17.【ざまぁ回!】ナメるな!


 職員が次々辞めていったというミテラの話は本当のようで、カウンターには誰もいない。


 開店休業状態だ。


 残っている職員の間にもサボりが横行しているらしい。


 落ちるときは本当に一瞬なんだな……。

 俺がいたころは、少なくとも中堅ギルドとしてそれなりの体裁ていさいは保っていると感じていたが……。


 皆と一緒に階段をのぼる。ギルドマスターの執務室は2階だ。


 ――覚えているぞ。

 数日前のあの日、俺は疑念と不安を抱えてこの階段をのぼり、失望と絶望に包まれてこの階段をおりた。


 執務室の扉は開きっぱなしになっていた。

 崩れた書類が部屋の中からあふれ、扉が閉まらなくなっていたのだ。


「失礼します」


 ぞっとするほど静かな口調でミテラが執務室に入る。

 俺とグリフォーさんも続いた。


 室内に足を踏み入れるなり、俺は少し唇を噛んだ。


 ギルドマスターは、書類の山に埋もれながら机にしていた。

 そばには、椅子から崩れ落ちそうなほどぐったりとした男性職員の姿もあった。

 ……俺を裏口から放り出した元同僚だ。


 ミテラの来訪に気付いたギルドマスターが、引きつった笑みを浮かべて立ち上がる。


「おおっ、よく来てくれた。どいつもこいつも役立たずで困っていたのだ。さあ、今日も一緒にこの困難に打ちとう」


 目にくまが目立つ顔に精一杯の笑顔を貼り付けている。

 元同僚もまったく似たような顔付きをしている。


 ふたりとも、俺には気付いていなかった。


 俺からはミテラの背中しか見えないが、わずかに、彼女が肩を落としたのがわかった。


「そのことについて、今日は大事なお話があって来ました。こちらをどうぞ」


 用意をしていたという言葉通り、彼女は辞表を取り出すとギルドマスターの前に差し出した。

 ギルドマスター、そして元同僚の視線が一枚の紙に釘付けになる。動きが完全に凍りついていた。


「本日をもちまして、わたくし、ミテラ・ロールは【バルバ】を辞めさせていただきます。ひきつぎしょはすでに作成をして、私がいた席に保管しておりますので、どうぞご確認を」

「……ふぇ?」

「……ふぉ?」


 鼻から息が抜けたようなふたりの声。

 ミテラの口調は揺るがない。


「もっともこの様子では、引継書がどれほど有効かわかりかねますが。これまでお世話になりました」

「ちょ、ちょ、ちょ、――あっ!?」


 ギルドマスターが俺を指差す。

 ようやく気付いたようだ。

 ギルドマスターのやつれた顔に、怒りでけっしょくが戻っていく。


「き、貴様っ!? イスト・リロス! そうか、貴様が裏で糸を引いたのだな。なんという奴だ! 自分の無能さで追放されたのを逆恨みして、このような卑怯な手を使うなどっ……貴様、いったいどうやってミテラをたぶらかした!?」

「お言葉ですが」


 ――室内の気温が一気に下がったように感じた。


 ギルドマスターたちだけでなく、俺まで無意識に息を止める。

 グリフォーさんですら首をすくめる、ミテラの圧力だ。


「私は私の意思で退職を決意しました。理由はいたってシンプルです。『もうこのギルドにはついていけない』。それだけです。今後はこのイスト・リロスさんのところにお世話になります」


 たっぷり3秒ほどの間があった。

 ごくりと唾を飲み込んで、ようやくギルドマスターが応える。


「そ、そいつは無能の無職じゃないか。いったいどれほどのことができると」

「おっと、ワシからもいいかな?」


 ヒゲをでながらグリフォーさんが進み出る。

 ギルドマスターがぎょっと目をいた。それを見たグリフォーさんは、どことなく楽しそうだった。


「『無能の無職』とお前さんは言うが、ワシはこの目で見たのだよ。このイストが、すげえスキルで『大地の鯨』を追い返した姿をよ。それに、失われた孤児院を再建し子どもたちを守るっていう立派な仕事を今は持っている。ワシはこの男を全面的に支持するよ。その証に、これからギルド連合会にこの男への支援を要請するつもりだ。グリフォー・モニの名においてな」

「お……う……!?」


 みぞおちに一発入れられたような衝撃を受けていた。


 隣では元同僚が「なんで」と繰り返している。

 内心がここまで伝わってくるようだ。


『なんでこんなやつが』

『なんで俺よりも』

『なんで認められている』


 汗で汚れた顔のあちこちにシワができていた。いろいろな感情が混ざりすぎて、表情が変になってしまっている。


 ――哀れだ。


 ミテラとグリフォーさんが俺に視線を送る。

 俺は静かにうなずき、ギルドマスターの前に進み出た。元同僚にもちらりと目をやる。


「お久しぶりです」

「……ぐ……イスト・リロス……まさかお前が、これほど認められるとは……!」

「俺、あのとき言いましたよね。今の世の中、事務処理をおろそかにすると大変なことになると」

「く……ぐぅ……い、いいだろう。お前の不手際や無礼な言動は不問にしよう。そしてこの危機をともに乗り越えるというのはどうだ?」

「……」

「わ、わかった。謝ろう。私が悪かった。このとおりだ」

「……」

「……ま、まさかギルドマスターの私がこうして頭を下げているのに、拒否をするというのではないだろうな……?」

「……」

「お、おい……イスト・リロス……?」

「残念ですが、もう遅いですよ」


 哀れな男だ。

 だがそれ以上に腹立たしい。


 どこまでも俺は下っ端で、都合のいいコマ扱いか。


 バカにするのもたいがいにしろ!


「もう俺はここの職員じゃない。だから言いたいことを言わせてもらう」


 机に手を叩き付ける。

 のけぞったギルドマスターたちにきっぱりと言った。


「毎日地道に仕事している人間を、その誇りを――ナメるな!!」



◆◇◆



「んーっ……」


 ギルド【バルバ】を出るなり、ミテラが思いっきり背伸びをした。


「あーっ、スッキリした!」

「ミテラでもそんなこと言うんだな」

「ええ。それはもう、まってたから。イロイロとね」


 悪戯いたずらっぽく微笑む。男どもを震え上がらせるような氷の表情ではない。


「イスト君も格好よかったわ。ビシッと言えたわね。偉い偉い」

「……子ども扱いしないでくれ」


 ふふ、と笑われた。それから、彼女は俺の抱えた袋を指差す。


「ところで、ギルドの資料をそんなに持ち出してどうするの?」

「これか? 子どもたちへの教材に使えないかと思ってさ。ギルドは雑学の宝庫だからな。いずれあの子らがひとり立ちするときに困らないよう、簡単な勉強会みたいなのを開くつもりなんだ」

「へえ。いいじゃない」

「ミテラ、こういうの得意だろう。手伝ってくれないか?」

「ええ。喜んで。私はもうあなたのところで働く職員だもの」


 パン、とふたり手を合わせる。


 グリフォーさんが大きくて硬い手で俺たちの肩を叩く。


「さておふたりさん。今後はワシがギルド連合会へ案内しよう。付いてくるがいい」

「あら、グリフォーさんもご機嫌ね」


 先に歩いて行くふたり。


 俺はふと、裏路地を見た。

【バルバ】を追放されたときとほぼ同じ時間帯。裏路地の奥はやはり薄暗い。

 あのときはこの世の終わりに繋がっていると思っていたが――今は違う。


「イストくーん」

「なにしている。置いていくぞ」


 俺の先には、一日のはじまりにふさわしい明るい道がある。

 未来を、皆を信じて、進むだけだ。



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