178.思い上がった起死回生


「させません!」


 素早く反応したのはルマだった。

 溜め込んだ魔力を一気に解放する。

 魔王ディゴートの周囲で紫色の光の球体が生まれる。立て続けに五つ。

 途端に吹き付ける熱風、一瞬で湯気を上げる川面を見て知る。ただの光じゃない。極限まで熱と効果範囲を凝縮した火炎爆発の魔法だ。


「まだ、まだ!」


 連続して魔法発動。

 空気が冷めないうちに、今度は地面から巨大な氷柱が突き上げる。冷気が川面を駆け抜ける。

 灼熱と氷結の連続魔法。

 身体から立ち上る湯気が収まる間もなく、魔王ディゴートは氷に閉ざされた。


 すかさず、グリフォーさんが斬りかかっていく。

 ――が。


『はははははははッ!』


 哄笑を上げ、ディゴートが氷の檻を砕く。

 振り上げられるガントレット。

 グリフォーさんはこの動きを予見していた。しっかりと武器を掲げて受け止め、いなそうとする。


「……! いけません!」


 ルマが鋭く警告する。

 直後、魔王から膨れ上がる魔力。

 ガントレットから刃のように伸びた黒い靄が襲いかかった。


 ――グリフォーさんの体調が万全ならば、ルマの声にもしっかり反応できたかもしれない。

 だが、疲労と傷を抱えた熟練冒険者は、数瞬、反応が遅れる。

 見えてしまった。グリフォーさん、避け切れなかった……!

 彼は声を押し殺し、後退する。そこで腹を押さえ、片膝を突いた。


「グリフォーさん!」


 俺の声に反応した彼は、持っていた剣を魔王に投げつけた。

 その行動に――俺は息を呑む。全身が硬くなる。

 グリフォーさんが武器を投擲する――それは、もはや接近して剣を振るえない状態であることを示していた。

 悪あがき、と言ってもいい。俺は唇を噛みしめた。


 剣は、魔王の生身の腕を抉った。

 だが、魔王は。

 まだ笑い続けている。笑い続けながら剣を引き抜いた。血糊のついたそれを、川に放り投げる。赤熱した鉄が冷水に沈むような音が鳴った。


 そこへ、ルマの気合いの声が響く。彼女の魔力が夜空高く打ち上がる。

 漆黒の空を切り裂いて、大木の幹のような落雷が魔王ディゴートを襲った。

 暴力的な音が俺たちの鼓膜を容赦なくいたぶる。

 ルマは一気に決着を付けるため、数秒間、雷を降り注ぎ続けた。


『ははははははははッ!』


 魔王の哄笑。

 しかも、すぐ後ろから――!


 俺は瞬間的に思い出す。六星水晶の原石は、ひとつだけではなかった。


「パルテ危ない!」


 落雷の音に耐えながら白魔法をかけつづけていたパルテの頭を、ガントレットがつかんだ。

 まだ紫電が残る魔王の身体から、電撃がパルテに伝播する。


「ぐっ、あああああっ!?」

「パルテ!」


 ルマが再び魔法を放とうとする。だが、妹を盾にされ、攻撃を躊躇う。

 魔王ディゴートは、パルテを乱暴に解放した。姉に思い切り投げつけるという方法で。

 反射的に受け止めようとするルマ。勢いは激しく、ふたりはもつれ合いながら吹き飛ぶ。川面にしぶきがひとつ、ふたつと上がって――静まった。


 ルマが最初の魔法を放ってからここまで、一分と経っていない。


 俺は歯を食いしばり、上体を起こした。

 ギフテッド・スキルを放とうとして、奴の顔を見る。見てしまう。

 恍惚とした笑みを浮かべる魔王ディゴート。こんなときなのに、重なって見えてしまった。元の身体の持ち主であるノディーテの、あの驚くほど屈託のない笑みを。


 ふいに。

 魔王ディゴートがどこかを指差した。


『見よ、至聖勇者イスト・リロスよ』


 奴はそのまま動かない。

 俺は一度、二度、ためらい、そして魔王の指し示す方向を振り返った。


 ウィガールース上空。

 戦闘能力を失ったと思っていた大地の鯨、その塵が、集まって巨大な一枚の板状になっていた。

 何かが、その表面に映っている。


『あれには今、我らの様子が映し出されている』


 ……似たものを、かつて見た。

 俺は、黒と金の異世界でアガゴと対峙したときのことを思い出した。

 別の場所の出来事を鮮明に映し出す力だ。

 魔王が指差す先に浮かんでいるのは、アガゴのものとは比較にならない大きさだった。

 それこそ、ウィガールースのどこにいても見ることができるほどの――。


 まさか。


 大地の鯨を従えたのは……このためだったのか。

 自らの道具として、まさに文字通り、徹頭徹尾、全身すべてを、余すところなく、使い潰す所業。

 大精霊の尊厳を、徹底的に貶める暴挙――!


『歴戦の冒険者、類い希な魔法を使う少女たち。かの者たちが『どうなったか』を、あれはつぶさに映した』

「貴様……!」

『人々は正しく思い出しただろう。恐怖を。絶望を。混沌とした己の心を』


 視界の端に、光の結界を身にまとったレーデリアが少しずつ近づいてくるのが見えた。アヴリルのものらしき赤い光も一緒だ。

 しかし――まだ、遠い。


 魔王ディゴートは言った。


『勇者よ。お前が息絶える瞬間を素晴らしき人々に見せてやろうではないか。さすれば、歓喜と絆の力は一転して、至高の絶望と無比なる混沌へと昇華するだろう』


 笑みを、奴は崩さない。

 来るであろう瞬間が楽しみで、楽しみで。今という時間を一秒でも長く味わいたいと思っている者の目だった。


 ――よくわかったよ。

 貴様がアガゴを助け、ともに行動していた理由。

 アガゴの性根を煮詰めて、濃く凝縮したのが、貴様だ。魔王ディゴート!


 俺は息を吸った。吐いた。まだ、口の端から血は滴っている。だが少しは動く。身体も、頭も。


「ギフテッド・スキル」


 運命の雫が輝く感触。


「【天眼】――!」


 俺は起死回生を狙い、奴の本質を探るべく天のメッセージを求めた。

 魔王クドスを打ち破ったときと同じように、この悪しき存在を消し去る術を。

 ノディーテを解放する手立てを。


《対象者ノディーテを解放するためには、『リブート』が有効です》


 歯を食いしばる。笑みを顔に浮かべないためだ。

 まさに起死回生の転機。逆転のきっかけ。

 そう、思ったから。


 ――だが、それが思い上がりであることを、天のメッセージは残酷に報せてきた。 


 メッセージは続く。


《リブートの使用には、あなたの血が必要です。なお、対象者ノディーテの肉体損傷が一定水準を超えていた場合、リブートに耐えきれず対象の肉体は崩壊します》


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