156.涙の懇願
――その後、折りを見てお暇しようと思っていた俺だが、ミウトさん一家、特に双子の子どもたちに引き留められ、結局、夕食までご馳走になってしまった。
この地域に住む人々にとって、食事の用意がいかに大変かはわかっている。俺は自分の分を双子にほとんど分け与えることにした。
その双子には、どうやらずいぶんと気に入られてしまったらしい。代わる代わる膝の上に乗ってきて、外の世界の話をせがまれた。俺はエルピーダの皆とくぐり抜けてきた依頼や冒険の話を、できるだけ噛み砕いて話した。
俺たちの様子を、ミウトさん夫妻は神妙な顔で見つめていた。
どれくらい時間が経っただろうか。
目を擦り始めた双子をベッドに寝かしつけてから、俺は改めて居間でミウトさん夫妻と向かい合った。
「今日は、本当にありがとうございます」
二人から頭を下げられる。本当に特別なことをした覚えがないので、俺は慌てた。
それから顔を上げたミウトさんは、表情を引き締めて尋ねてきた。
「イストさん。よろしければ教えて下さい。我が子には、まだ何か危険が迫っているのでしょうか」
それは確かに気になることだよなと思う。曲がりなりにもウィガールースで最高位の冒険者が、単身、家を尋ねてきて、我が子の様子を見せてくれと言ったのだ。しかも、ギフテッド・スキルまで使って何かを調べようとした。気にするなという方が無理な話だ。
俺は言葉を選びながら語った。
「実は、ここ最近ウィガールース全域で人体に被害をもたらす植物が確認されています。その中には、どうやら幼い子どもにも悪影響を及ぼすものもあるようです。私の身内でも、年少の子がひどく体調を崩しました」
「なんと……もうその子は快復したので?」
「ええ、何とか。仲間のおかげで。それで、その子の症状がミウトさんのお子さんとよく似ていたものですから。もしかしたら、見落としがあるかもしれないと思い、無理を言ってここまで伺いました」
見落とし? ――と夫妻が不安そうに尋ねてくる。俺は懐から種の入った小瓶を取り出した。
「これです。どうやらひび割れ、すでに効果を失っているようですが、私はこれこそがお子さんの体調不良の元凶だと見ています」
「なんですと!」
「子どもにあんな辛い思いをさせる種……断じて放置するわけにはいきません。ですが、これまで私が目にしてきた種は回収することが叶いませんでした。こうして欠片でも手に入れることが出来たことで、より真相に近づけると考えています」
「イストさんは……誰が、黒幕とお考えですか?」
ミウトさんの口調は、自分で答えを導き出している者のそれだった。
俺は目を閉じた。心の中でミテラに問いかける。こういうとき、彼女ならどう答えるだろうと。
「……今はまだ、断言できません」
夫妻の視線が刺さる。だが、予想に反して二人は失望した様子がなかった。俺は頭を下げた。
「申し訳ありません。ただ、あなたがたから得られた情報はとても貴重だと思っています。この度はご協力、ありがとうございます」
一秒、二秒、三秒――。
頭を下げている間、ミウトさん夫妻は沈黙を保っていた。どんな表情をしているかもわからない。
俺は立ち上がった。
「それでは、私はこの辺りで」
「お待ちください」
ミウトさんに呼び止められる。
振り返ると、夫妻は互いに視線を交わし、うなずき合っていた。それからミウトさんが席を立つと、棚から小箱を取り出す。この部屋には似つかわしくない、鍵付きの立派なものだ。
ミウトさんが胸元からペンダントを引き出す。先端に小さな鍵が付いていた。常に身につけているのだろう。
鍵で小箱を開けると、中から書類が出てきた。
一番上の一枚を抜き出し、テーブルの上に滑らせる。
一目見た瞬間、俺は息を呑んだ。元ギルド職員として、この書類が何なのか理解できたからだ。
「ギルド・アリャガの権利関係書です。これを、あなたに差し上げます」
「どうして」
「あなたのお話を聞いて確信しました。私のような凡夫よりも、あなたにギルドを運営してもらいたい。あなたであれば、仲間たちも、冒険者たちも喜んで付いてきてくれます」
「待ってくださいミウトさん。早まってはいけません」
「お話、しましたよね。私はどうしようもない凡夫だと。このままでは、近いうちにゴールデンキングに飲み込まれてしまう」
ミウトさんがうつむき、肩を震わせる。
隣の奥さんを見る。彼女もまた、瞳に涙を浮かべながらじっと俺を見つめていた。
「私も……この人と同じ気持ちです。あなたなら。イストさんなら、私たち一家を託せる」
彼女は立ち上がり、夫とともに頭を下げた。
「どうか……!」
俺は天井を仰いだ。
二人が並大抵の覚悟ではないことは十分、伝わってくる。本気も本気、なのだろう。
ならば、俺の方も真正面から応えるしかない。
「お断りします。この書類を受け取ることはできません。受け取るわけにはいかない」
権利関係書を突き返す。
「この書類には、そしてあのギルドには、あなたたちのこれまでが詰まっているはずだ。ましてや一度は挫折して、再び立ち上がったもの。他人に預けられるほど、軽いものではないはずです。……ミウトさん」
呼びかけると、彼は顔を上げた。俺は口元を緩めた。
「あなたはご自身を凡夫と言った。けど、自信がないのは私も同じです。いつも仲間に助けられている。仲間や家族がいなければ、ここまで来られなかった。それは断言できる。だからこそ、あなたの気持ちも、覚悟も、理解できるつもりです」
書類を彼の手に握らせる。
「挫折から立ち直った自分を、自分たちを信じましょう。俺は、自分と同じ気持ちを持った人が、目の前でその誇りを捨てる姿を見たくはありません」
「イストさん……」
「それに、何もギルドごと丸投げにしなくても、いくらでも対処法はあるはずですよ。力になります。これからも」
手を差し出す。
きっとこれまでも幾度となく悩んだことなのだろう。簡単に割り切れるとは思わない。だからミウトさんたちの気持ちが固まるまで、ずっと待つつもりだった。
ミウトさんは権利関係書を箱にしまい、しっかりと鍵をかけた。そして――夫妻揃って床に平伏した。
「ミ、ミウトさん⁉」
「イストさん! 無理は承知で、言わせて欲しい!」
顔を上げた彼は泣いていた。
「このウィガールース、全てのギルドのトップに立って欲しい! そのためなら自分たちは、いつでも喜んであなたの手足になる!」
次いで奥さんも顔を上げた。声を震わせ、訴える。
「もう……ゴールデンキングの横暴に怯えたくありません。もし子どもたちが苦しんだ原因が彼らにあるのなら、どうか、私たちの代わりに成敗してください! お願いします!」
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