第188話 剣 ノ 舞 Ⅵ

 ◇  飛 剣  ◇



 ファウストはわからないものを怖いと言う。


 敵の能力がわからない。敵の強さがわからない。敵の作戦がわからない。


 だが俺からすれば、なにもかもが自明になっていない、混沌としたその状態こそ、争いの正しい状況だと感じる。


 あの男は強い。しかし同時に甘い。


 なにもわからない、不確かな世界で生きていかなくてはならないから、我々は腕を磨くのだ。技を練磨し、体の動かし方を覚え、常に強くあるために考える。


 ファウストのすべてを否定する気はない。だがいまのこの状態こそ、戦争のあるべき姿だ。


 「もうすぐですね、ヨキさん」


 そう声をかけてきたのはファウストの子、ケリュネイア・ムースのガイマンだ。声は緊張で上擦り、体に力が入っていないように見える。


 「あぁ」

 「……」


 なにか言いたげだ。


 ……。


 少し待ってみるが続きはない。この歯切れの悪いところなどは父親によく似ている。


 このまま無視していてもいいが、このやり取りが戦いに影響する可能性もゼロではない。こちらから声をかけておいた方がいいだろう。


 「なんだ。言いたいことがあるのではないのか?」

 「あ、はい。その……」

 「なにに気を使っているのかは知らんが、言いたいことがあるなら早く言え。これが最後の会話になるかも知れん。悔いは残すな」

 「ヨキさんは怖くありませんか?」

 「なにがだ」

 「僕、こんな風な大規模な戦いが初めてなんです。だから、なんと言っていいのかわかりませんが……」

 「大規模だろうが小規模だろうが戦場に立てば、誰かが勝ち、誰かが負ける。勝つのがこちら側かもしれないし、負けるのがこちらかもしれない。こればっかりはやってみらんとわからん。そしてもし、お前が敗戦、つまり死を怖れているのなら、それは正常な反応だと言っていい。死を怖れぬ者は必ず戦いに負ける。いまの感覚を大切にしておけ」

 「ん? 死や痛みを怖れずに戦う方が強いのではないですか?」


 そうだな。俺もかつてそう考えていた。


 「短期的に見れば、あるいはそういう局面もありうる。だが最後に勝利を収めるのは、痛みや死の恐怖を知っている者たちだ。もう二度とあんな目に会いたくないと思うような経験があると、生き物は賢くなる。どうすれば傷つかずに済むか、どうすれば少しでも長く生きられるか、そればかりを考えるからな。ガイマン、お前が言う勇敢な者たちは、戦場の花、猛者、そんなたいそうな通り名を与えられ、いかにもそいつらが戦いを勝利に導いたかのように喧伝されるし、そう見えてしまう。だが本質は全く違うのだ」

 「そういうものでしょうか」

 「俺たちにはファウストがいる。奴は決して勇敢ではないし、世界屈指の強者と言うわけでもない。だがあの男が味方にいると思うと、なぜだか負ける気がしないのだ」

 「あっ、それはよくわかります」

 「俺は、この砂の体を造った時の奴の苦悩を知っている。そして、その苦しみを誰にぶつけることなく、折れることなく、ひたむきに努力し続け、こんな化け物じみた解答にたどり着いた奴の功績を、絶対に忘れない。もし仮に、ファウストの仲間がみな勝利を諦めて膝をついたとしても、奴だけは最後まで諦めないだろう。だから勝てる。だから一緒にいて負ける気がしないんだ」

 「それは僕もおなじです」

 「そうか、ならば死ぬな。最後までその足で立っていろ。父親の顔に泥を塗らないようにな」

 「はい! ヨキさん」


 シカを息子にしたなんて、普通の人間の考えることではない。いかにもファウストらしい突拍子もない発想だ。心のどこかで、そんな関係はうまくいくはずがないと高をくくっていた。だがこうやってしっかり話してみるとどうだろう、種族も体のサイズもなにもかもが違うガイマンとファウストが、本物の親子に見えてくるから不思議ではないか。


 まったく、どこまでも退屈せん奴だ。




 ◇  剣 姫  ◇




 とりあえず食べ物を買いたいんだけど、本当になにもない。野菜から肉、豆、ミルク、なに一つないんだ。まいったなぁ、どうしたもんか。


 ていうかそもそも宿屋もお店もなにも営業してない。人が少なすぎる。本当にまいった。このままだと飢えて死んでしまう。嫌だなぁ、こんな街中で飢え死にするなんて。


 「お嬢ちゃん、なにやってんの? 早く逃げなきゃ」


 おっ、人だ。飛竜に乗ってる。ちょうどいい。このお兄さんに送ってもらおうかな。どこか食べ物のある場所に。


 「よかった。誰もいないかと思ったよ。で、お兄さん、なんの人?」

 「見てわかるだろう? デルア飛竜隊だ。この辺一帯の避難は終わっていたと思ったのだが、まだ残っていたとは。念のため見回りしに来てよかった。ささ、乗ってくれ。すぐに逃げよう。ゴブリン共の動きが不規則になっている。ここにも攻め込まれるかもしれない」


 最悪だ。他の誰でもよかったんだけど、デルアの兵士だけはナシだった。


 「ごめんね、お兄さんの竜に乗って行きたいんだけど、どうもダメみたい」

 「ダメ? なぜだ」

 「実は私、一人じゃないの。仲間がいる。で、その子が重度のデルアの軍人アレルギーで、姿を見るだけで息ができなくなっちゃう。だから飛竜に乗るなんてもってのほか」

 「デルアの軍人アレルギー? そんな話、聞いたことがないぞ」

 「世界は広いんだよ、お兄さん。お兄さんが知らないことだってたくさんある。とにかく私はお兄さんと一緒には行けないの」

 「なにを言っているんだ君は。ゴブリンが攻めてきてるんだ。洞窟のなかや森にいる普通のゴブリンとは比べ物にならないほど強いし、前例がないほどの数が群れている。奴らがここに来ればひとたまりもない。君らは間違いなく食われてしまうだろう」

 「うん、いろんな人から話を聞いたから事情はわかってるんだけど、やっぱりどうしてもダメなの。私の友達、絶対に飛竜になんか乗れないから」


 お兄さんはちっ、と舌打ちをし、飛竜の背中から降りてきた。


 かなり苛立っているみたいだけど、殺気は感じない。私と斬り合いたいわけではないみたいだ。


 兵士は私のすぐそばまで来ると、私の手を握る。


 「いいかい。命を粗末にしちゃダメだよ。君が死んだら悲しむ人がいるだろう? お父さんとか、お母さんとか、友達とか、兄弟とか。そういう人たちのためにも、君は避難をしなくてはならないんだ。わかるかい?」

 「うん、だからわかってるって。でも行けないの。ベル……、友達がデルアの兵士アレルギーだから。調子が悪いと、喉が詰まって窒息することもあるらしいの」

 「わかった、じゃあその子に会わせてくれ。僕が説得するから」

 「だぁかぁらぁ! デルアの兵士アレルギーなんだって言ってるでしょ。お兄さんが会ったらどうなるかわからないじゃない」

 「しかし、このままここに置いていくわけにもいかない」


 めんどくさいなぁ。ベルさえいなければ、こんな面倒なことに巻き込まれずに済んだし、面白そうなゴブリンたちと一戦交えることも出来たかもしれない。厄介な拾い物をしてしまったよ、まったく。


 まぁしょうがないか。なんかあの子って放っておけないんだよね。


 「じゃあお兄さん、ご飯くれる? そしたら自力で安全な場所まで逃げるから」

 「君のような娘が一人で旅をするのか?」


 まただ。


 どうして外の人ってこんなに心配性なんだろう。草原なら娘だろうが子供だろうが一人で旅をするのが当然だし、それが器を完成させるために必要なことだと考えられている。


 でも外の人は私を見て、女が剣を振るなんて、とか、子供が一人で旅をするなんて、と眉をひそめる。


 そんな風に甘く育てられてるから外の生き物は弱いんだ。


 私はゆっくりと息を吸い、一気に抜刀。


 剣の刃のついていない方をデルア兵の首元にピタリとあてた。


 「大丈夫、私、強いから」

 「なっ、まったく見えなかった」

 「うん、見えないように振ったからね」


 これが普通だ。草原にいた時も強い方だったし、いくら強い相手でもそれなりに戦えると思っていた。


 でも、あの男。


 妙な体をしたあの男はまったく違った。


 体の奇妙さ、トリッキーさに翻弄されたというのはある。


 だけど、それ以上に技。思わず見惚れてしまいそうなくらいの無駄のなさと美しさ。


 足運び、腕の振り、剣先の軌道、気迫、目線。


 剣に必要なすべてを内在させ、うまく調和させていた。


 いい脱力感。剣士の完成形。


 「まいった。携帯食しかないがかまわないか?」

 「もらってもいいの?」

 「あぁ、これはあげる。だけど約束してくれ、絶対に逃げると」

 「はーい」


 見た目は怖そうだけど、意外といい人だったな。


 「世界が終焉に向かっているというのは本当なんだろうな。いままでに経験したこともないよなことが次々と起こる」

 「経験したことがないこと?」

 「まだ子供と言っても差し支えがない女の子の剣は見えず、デルア王国に攻め入った狂鳥と呼ばれる男も君とそう変わらないか、少し下くらいの年齢。最強の兵士ユキ・シコウは戦死して、飛竜の申し子は色ボケになってしまった。着実に世界の終わりが近づいて来ているようだ」

 「ねぇ、誰が死んだって言った? よく聞こえなかった」

 「ユキ・シコウ。デルア最高の兵士、闘将のユキ」

 「へぇ、そうなんだ。私、その人のことはよく知らないけど残念だったね。あっ、ご飯どうもありがとう。今度どこかで会ったらお返しするね。バイバイ」


 ユキ・シコウ、ユキ・シコウ。


 忘れないようにベルに伝えなくちゃ。

 



 ◇  舞 姫  ◇




 「ベル、落ち着いた?」

 「罠ですよ、罠ですよ〜。きっとあの飛竜はベルを探しに来たんです。敵前逃亡したベルは見せしめ街中に吊るされて、石とか投げられ、手酷い拷問を受け、デルア兵の慰み者にされて殺されるんだ。あの飛竜はシャム・ドゥマルトに戻ってベルがここにいるってことをミクリル王子に伝えるんです。そしたら、ミクリル王子が、アハハハハ、あの裏切り者の小娘を八つ裂きにしろって言って、あぁぁぁああああ」

 「ほら、泣かない! 携帯食糧もらったから食べるよ! 泣いたりして無駄なエネルギーを使わないで。あの竜騎士は本当にただの兵士だったって」

 「どうしてそう言い切れるんですか!」


 ちょっとしか一緒にいないけど、マヤさんはちょっと能天気なところがある。物事を深く考えないんだ。


 「勘に決まってるじゃないか」

 「か、勘!?」


 やっぱりこの人はどっか変だ。


 「そう言えば飛竜のお兄さんがなんか言ってたな」

 「なんて?」

 「誰かが死んだって、えぇっと。忘れないように気をつけてたんだけど……。えぇっと、そうだ! ユキ・シコウ! ユキ・シコウが戦死したって」


 え?


 「どうして!? ユキさんが!?」

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