいたい想像がついた。


 俺はグロッザに目を向ける。キッチンで見かけたときよりもやや憔悴していた。よく見れば、目が少し赤い。泣いていたのだろうか。

 弱くなっていた彼の心に、リオの言葉はことほか鋭く刺さったのだろう。


「グロッザ。大丈夫か?」

「……」


 影のリーダーの少年は微笑んだ。ぎこちない、無理に作った笑顔だった。


 俺は言った。


「話はリオとギールトーさんから聞いた。グロッザにひどい言葉をかけてしまったって。だからリオには謝ってもらおうと思ってね。それで――」

「どこにいるの、その子」

「え?」


 振り返る。

 さっきまで手を繋いで横に立っていたはずのリオは、いつの間にか姿を消していた。


「リオ!? さっきまで一緒にいたのに。どうして」

「もう最ッ悪!」


 ステイが声を荒げた。溜まっていたものが爆発したように叫ぶ。


「なんなのアイツ! 信じらんない! グロッザにあんなひどいこと言ってさ!」


 ステイの怒りは収まりそうになかった。

 あの明るく、ともすれば人をからかいがちなステイがここまで激怒する姿を、俺は初めて見たように思う。

 興奮するステイに代わって、ティララが静かに言った。


「あの子、リオね。キッチンから出てきたグロッザに言ったの。『それくらいのことで落ち込むなんて理解できない』って。グロッザが、頑張ったけど予選を通過できなかったことを聞いてね」

「……そうか」


 それを聞いたグロッザが涙することも。ステイが怒り心頭になることも。

 よくわかる。


 ステイはグロッザと仲が良い。グロッザがこれまでどれほど努力をして、そして落選時にどれほど悔しい思いをしたか、よく見ていた。

 エルピーダの子どもたちの中では、一番の理解者と言ってもいい。

 だからこその――怒りだ。


 俺は内心で唇を噛んだ。


 なぜ。なぜだリオ。

 今、ここで謝らないと君は――。


 部屋の中の顔を見渡す。皆、程度の差はあれど困惑の表情を浮かべていた。リオと距離を置きたがっていることが伝わってきた。

 このままでは、駄目だ。


「グロッザ。ステイ」


 声をかけると、二人は俺を見上げた。その目を真正面から見つめ返し、言う。


「リオを探してくる。そして、きちんと謝らせる。リオの言葉は、頑張っているグロッザの努力や気持ちを踏みにじるものだ。謝らせるよ。だからその代わり、リオの謝罪をちゃんと見て欲しい」

「せんせー……」


 ステイが眉を下げる。少しだけ、怒りを収めてくれた。

 彼女たちのためにも、リオを今すぐ見つけないと。


 だが。とはいえ……。


 これまで色んな人がリオを捜し、見つけ出せずにいたことを考えると、すんなり見つかるかどうかは疑問だった。

 どうするか。


「ねえねえ、お兄」


 ノディーテが手を挙げた。おもむろに立ち上がり、俺の側にやってくる。

 そして、耳打ちした。


「リオちー、たぶんお兄の部屋にいるよ。そんな気がするんだ」


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