138.地下水路の入口前にて


 感情が溢れたのか少し涙ぐんだミウトさんをなだめた後、俺たちは依頼をこなすためにギルド・アリャガの裏庭に出ることにした。小さな事務室を抜けた先である。

 ミウトさんの案内で裏口扉から出た途端、雑草の山に行く手を阻まれる。使わなくなった荷台の残骸や壊れた戸棚などが緑に埋もれていた。広さはさほどでもない。

 その中で、地下水路の扉に続く道だけが踏み固められていた。なかなか手が回らなくて、とミウトさんは頭を掻いている。


 裏庭を抜けて、地下水路の入口に至るまでの間には、細い路地が横たわっていた。家々の間を縫い、大きな街道に繋がっているようだ。


 地下水路の入口に近づくにつれ、ミウトさんの足取りが重くなっていく。ついには口元を押さえ、立ち止まってしまった。


「皆さんは……平気なのですか?」


 振り返った彼の顔色が優れない。まるで二日酔いのような表情だった。

 ……かく言う俺も、わずかだが気持ち悪さを感じ始めていた。確かに、何か臭う。完全な悪臭というわけではないが、何というか、嗅いでいると意識がふわりと遠のいていくような錯覚に陥る。キツイ酒の匂いに当てられた感じと言えばいいだろうか。


 エルピーダの少女たちを振り返ると、皆、眉根を寄せながら居心地悪そうにしていた。

 ふと、フィロエが覚束ない足取りで前に出てくる。すかさずアルモアが腕を取って引き留めた。


「こら。しっかりしなさいフィロエ」

「はっ……⁉ 私ってば、イストさんの匂いに当てられたわけじゃないのに、ついフラフラと」

「何でもかんでもイストに結びつけるんじゃないわよ。ほら、しゃきっと」


 アルモアが手を伸ばし、フィロエの頬を軽く張る。その様子が微笑ましくて、俺はいっとき気持ち悪さを忘れることができた。


 それにしても、確かにこれはただ事ではない。

 ここは住宅も近くに密集しているし、このまま臭いが拡散すれば少なからず被害が出るというミウトさんの懸念は理解できる。


「さて。どうするか」


【障壁】で防御しつつ踏み込むか。それとも様子見で【精霊操者】を使うか。あるいはいっそ、入口から【極位黒魔法】で焼き払うか。

 思案していると、袖を遠慮がちに引かれた。レーデリアの整った顔がすぐ近くにあった。


『あの、マスター。もしよければなんですが、我の力を使ってもよいですか……?』

「ふむ」


 確かに、俺たちが『営業』をしているそもそもの目的は、街の人たちにレーデリアが有用で無害なモンスターだと理解してもらうことだ。エルピーダの皆がこの不思議な臭いに不快感を持っている以上、レーデリアに動いてもらうのは理に適っている。


「わかった。だが、どう対応する?」

『そ、それはですね』


 ふとレーデリアが祈るように瞑目した。十秒、二十秒と時間が経過し、俺だけでなくフィロエたちやミウトさんまで首を傾げた。


「なあ、どうしたんだレーデリ――ッ⁉」

「きゃあっ⁉」「わわっ⁉」


 悲鳴。

 俺たち以外に誰もいない裏庭に、突然地響きと砂煙が上がったのだ。

 な、なんだ。

 レーデリアが目を開ける。土煙が上がった方を振り向く。


『これを、使います』


 視界が晴れる。

 そこにいたのは、体高二メートルほどの、鉄のゴーレムだった。レーデリアが魔王だったときに結界内で創り出した、あのゴーレムとよく似た形だ。

 そうか。聖魔王として生まれ変わった後も、ゴーレムを創り出す力は引き継がれていたんだ。

 確かにこれなら。


「イ、イストさん⁉ これ、何ですか⁉ 何だか凄く強そうなんですが!」

「これはレーデリアが創り出したゴーレムさ。前に俺も見たことがある」

「そうなの⁉」


 全員の視線がレーデリアに集中する。

 そのとき、裏口から冒険者の男が慌てた様子で飛び出してきた。


「大変だギルドマスター! イストサンの乗ってきた馬車がいきなり変身してどっかに――どわあっ⁉」


 鉄のゴーレムを目の前にした冒険者が驚きのあまり尻餅を付く。

 ちょっと待って。今、彼は何て言った?


「レーデリア。今の話は本当なのか? もしかしてこの鉄のゴーレムは」

『あ、はい。我らが乗ってきた荷馬車そのものです。本体は我なので。あ、安心してください。我が黒馬になったときと同じように、エルピーダ孤児院は変わらずゴーレムの中ですので……』


 俺の背中に隠れながらレーデリアがおずおずと報告してくる。

 目を丸くしたまま凍り付いたミウトさんに冒険者。どうやらこれ以上ないほどインパクトを与えたようだ。


「ねえちょっと」


 どことなく不機嫌なパルテが腰に手を当てた。


「ゴーレムが強そうなのはいいけどさ。どうやって入んのよ、あの小さい入口に」

『そそそ、そこはお任せ下さい。むむんっ』


 気合いの掛け声とともにぎゅっと丸くなるレーデリア。本体の仕草を真似るように、ゴツゴツした鉄のゴーレムが膝を抱えて座り込む。何か小さい頃に孤児院の皆とこういうのやってたな。団子の真似みたいな奴。

 直後、ゴーレムの身体はどんどんと縮み始めた。最終的に入口扉もくぐれるような大きさになる。


『わ、我のゴーレムが地下水路の様子を見てきますので……なので、その。えい』


 再び気合いを入れ、今度は俺の腕に抱きついてきた。なにゆえ?

 あーっ、と騒ぐフィロエたち。いつものようになだめようと口を開きかけたとき、俺の視界に別の映像が割り込んできた。思わず目を押さえる。手で視界を遮っても、奇妙な映像は見えたままだった。


「こ、これは」

『一時的に、マスターの視界に、我のゴーレムから見えているものを共有させました。我はマスターと主従関係を結んでおりますので……。こ、これでゴーレムが見た様子をマスターも見ることができますよ』

「おお……。いや、本当に凄いぞレーデリア」

『そそそそんな我などというゴミ箱に凄いという言葉など投棄しては勿体ないです……! ぜひ回収を……!』


 相変わらずのネガティブ発言。


 ただ。

 以前と違うのはレーデリアが人間と変わらない肉体を得たということで。

 全身がこれ肉感の塊のような身体を、ぎゅうううっと擬音が聞こえてきそうなほど強く強く押しつけるものだから。


「よし行こう」


 別の緊急事態が起こる前に、俺はレーデリアを促してゴーレムを向かわせた。


 後ろからの視線が痛かった。


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