174.見下ろす影、粘つくささやき


 ギルド連合会支部を出る。


 ――俺たちがやり遂げなければならないことは、ふたつ。

 グリフォーさんを救うこと。

 そして大地の鯨と魔王から、ウィガールースを救うこと。


 幸い、俺には頼もしい仲間がいる。【夢見展望】で得た情報もある。

 これ以上俺たちの街を、大事な人たちを奴らの好きにさせてたまるか。


「……!」


 変わり果てた大地の鯨は、いつの間にかウィガールースの外縁まで到達していた。想像よりも移動速度が速い。

 見るもむごたらしい大精霊の巨体が、街のどこからでも視認できる距離だ。

 あっという間のことで、住人たちは逃げる暇もなかっただろう。

 ギルド連合会支部の前庭広場に立っていても感じる。街を、人々の不安な気持ちが覆いつつある。


 ただ――最も心配していたパニックは起こっていない。

 仲間の冒険者たちがうまくなだめてくれているのか。

 それとも、かつての魔王クドス戦を経て、住人たちがたくましくなったのか。

 いずれにしても、本当に頼りになる。


 大地の鯨からは断続的に声が聞こえてくる。


「イスト、あなたならわかる?」


 アルモアが隣にやってきて、小声で言った。


「大地の鯨の声……ただの悲鳴じゃない。彼は訴えかけてる」

「ああ」


 俺はうなずいた。

 ギフテッド・スキル【命の心】で伝わってくる、大地の鯨の本当の訴え。


「逃げろ――そう警告しているんだ。俺にも聞こえるよ」


 もはや大精霊の面影はない。瞳に知性の光もない。

 だが――いや、だからこそ、唯一残された『声』で俺たちに伝えている。命をかけて己の心を伝えている。『逃げろ、人々』と。


 大地の鯨の、骨と化したひれの上に、人の姿があった。

 特徴的な赤い髪。遠目にわかる大きなガントレット。


「ノディーテ……」


 噛みしめるように、俺はつぶやく。

 抜け殻となった彼女の肉体に入り込んだ輩がいる。

 魔王ノディーテの肉体は、不安に怯えるウィガールースの人々をどこか満足そうに眺めていた。腕を組み、上から尊大に見下ろす立ち姿が、アガゴを彷彿とさせた。

 俺は胸を押さえた。本物のノディーテ、その魂からは、何も応えがない。


 魔王の少女が街を指差す。その指示に忠実に従い、少しずつ、大地の鯨が高度を下げてきた。

 大地の鯨を完全に掌握している。命令一つで、いますぐにでも街を押しつぶすことができるだろう。


「……あの子、嫌な笑い方」


 フィロエがぽつりとつぶやいた。

 魔王の少女がすっと手を前に掲げた。まるで騒ぐ聴衆に「静まれ」と言うように。

 そして、告げた。


『我は魔王ディゴート』


 ――声も、口調も。俺とレーデリアに手を貸してくれた彼女とはまったく違う。硬質で、およそ人間味が感じられない。聞いているだけでめまいがしそうだった。

 拡声の魔法を使っているのか、魔王の声ははっきりと耳に届いた。


 俺は口元を引き結ぶ。

 いくらパニックを起こしていないとはいえ、ウィガールースの人々の記憶には、まだ魔王クドスの悪夢が色濃く残っているはずだ。そこへこんな声をぶつけられたら、不安と恐怖が膨れあがってしまう。


 人をなぶるような、煽り。

 妙に納得した。確かに根がアガゴと一緒だ。

 ゴールデンキングのギルドマスターに力を与え、『種』を創り出したのはあいつ――魔王ディゴートだ。


 フィロエたちが武器を構え、魔力を高めていく。俺も呼吸を整え、ギフテッド・スキルを使うべく集中力を高める。

 このままでは住人たちの精神がもたない。事態が悪化する前に、まずは奴を郊外に押し戻さなければ。


『ウィガールースの民よ。剣を携える冒険者たちよ』


 ふいに。

 魔王が語りかけてきた。


『我が怖ろしいか。かつての惨状を乗り越えようとする強い意志と、今すぐ逃げ出したい本能の狭間で揺れている、素晴らしき人間たちよ。我が、怖ろしいか。魔王が、怖ろしいか』


 ……何を、言っている?

 予想外の言葉に、俺は眉をひそめた。

 エルピーダの少女たちも、武器を構えつつ困惑した表情をしている。


『我が知己であったアガゴの贈り物を、賢明かつ愚かにも受け取らなかった人々よ。我が直接お前たちに伝えよう』


 魔王ディゴートが笑みを深めた。


『聞け』


 俺はその瞬間、まずい、と思った。

 口調はそのまま。だが、降ってくる声に先ほどまでとは違う『力』を感じたのだ。

 即座に行動する。


「サンプル発動。ギフテッド・スキル【絶対領域】!」


 俺を中心に、広範囲の結界が展開していく。

 結界は、腐りかけた大地の鯨ごと魔王ディゴートを街の外へ押し返していく。その光景を見て、我に返ったように街のあちこちから住人たちの歓声が上がった。


 ――にもかかわらず。


『聞け、人々よ。魔王の恐怖を知る、素晴らしき人々よ』


 ディゴートは変わらぬ口調、変わらぬ表情で語りかける。


『お前たちの中にも、我と同じ魔王が潜んでいるぞ。エモニタ……今はレーデリアと名乗る、人ならざるモノ。それが魔王の名だ』


 一瞬、息が止まるかと思った。


 魔王ディゴートは。

 レーデリアのことを、知っている?


「エモニタ……って、今……。どういうこと……?」


 フィロエが呆然とつぶやく。

 それはエルピーダの少女たち――レーデリアを除く彼女らの、共通した疑問。


『思い出すのだ、人々よ』


 魔王ディゴートは語り続ける。魔力を込めた声が降ってくる。毒を含む雨のように。


『思い出せ、あのときの恐怖を。思い出せ、あのときの絶望を。お前たちのすぐ隣に、我と同じ魔王がいるぞ。怖ろしい、怖ろしい魔王がいるぞ』


 俺の、フィロエの、アルモアの、ルマの、パルテの、そして周囲にいたウィガールースの人々の視線が、黒髪の美しい女性に集中する。

 レーデリアは、顔面蒼白のまま震えていた。


『さあ』


 張り詰めた空気を堪能するように、魔王ディゴートは言った。錯覚する。耳元で、聞こえるか聞こえないかぎりぎりの声量で、粘つくようにささやかれたと、錯覚する。


『混沌せよ、人々』


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