108.転移陣


 クルタスさんは、円形部屋の奥にある扉に向かう。

 そしてかたわらに設置された戸棚から、布の塊を取り出した。身体に羽織るタイプの防寒着だ。

 俺はもしやと思って尋ねた。


「クルタスさん、防寒対策はそれだけですか?」

「ええ。これが自分に支給されたもので」

「では、その外套には防寒の魔法が施されているのですね」

「いいえ。これは上等な、ただの布です」


 俺は絶句した。

【ゴールデンキング】の装備を見れば、これから行く先がどのくらい厳しい環境か想像が付く。

 俺たちの装備も褒められたものではないが、クルタスさんのそれは、もはや「凍死しろ」と言っているようなものではないか?


 フィロエが場を和ませるように言う。


「きっと、クルタスさんには寒さを跳ね返すようなすごいスキルがあるんですよね?」

「身体の使い方、それから呼吸を工夫すれば、ある程度はしのげます」

「……じゃ、じゃあ。意外とケラコルって寒くなかったり……?」


 クルタスさんは答えなかった。ちょっと。その沈黙は止めてください。


「クルタスさんはここに残られた方がよいのでは」

「いえ。自分の役目は、『転移』のポイントを護ること。そう言いつかっています」


 だからって、これはあんまりだ。

 クルタスさんが扉を開ける。俺は後ろの少女たちにそっと声をかけた。


「フィロエ。アルモア。ルマ。パルテ。いざとなったら、俺たちのギフテッド・スキルでクルタスさんを護る。指示は俺が出す。どんな状況にも対応できるよう、心の準備を」

「はい」


 皆も同じ気持ちだったようだ。迷いのない返事がくる。


 クルタスさんに続き、扉の奥の部屋へと移動する。

 そこには――。


「うわぁ……!」


 フィロエが感嘆の声を上げた。

 石造りの質素な空間に、青白い光が充満している。光源は床――直径五メートルはある巨大な魔法陣だ。

 先に入っていたはずの【ゴールデンキング】のメンバーがいない。

 ということは。


「転移陣。人の足では容易にたどり着けない場所をも一瞬で繋ぐ魔法装置です」

「まさか、これほどのモノが」


 俺は腐ってもギルド職員だった。この転移陣が凄まじく希少価値の高いものだと理解できる。

 アガゴが吐いたのはたいげんそうではなかった。


 だからこそヤバイ。もし、この転移陣の存在をギルド連合会にとくしていたとしたら――。


「これ、ギルド連合会にバレたらやばいんじゃないの?」


 俺の懸念をアルモアが言葉にする。

 クルタスさんは瞑目した。しばらく口を閉ざす。


「……ギルドマスター殿は、この転移陣を隠し通すつもりはないのでしょう。現に、皆さんを招き入れた。この存在を公にするとき――それはおそらく、【ゴールデンキング】の威光をギルド連合会に見せつけるときです」

「……? どういうこと?」


 眉をひそめるアルモア。俺もしかめ面になる。


 つまり、いざというとき自分の力を誇示するために使うつもりなのだ。

 飾らずに言えば、ギルド連合会と喧嘩したとき「俺たちはこんな力を持っているぞ」と脅すためである。


 アガゴは、おそらく俺たちが転移陣のことを口外しないと踏んでいる。

 仮に告げ口すれば、ギルド連合会――ひいてはシグード支部長に決断を迫ることになるからだ。


 揉め事を避けて見逃すか。

 ウィガールース五指に入るギルドと事を構えるか。


 アガゴにとってはどちらでもよいのだろう。そして、俺たちがシグードさんに配慮するだろうことも見込んでいる。


「くそっ」


 無意識のうちに悪態をついていた。アルモアがしょげた顔で「ごめん。考えが足りなかった」と謝るので、俺は彼女の頭を撫でた。


「……ルマ? パルテ?」


 フィロエが双子姉妹のところへ行く。

 よく見ると、二人とも顔を青くして口元を押さえていた。俺も駆け寄る。


「大丈夫か」

「はい……」

「平気……アレを見て、ちょっと気分が悪くなっただけ」


 転移陣を指差す。

 俺とフィロエ、アルモアは顔を見合わせた。少なくとも俺たちには、不吉な気配は感じられない。


「休むか?」

「いえ。大丈夫です。ご心配おかけしました。行きましょう」


 ルマが答え、パルテもうなずく。そのころには顔色も呼吸も戻ってきていた。

 クルタスさんが転移陣の中心に立つ。


「皆さん、こちらへ。自分が転移を起動させます。霊峰ケラコルに到着したら、すぐに避難場所にご案内いたします。そこなら、多少は寒さをしのげます」


 俺たちはクルタスさんの周りに集まった。

 秀麗な剣士は懐から紙と魔石を取り出すと、呪文とともに転移陣を起動させた。

 青白い光が一際強くなる。

 フッと身体が宙に浮く感覚。

 二秒とかからず、景色が一変した。


 陰気な地下の石壁から、抜けるような青空へ。

 ぼんやりとした灯火から、目を刺す強い陽光へ。

 地下室は、遠く山々を望む絶景ポイントへと姿を変えた。


「ここが、霊峰ケラコル――ッ!?」


 つぶやいた途端、全身を貫く寒さを自覚する。

 呼吸するだけで肺が凍り付くようだ。

 血が冷気を持ち、心臓が鼓動する度に手足が冷え切っていくような。

 俺は両腕をさすった。


 注意も予想も覚悟もしていた。それでも認識が甘かった。


 生半な防寒などあってないようなもの。

 おまけに空気も薄い。呼吸が浅くなる。

 このどこまでも見通せるような澄み切った空間は、裏を返せば、高所特有の『毒』が充満しているとも言える。


「皆さん! 早くこちらへ!」


 クルタスさんが手を振っている。表情は変わらなかったが、剣柄に置かれた手は細かく震えていた。

 俺は唇を噛んだ。

 辺りを見回す。

 ともに転移してきた少女たちは、全員両肩を抱えてうずくまっていた。

 このままではマズイ。


「『サンプル』発動――ギフテッド・スキル【絶対領域】!」


 あらゆる攻撃を遮断する広範囲結界。クルタスさんも含めて、仲間たちを包み込んで冷気と酸欠から護る。ようやくフィロエたちが顔を上げた。


「フィロエ。【障壁】だ。皆の身体を包み込むように防御膜を張るんだ」

「は、はい!」


 フィロエが立ち上がる。かつて『暁の盾』を手にしたときに見せた器用さがあれば、充分に可能だ。

 仲間のもとに走ろうとして、フィロエが足を滑らせる。彼女を転倒から支えながら、俺は足許を見た。

 雪と氷に覆われた地面は、走ることを許さない。


「パルテ。【重力反抗】だ。少しの高さでいい。皆を浮かせて雪と氷に足を取られないようにしてくれ」

「わ、わかった」


 足裏から地面の感覚がなくなる。代わりに、深い絨毯の上を歩くような柔らかさを覚える。

 さすが。俺のような借り物の力じゃ、これほど絶妙な加減はできない。

 あとは――。


「ルマ。【全方位超覚】で周囲の状況を探ってくれ。雪崩、落石、それと他のメンバーの位置。はぐれないように、皆の目になってくれ」

「仰せのままに。イスト様」


【絶対領域】【障壁】【重力反抗】の各スキルによりかなり楽になったのだろう。淀みなくルマが応えた。

 これで何とか行動できるな。


「イスト殿……」


 クルタスさんがやってきた。スキルでしっかり護られていることを見て、俺は安心する。


「よかった。辛いところはありませんか、クルタスさん」

「いえ……むしろひどく動きやすいのですが」


 彼にしては本当に珍しく、目を大きく見開いていた。


「これが……あなたたちの力、なのですか」


 俺は微笑んだ。


「ええ。エルピーダの皆の力です」


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