168.星上の勇者


 クルタスさんの身体が、一回り大きくなったような気がした。


 ――来る。


 時間の感覚が一気に引き延ばされる。

 不意に思った。死の間際はこんな感じなのかなと。


 避けられない。

 避ける必要もない。


 剣と一体化したクルタスさんが、渾身の一撃を放ってくる。

 俺の耳から一切の音が消えた。心臓の鼓動、関節の軋み音すらどこかへと飛んでしまう。


 何かに導かれるように。

 俺は左足を一歩、踏み込んだ。右手を押し込み、左手の中で槍を滑らせる。

 レーデリアの槍が最短、最速の距離を走る。


 穂先が目指すのは――。


「――ッ⁉」


 誰かの声が、金属音にかき消される。

 交錯した俺とクルタスさん。互いの武器を振るった後の、重く張り詰めた沈黙。


 俺はゆっくりと、純白の槍を下げた。

 手応えは、あった。


 二歩後ろにクルタスさんの気配を感じる。

 振り返る。

 クルタスさんの背中があった。長身で引き締まった身体。剣を振り下ろした姿勢のまま微動だにしない。


 彼の背中越しに、絶句したままの仲間たちの姿が見えた。口を大きく開け、呼吸を忘れてしまったかのように固まっている。俺の戦う姿を見慣れているエルピーダの少女たちも同様だった。

 何か、怖ろしいものを見たという表情だった。


 ――クルタスさんの信念を打ち破るには、ありったけを込めた一撃でないとダメだと感じていた。その一撃が周囲をおののかせたというのなら、甘んじて受け入れよう。


 俺は恐れられてもいい。

 クルタスさんに届きさえすれば――。


 ぐらり……とクルタスさんの身体が傾く。俺は小走りに近づき、彼を支えた。

 細身ながら、ずっしりと重い。鍛え抜いた人間の証だ。

 クルタスさんを支えた拍子に、彼を縛っていた茨がぼろぼろと崩れ落ちた。


「お見事です。イスト殿」


 小さく、クルタスさんが言った。彼は自らの手を見た。

 そこに握られていた剣――夕霧は、根元まで粉砕されていた。もはや残っているのは柄のみ。


「我が信念の証……こうなってしまっては、もはや言い逃れはできません。自分の完敗です」


 クルタスさんは遠い目で砕けた剣を見つめていた。


「重い……重い一撃でした」


 なにか、憑き物が落ちたような表情だった。ちらり、と俺を見る。


「しかし、心の臓ではなく刃の方を狙っていたとは。我が【剣真術】での一閃、まだまだ未熟だったということですね」

「俺の目的はあなたの命を奪うことじゃない。あなたを縛る信念を折ることです」

「なるほど。思い返せば、幾度もイスト殿から忠告を受けておりましたな。この結果、もありなん」


 クルタスさんは少し笑った。


「これで、ようやく――」


 その先は言葉にならないようだった。


 彼にとって、夕霧という武器は信念の象徴であると同時に、過去の呪縛そのものでもあった。

 忠義こそクルタス・ウスバがクルタス・ウスバたる所以ゆえん

 だが強固な忠義ゆえに、自らの考えとは真逆の主にも最後まで付き従う他なかった。

 自分の信念を貫けば貫くほど、信念が腐っていく。なんと皮肉で、悲痛なことか。


 俺はゆっくりとクルタスさんを座らせた。

 天のメッセージが降りてきたのは、そのときだった。



《発見しました。

 過去の呪縛を打ち破ったことにより、クルタス・ウスバに【覚醒鑑定】を使用することができます。

 ギフテッド・スキル【斬神】を解放可能です。

 対象の運命の雫に【覚醒鑑定】を実行してください》



 ――予感はあった。

 クルタスさんの前にひざまずく。断罪を待つ囚人のように静かに顔を伏せる彼に、俺は声をかけた。


「クルタスさん、顔を上げてください」

「はい」


 涼やかな目元が、俺の顔を見つめる。

 俺は彼の耳に手を伸ばした。


「ギフテッド・スキル【覚醒鑑定】」


 かちり、と何かがはまる音。クルタスさんがわずかに目を見開く。



《完了しました。ギフテッド・スキル【斬神】が解放されました。

 同時に【斬神】をサンプルによりコピーしました。

 一日につき、あと五回使用可能です》



「イスト殿。今の光は……」

「クルタスさんが、過去の呪縛から解き放たれた証です」


 聡明な彼は、俺の言葉の意味を瞬時に理解した。ほぼ柄だけになった夕霧を額に当てる。


「これで……自分の役目は終わったのですな……」

「いえ。終わりではありません」


 こちらを見上げるクルタスさん。俺は心の中でレーデリアに声をかけた。


 ――やるぞ。

 ――はい。マスターのお心のままに。


 俺は手にしたレーデリアの槍を掲げた。いくつものギフテッド・スキルを込めた純白の槍は、レーデリアの【雫の釜】の力により、その姿を変えていく。

 純白の輝きはそのままに、美しい片刃の剣へと。

 これは、クルタスさんのために創り上げた、世界でただ一振りの剣だ。


 ――相変わらず、良い仕事をしてくれた。ありがとうレーデリア。

 途端、狼狽えきった魔王の慌て声が脳裏に響く。俺は苦笑した。


 目を丸くしたままのクルタスさんに、新しい剣を手渡す。


「これを、クルタスさんに託します。これからは過去ではなく、未来に向かって剣を振るってください」

「これを……自分に?」


 クルタスさんは一度、両手で夕霧を握りしめ、そしてゆっくりとそれを地面に置いた。

 空いた手で、純白の剣を握る。

 その瞬間、剣と肉体がひとつになったように俺には見えた。

 刃の輝きに魅入っていたクルタスさんは、ふと、俺に言った。


「銘を。あなたに銘を付けて頂きたい。イスト殿」


 どこかすがるような口調だった。

 まるで命を投げ出すように。


 俺はクルタスさんのこれまでを、そしてこれからを想った。願いと希望を込めて、こう告げた。


「――『れいめい』。クルタスさんにとって、今日この瞬間が新しい夜明けとなるように」

「黎明……」


 クルタスさんは噛みしめるようにつぶやいた。

 俺は言った。


「どうか、これからは自由に生きてください」


 あなたを縛っていた鎖は、茨は、もうないのですから――と俺は心の中で付け加えた。誇り高く、忠義に篤い彼のことだ。簡単に割り切れるものではないとわかっている。

 けれど、俺の願いが少しでも通じたら。それで少しでも良い方向に生き方を変えてくれるなら。

 それだけで俺は嬉しい。


 クルタスさんはうつむいた。

 やはり、いきなり切り換えるのは難しいよなと俺は思った。


 ――が。

 落ち込んでいるように見えたのは俺の勘違いだった。


 クルタスさんはおもむろに新しい剣――黎明を捧げ持ち、ひざまずいたまま最敬礼をしたのだ。

 そして、一切の淀みなく告げた。


「クルタス・ウスバ。この黎明に誓います。イスト・リロス殿を新たな主とし、全身全霊をかけてお仕えすると。どうか、あなたのことを『せいじょう』と呼ぶことをお許しください」


 クルタスさんは顔を上げた。すべてのしがらみを断ち切った、清々しい表情だった。


「あなたは六星の頂点に立つべき、唯一無二の勇者です」


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