182.グリフォー・モニの願い
アガゴ・ディゴート事件から一週間――。
ノディーテを迎え入れたことによるドタバタもようやく落ち着いた。
俺は鉄馬車に乗ってギルド連合会支部へ向かっていた。御者台には俺、そして人の姿をしたレーデリア。
馬車の中にはミテラ、グリフォーさんもいる。事後処理を支部長と話すために集まったメンバーだ。
それから――。
「
「ありがとう、クルタスさ……いや、クルタス。でも大丈夫だ。もうすぐ到着するから」
「は」
軽く目を伏せてから馬車の中に下がる忠義の士。彼の姿が消えてから、俺は頬をかいた。
かつてアガゴに仕えていた凄腕の剣士クルタス――『さん』付けじゃなく呼び捨てにするよう彼から強く懇願された。いまだ慣れない――は、俺の護衛のために同行していた。
新しい刃『黎明』を片時も手放さず、まるで影のように付き従う。
エルピーダにやってきてからのクルタスは表情に充実感があった。アガゴの呪縛から心身ともに解き放たれた証だろう。
彼が彼らしくいられるなら、それでいい。後は俺が慣れればいいだけだ。
それに、ほぼ同年代の男性が側にいてくれるのは心強い。
ナーグやグロッザはまだ子どもだし、他のメンバーは皆女性だ。
頼れるところは、頼っていこう。
――連合会支部に到着する。
支部には事後処理報告の他にもうひとつ、大事な用事があった。
「レーデリア、行くぞ」
『はははははひぃ!』
……ガッチガチに緊張しているな。
相変わらず前髪で表情は見えにくいが、必要以上に伸ばした背筋に固まった肩、パルテ以上に噛みまくる口調が、彼女の精神状態を如実に表していた。
俺はレーデリアの肩を軽く叩く。
「そんなに構えなくていい。お前の冒険者タグを受け取る、支部にあいさつする。そのふたつだけ心がけよう。な?」
『すすす、すみませんマスター。頭では理解しているのですが、実際に顔を合わせるのはまだ怖ろしくて……わ、我のようなゴミ箱が支部長室に鎮座するなどおこがましいのでは……!? ゴミ箱は地下だ! と追い出されたり……!?』
「ないない」
一度は魔王を退け、ウィガールースを救った彼女。間違いなく英雄と呼んでいいと思うのだが、レーデリア自身はそう思わないらしい。
気持ちはわかるけどな。
――もうひとつの用事とは、レーデリアに
エルピーダには冒険者タグを交付する権限があるが、在庫がなければ意味がない。
おおっぴらに冒険者を募集するつもりがなかったためだ。
ミテラも言っていた。今、
何かにつけて用意周到な彼女が冒険者タグを事前準備していなかったのは、そういう思惑があったのだ。本当にミテラがいてくれて助かる。
連合会支部のフロアに入る。
最初こそ普段通り振る舞おうと頑張っていたレーデリアだったが、すぐに職員たちの視線に耐えきれなくなったらしく、高身長の身体を縮めて俺の背中に隠れてしまった。俺はミテラとふたり、レーデリアをなぐさめながら支部長室に向かった。
勝手知ったる何とやら。
シグード支部長は気安い様子で俺たちを迎えてくれた。顔色は良い。どうやら【夢見展望】による体調不良はなさそうだ。
まずレーデリアへ冒険者タグを交付してもらい、型どおりの挨拶をする。
支部長が言った。
「我々ウィガールースは、君を正式に受け入れよう。これからもよろしく頼むよ」
『は、はひぃ……!』
一仕事終えてホッとしたのか、彼女は部屋の隅に立ってまったりし始めた。まあ、お疲れ。レーデリア。
それから俺、ミテラ、グリフォーさん、そして支部長を交えて今回の件の報告と検証を行った。クルタスは「警備のため」と言って廊下に立つ。
魔王による襲撃。それも短期間に二度だ。
ウィガールースの防衛体制や住人たちの避難手順など、支部長からはだいぶ突っ込んだ意見を求められた。
最上位の冒険者として相応の役割を担って欲しい――シグード支部長の思いが伝わってくる。
俺だって、子どもたちが暮らすこの街を恐怖と混乱の渦中にしたくない。できることはやるつもりだった。
議論に熱が入る中、俺はふと、グリフォーさんの視線を感じた。
「何か、気になる点がありましたか?」
「いや。熱心に考えてくれて頼もしいと思っていたところだ」
どこか引っかかる言い方だった。
旧知の仲であるシグード支部長は何も言わない。
――日が傾きかけた頃、議論はお開きになる。
ちょうど良いタイミングで、クルタスが職員とともにお茶と軽食を持って部屋に入ってきた。
恭しく差し出されるカップを苦笑しながら受け取る。
香ばしい匂いの紅茶を口に付けたとき、グリフォーさんが言った。
「イスト。この場を借りて伝えたいことがある」
「はい?」
「ワシは冒険者を引退することにした」
一瞬、何を言われたか理解できなかった。
向かいに座るミテラも寝耳に水だったのか、目を丸くしたまま固まっている。
いつもと変わらないのはシグード支部長だけ。彼がカップを置く音で俺は我に返った。
「グリフォーさん……冒険者を辞めるって、本当ですか? あなたはまだまだ現役でいけると思うのですが」
「いや、ここらが限界だな」
机の上に並べられた菓子に手を伸ばしながら答えるグリフォーさん。その気軽さが、むしろ逆に彼の決意の固さを物語っていた。
「実は以前から考えていた。今回の魔王による襲撃、ワシは為す術もなく、気心の知れた仲間も喪った。あのときほど己の力の無さを痛感したことはない、それはワシの本心だ」
いくつか反論が浮かんだ。だが、それを口にするのははばかられた。
グリフォーさんは紅茶を一口飲み、考えを整理するように一息入れた後、俺に正対した。
「ワシは冒険者を引退する。そこでイスト、お前に頼みがある。ワシをエルピーダに入れてくれ」
「えっ!?」
「相談役でも雑用係でも、好きに使ってくれ。何なら、今の館をそのままお前に譲ってもいい」
俺はグリフォーさんから目を離せなかった。まるでフィロエたちが向けてくるような、まっすぐな視線。
「冒険者としてのワシはお前たちの足下にも及ばん。だから考えた。ワシの経験はお前を活かすために使うべきではないかとな」
「グリフォーさん……」
「これまでもお前に色々と助言してきたが……これが存外、悪くない心持ちだった。これからはお前の近くで、お前を支えることに注力したい。どうか聞き届けてくれないか、イスト」
グリフォーさんがエルピーダに。
正直、大ベテランのグリフォーさんを雇うなんて想像もしていなかった。
けれど――。
「迷う必要はないわよ、イスト君。私は賛成」
俺の内心を見透かし、ミテラが言った。
「むしろこちらからお願いしたいくらい。イスト君の周りはこれからもっと大変になるわ。経験、見識、人脈、それから経済力。いずれも兼ね備えた人材は喉から手が出るほど欲しい」
「星上。差し出がましいようですが、自分も賛成です」
クルタスが間に口を挟むのは非常に珍しいことだった。
「良き人材が集まるのは英傑たる証。何も恥じること、ためらうことはありません」
「クルタス……」
「星上。今更ご自身を卑下するのはお控えを。我が剣、『黎明』が泣きます」
真面目な顔をして軽口を叩く。俺は肩の力を抜いた。
グリフォーさんに、手を差し出す。
「よろしくお願いします。グリフォーさん。エルピーダ孤児院院長として、あなたを歓迎します」
「ふっ。やはりお前は『そうありたい』のだな。了解した」
大きな手が俺の手を包む。力強く、握った。
拍手が起こった。シグード支部長だ。
「ギルド連合会ウィガールース支部の長、シグード・ロニオが確かに見届けた。君たちの活躍、期待しているよ」
「任せろ、ボス――っと、今日からはイストがボスか?」
「イストのままでお願いします、グリフォーさん」
笑いが起こる。
こうして。
エルピーダは元熟練冒険者のグリフォーさんを迎えることになった。
新たな一歩が、このときからまた始まるのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます