175.反撃の叫び


 ノディーテの身体を乗っ取った魔王――ディゴート。

 混沌。それが奴の狙いか。


 見れば、レーデリアは強く動揺していた。

 顔色は真っ白に、全身は震え、いつものネガティブな叫びすら喉でつかえている様子だった。


 このまま崩れ去ってしまうのではないかと思った。初めて出会ったときと同じように、自ら身体にヒビを入れて――そう思った俺は、レーデリアの元に駆け寄った。

 勢いのまま強く抱きしめる。


「大丈夫だ」


 背中をさする。何度も「大丈夫」と声をかけ続けた。

 一瞬、レーデリアの震えが収まった。

 けれど。


『マスター。我はやはり、皆にとって怖ろしい存在なのでしょうか……?』


 つぶやくと、すぐにまた震え始めた。


 俺は歯ぎしりして、魔王ディゴートを振り返った。【絶対領域】で街の外縁に押し戻された奴は、密やかに笑い続けている。何の魔法か、笑声がはっきりと耳に届く。


「ふざけるな、ディゴートッ!」


 あらん限りの声を振り絞り、叫ぶ。


 魔王の笑い声は止まない。

 むしろ俺の怒りを楽しむように声の調子が高くなった。


 そのとき。

 ギルド連合会支部の前庭に数人の冒険者が駆けつけた。俺たちの壁になるように、魔王ディゴートと対峙する。

 彼らは魔王を見上げ、拳を突き上げた。指を立てる。

 それは、荒っぽい冒険者の間で共通のサイン――『地獄で食われろ』。


「クソくだらねえ挑発になんか乗るかよ、魔王! こっちには勇者サマが付いているんだ!」


 威勢良く叫ぶ。

 魔王ディゴートが笑いを止めた。


 次いで、声が聞こえてきた。街のあちこちからだ。

 店の軒先。道の真ん中。建物の窓際。身を乗り出した住人たちが、ひとり、またひとりと声を上げ始めたのだ。


「そうだ! 悪い魔王の言いなりになってたまるか。この街から出て行け!」

「レーデリアちゃんは俺たちの隣人だ。同胞だ! お前とは違うんだよ!」

「あんな可愛くて可愛い子を怯えさせて喜ぶなんて、最低!」


 俺も、レーデリアも、エルピーダの少女たちも、驚いて辺りを見回す。

 冒険者たちとウィガールースの人々の声はどんどん増え、大きく、強くなっていく。

 混沌どころか、むしろひとつにまとまっていく。


「たとえ魔王でも、レーデリアちゃんは我々の仲間だ!」


 俺は胸が熱くなった。気がつけば涙が目尻から溢れていた。


 そうか。

 そうだな。

 レーデリアがこれまで頑張ってきたこと。

 俺たちが必死に伝えてきたこと。

 それらをウィガールースの皆はちゃんと見てくれていたのだ。ちゃんと伝わっていたのだ。


『マスター』


 腕の中で、レーデリアはうつむいていた。震えている。

 だが、先ほどまでの絶望から来る震えとは違う。

 彼女の全身からあふれ出る『力』を俺は確かに感じた。


『我は……我は、ここにいてもいいのでしょうか……?』

「ああ。大丈夫だ」


 肩を強く握る。


「お前のことを、皆が認めてくれた。この声が証拠だ」

『うぅ……こんな、我のことを……皆が』

「俺はお前が誇らしい。だから自分を責めないでくれ、レーデリア。お前は、大丈夫だ!」

『マスター……! こんな……我のよう、な……』


 そこでレーデリアはぐっと唇を閉じた。

 ゴミ箱――と、そう口走ってしまいそうな気持ちを抑えたのだとわかった。


『勇気を、いただきました』


 顔を上げた彼女の瞳には、これまで見たことがないほど強い意志の輝きがあった。


『我は、マスターの、皆の声に応えたい。だから』


 レーデリアが魔王ディゴートを見上げる。


『我は、あの者と戦います。この手で皆の期待に応えます』


 彼女の力強い決意が届いたのか――。

 魔王ディゴートの放つ気配が明らかに変わった。嘲笑が消え、どこか苛立ったようなピリピリした空気が伝わってくる。

 レーデリアが俺の身体を優しく押した。


『マスター、我は必ずやあの魔王を撃退し、ウィガールースに平穏をもたらすとお約束します。ですから』


 レーデリアを薄く光が包む。身体の要所を護る漆黒の鎧が姿を現す。


『どうかマスターはグリフォーのところへ。彼の救助に向かって下さい』


 俺はレーデリアの瞳を見た。いつもはうつむき加減な彼女が、まっすぐに俺を見ている。

 こんなときだが――嬉しかった。彼女の成長が嬉しかった。


「わかった。任せる」


 俺はうなずいた。


「サンプル発動。ギフテッド・スキル【重力反抗】」


 戦う力を与えるため、いくつかのギフテッド・スキルをレーデリアに施した。


「俺の力、持っていけ。頼んだぞ」

『はい』


 力強くうなずくレーデリア。

 そのとき、フィロエとアルモアが進み出てきた。


「私もレーデリアちゃんと一緒に戦います」

「私も」

「お前たち……」


 フィロエが胸に手を当て、訴えかける。


「レーデリアちゃんのサポートは任せてください。私のギフテッド・スキルで、ウィガールースにも、レーデリアちゃんにも指一本触れさせません」

「あんな姿になっても、相手は大精霊。精霊術師として放っておけない」


 アルモアは魔王と大地の鯨を見上げた。


「私、あの魔王を絶対に許さない」


 それぞれ強い決意を見せるふたりの少女。俺は「頼む」と言った。

 彼女たちは可憐であるだけの少女ではない。

 もう立派な――使命感を持った冒険者であり、勇者なのだ。


 思う。

 今、俺は彼女たちの庇護者ではない。対等な仲間であり、同志だと。


『行きます』


 ギフテッド・スキルの力でふわりと浮き上がるレーデリア。フィロエとアルモアは、巨大化したアヴリルに乗って後を追う。

 ウィガールースの人々の声が、空へ飛び立つ彼女たちの背中を後押しする。頑張れ。負けるな。生きて帰ってこい。私たちも一緒よ――。


「あんな凜としたレーデリアの顔、初めて見たな……」


 無意識につぶやいた。


 すぐに気持ちを入れ替える。俺たちは俺たちのできることをしなければならない。

 この場に残ったルマ、パルテの双子姉妹に俺は言った。


「行こう、西へ。一刻も早く、グリフォーさんを助けよう」


 ふたりはうなずいた。

 ルマの【縮地】。パルテの【神位白魔法】。

 互いに協力すれば、グリフォーさんをより確実に救えるはずだ。


『我が名はレーデリア!』


 駆けだした俺の背中に、雄々しく綺麗な声が届く。

 アルモアの精霊魔法で拡散されたレーデリアの声だ。


『我は六星水晶をまとう稀代の英雄、イスト・リロスに付き従う者である! 我が主、そして我を支えてくれる者たちを貶める魔王ディゴートよ。今、この場で我が討ち滅ぼす!』


 視界の端に映った彼女は、手に巨大な槍を持っていた。

 空が闇夜に染まりつつある中、漆黒をまとったレーデリアの姿は不思議と、輝いて見えた。


『我らは混沌に染まらない! 染めさせない! ディゴート、覚悟!』


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る