173.ウィガールースに響く声


 アガゴが力を失ったのと同時に、異世界は緩やかに崩壊を始めた。

 気を失ったギルドマスターをクルタスさんが背負い、支部長室を出る。それは、アガゴに生きて償ってほしいという俺とクルタスさんの思いからだった。


「旦那!」

「イスト殿、クルタス殿!」


 階下では、仲間の冒険者たちが集まっていた。彼らはアガゴの姿に一瞬表情を険しくしたが、それだけだった。


「急ごう。この世界が崩れ始めている」


 仲間たちをうながし、建物を出た。

 走りながら空を見る。

 黒色と金色が混ざった空は、ゆっくりと明滅を繰り返していた。時折、澄んだ空が顔をのぞかせる。

 まるで元の世界とこの異世界が、二重写しになっているようだ。


 冒険者のひとりが言った。


「どうやら、この辛気くさい世界と元の世界が繋がっていたのはマジみたいですな。手遅れになっていれば、俺たちの故郷は本当に、アガゴの理想郷に変わってたってワケだ」


 仲間たちの視線を感じる。


「やっぱりあんたはすげえよ、イストの旦那」


 俺は首を横に振った。


「まだ終わってない」


 皆を引き連れ、路地を駆ける。あれほど溢れかえっていたモンスターは、今は影も形もない。

 無人と化したゴールデンキングの敷地まで戻る。

 地下研究施設に駆け込み、下り階段を走る。やがて見覚えのある地下ホールに出た俺たちは、今し方走ってきた階段がいつの間にか消えていることに気づいた。


 俺についてきてくれた仲間たちは、全員が無事だった。

 内心で安堵する。ひとつ、山を越えたのだ。


 待機組の冒険者たちも合流し、改めて、俺とエルピーダの少女たちを称えてくれる。だが、俺も、フィロエたちも表情は晴れなかった。

 アガゴの身柄を年配の冒険者に託す。彼は首を傾げた。


「旦那。どちらへ?」

「俺たちはギルド連合会支部へ行く。皆は引き続き、街周辺の警戒を頼む」


 レーデリアが鎧から鉄馬車の姿に戻る。俺とフィロエたちが飛び乗ると、レーデリアの鉄馬車は弾かれたように加速した。


 時刻はもうすぐ日没。

 元の世界は、仕事終わりの気だるさと活気が同居していた。

 今はまだ、いつものウィガールース。

 その中を、鉄馬車は疾駆する。


 やがて、ギルド連合会支部に到着する。レーデリアは再び人型の姿になり、俺たちとともに支部内に飛び込んだ。

 アガゴの捕縛作戦から時間が経っていないせいか、まだ職場に残っている職員たちが多かった。皆、ぴりりと張り詰めた顔をしている。

 受付嬢への声かけもそこそこに、支部長室へ急ぐ。


「シグードさん!」


 扉を開けるなり俺は叫んだ。

 側近の男性が驚いた表情で俺たちを見た。彼の傍ら、簡易寝台の上にシグードさんが横になっている。


 ――支部長は、目を覚ましていた。


「……イスト氏……」

「シグードさん。よかった、気がつかれたのですね。身体の調子は?」

「おかげさまで……なかなかに最悪だよ……」


 口元を引き上げるシグードさん。さすが、魔王襲撃を乗り越えた男はタフだ。


「イスト様、ゴールデンキングは。アガゴはどうされました?」


 側近が緊張した様子で尋ねてくる。俺はうなずいた。


「アガゴは捕縛しました。身柄は仲間の冒険者たちに預けています。もうしばらくすれば、ギルド連合会に到着するかと」

「そうですか! いや、それはよかった。さすがイスト様――」


 そこまで言って、側近の男性は口をつぐんだ。俺たちがまったく警戒を解いていないことに気づいたのだ。


「まだ……事態は終わっていないと?」


 側近の言葉に、俺は窓の外を見た。

 空に薄紫色が混ざってきた。ウィガールースに夜が近づいてきている。

 俺は尋ねた。


「グリフォーさんから、何か報告はありましたか?」

「は、はい。少し前、西の川沿いを監視すると精霊魔法で伝言が」

「西の川沿い……」


 俺たちはうなずきあった。


「すぐに出発します。おそらくこの部屋はもう大丈夫かと思いますが、警戒は怠らないで下さい」

「ど、どちらへ⁉ アガゴはもう捕縛したのでは」

「グリフォーさんを助けるんです」


 扉に向かう。

 そのとき。

 窓の外から、何かが聞こえてきた。

 俺と、アルモアだけが足を止める。同時に窓を振り返った。


「ああ……っ!」


 アルモアが自分の身体をかきいだく。それだけでは収まらず、俺の腕に強くしがみついた。

『何か』は――だんだんと大きくなっていく。

 これは、声だ。痛々しい、精霊の悲鳴……!


「近づいてくる……大地の鯨が!」


 全員の視線が窓の外に向く。

 俺は一番見晴らしのよい窓に取り付いた。目を凝らす。

 建物の間から、遠く、歪な姿が飛んでいるのが見えた。

 ゆっくりと、酩酊したように不安定に揺れながら――。

 骨と崩れた肉の塊となった大地の鯨が、近づいてくる。


 そのころには、ウィガールース中に声が響き渡るようになっていた。

 異変に気がついた住人たちの間で、ざわめきが起こる。

 路地に立つ仕事帰りの職人、ベランダから身を乗り出す子ども――。

 皆、薄暗闇の向こうから近づいてくる姿を不安そうに見つめていた。


 ふいに思い出す。ミウトさんの子どもたちが教えてくれた、「大きな鯨の夢」――。もしかしたら、子どもたちが『種』に苦しめられていた頃にはすでに、大地の鯨は敵に襲われていたのかもしれない。


「アガゴの次は、大精霊と魔王か」


 俺はつぶやき、窓から離れる。

 そのとき、側近の男性が「支部長!」と声を上げた。振り返ると、病床のシグードさんが上半身を起こしていた。

 まだ彼は憔悴している。

 癒やしの魔法を使おうと近づいたパルテを手で制し、シグード支部長は言った。


「イスト氏。そしてギルド・エルピーダの冒険者たちよ。ウィガールースのギルド連合会支部長、シグード・ロニオがここに宣言しよう」


 背筋を伸ばし、一言一言、力を込める。


「君たちのあらゆる行動を許可する。すべての責任は私が取ろう。君たちが最善と信じる方法で、どうかウィガールースを救って欲しい」

「支部長……」

「事は一刻を争う」


 俺はうなずいた。


「それと……イスト氏。君に伝えておきたいことがある。【夢見展望】で視えた内容だ」


 シグード支部長は言った。


「真の決着の場は西だ。そして――」


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