第150話 猫 ノ 歴史

 目を覚ました猫にゃんはとても怖がっていた。


 当然だ。意識を奪うまえはメンバーみんなで追いかけ回していたわけだから、俺のことを敵だと思っている。


 猫にゃんは一生懸命にフーフーと威嚇して幻覚を乱発してきた。だがもちろん【ホメオスタシス】を起動させているから、やられることはない。


 「落ち着けにゃんこ、危害を加えるつもりはない」


 敵か味方かもわからない初めましての相手に落ち着けと言われて落ち着く奴はいないだう。この猫にゃんも余計に興奮してしまった。だが、なんの問題もない。


 猫というのはとても個性的でユニークな生き物だ。十把一絡げにこういう性格ですよと断言することなんて出来ない。それは私たちでもそうだ。それぞれに趣味や嗜好があり、それぞれに歴史や傾向がある。


 だが個人的な偏りの奥深く、もっと根元の部分を覗いてみると、また違ったものが現れるのだ。


 例えば海を見ると無性に叫びたくなるのが人であり、夕日を眺めていると理由もなく物悲しくなるのも人だ、こういう風に抗い難い本能のようなものを誰しもが持っている。人には人の本能があり、猫には猫の本能が存在している。


 コトン


 俺は憤る猫にゃんのまえに皿を置いた。何事かと俺の顔を見上げる猫にゃん。


 はぁ。やっぱり猫はいい。どうしてこういう可愛らしい造形になったのだろう。猫をデザインした奴は天才だ。


 ワンプレートの皿の上には三種類の食べ物を乗せている。魚系、肉系、乳製品系だ。


 様々な猫を愛でてきた俺の経験から言うと、猫の好物はこの三つのうちのどれかに分かれる。形状はドライな物より湿っている方がいい。健康のために薄味が好ましく、噛むのが好きな子と苦手な子がいるから食感が違う物を何種類か用意しておいた方が猫のためだ。


 「ご飯を作ってみた。食べてみてくれ」


 猫にゃんは……。


 動かない。急に拉致されて目が覚めると、その犯人がいて、おら食えと飯を渡されても、はいそうですかありがとう、とはならないだろう。当然の反応だ。


 警戒心の薄い子や体の発育が完全ではない若い子はバクバクと食らいつくだろうが、この子はたった一匹で森の中で生活していたのだ。体は若く、栄養を必要としていたとしても、生き抜くための知恵と経験が食欲を抑え込む。


 だがしかしこのキャットフードは数々の猫を籠絡ろうらくし、メロメロにしてきたこの俺様が監修し、いいお嫁さんのマンデイが調理した逸品。


 くくくくく。どうした、鼻がヒクヒク動いておるではないか。本能に抗うのは苦しいだろう。


 「危険な物は入ってない」


 俺はプレートから魚味を摘んで自分の口に入れて見せた。そして、指についたキャットフードの匂いを嗅がせるために猫にゃんの顔に近づける。


 食べたいが俺のことは信用できない。そんな感じの葛藤が読み取れる。


 空腹状態を避けようとするのは猫の本能というよりは生き物の本能。気持ちは食べる方に傾いているように見えるが実際のところどうだろうか。


 コトン


 今度の皿には俺特製の発酵ミルクが入っている。キャットフードだけでも充分に栄養は足りるはずだ。だから発酵ミルクは水で溶かして濃度を薄めている。あくまでも水分補給が目的。


 「俺が作ったミルクだよ。少し酸っぱい匂いがするのはこれが発酵食品だから。危険な物ではない」


 キャットフードの時とおなじように猫にゃんの目の前でミルクを飲んで見せた。うん、美味い。


 猫と見るやヨチヨチもふもふしに行く奴は俺から言わせると素人だ。猫には猫の事情がある。その辺にある食べ物をあげるのも素人。


 プロは猫の立場になって考えてみる。いまなにが必要かを。


 少しの間があった。猫にゃんは葛藤し、俺はただ待っている。


 いま、この子の体は栄養を必要としている。だがそれ以上に時間が必要なのだ。現実を受け入れて理解し、自分の置かれた状況を把握して冷静になれるだけの時間が。


 ちょっと猫の体に詳しい奴はこの子の栄養状態の悪さ改善するために、とにかくご飯を食べさせようとするだろう。一向に食べようとしないこの子の態度に焦ったり、苛立ったりするかもしれない。だがプロは待つ。猫と関わる時はまず安心できる関係を築くのが重要だ。


 一度クールタイムを挟んだとはいえ、【ホメオスタシス】の連続使用は危険だ。かといって虫下しを使えば猫にゃんの無双状態になる。幻覚でヘロヘロになったら体が脆いマグちゃんなんかは一口で食べられるだろう。


 「マンデイ、爪とぎソファーとオモチャを造るから手伝って」

 「うん」


 焦ってもいいことはない。気長に気長に。


 猫にゃんが心を許してくれるまでの時間で俺は、ゆっくりと休めて爪もとげるソファー、鈴の入ったボールとレーザーポインターを創造した。どれも猫が好きな物だ。戦闘を想定して造ったりするとどうしても神経を使うが、こういう楽しみのための作業は楽でいい。ただ面白さだけを追求すればいいから。


 満足のいく出来であるのを確認してから、ふと猫にゃんに目をやると満足そうに毛繕いをしていた。食べたようだ。減っているのは魚系、ソフトな食感のキャットフード。


 「美味しかった?」


 声をかけるとビクッと反応した。まだ警戒は解けていないらしい。


 「ご飯はまだあるけど、急に沢山食べるとお腹がビックリしちゃうからちょっとずつ食べような。あと気持ちが落ち着いたらお風呂に入ろうか。体についてるノミを取る薬を造ってるから」


 マジマジと俺の顔を観察する猫にゃん。なんて愛らしい瞳なんだ。いますぐになでなでしてマッサージしてあげたいところだが、その気持ちをグッと抑えた。


 例えば気になる女性がいるとしよう。顔もスタイルもストライク。初対面なのに運命すら感じてしまう。ゆくゆくはあんなことやこんなことをしてみたい。


 あなたなら、どうするだろうか。


 相手を気持ちよくするためになでなでする? マッサージをする?


 そんなことをしたら警察を呼ばれてしまう。相手に不快な思いをさせてしまったら次のデートのチャンスもなくなってしまうぞ? 猫も一緒だ。撫でていいのは撫でていいよのサインを猫が出してから。


 まぁ恋愛経験ゼロの引きこもり野郎の言うことにどれほどの説得力があるかはわからんがな。


 一歩ずつ着実に心の距離を詰めていく。モフモフなでなではその先にあるご褒美なのだ。


 とその時、突然視界が揺れた。


 猫にゃんの幻覚だ。ファーストコンタクトで受けたものよりは若干マイルドだが、【ホメオスタシス】込みでこれなら素の状態でやられたらどうなることやら。


 「なぁ、その魔法を使うのはやめてくれないか? お前が思ってるより強力なんだ」


 首を傾げる猫にゃん。なぜ魔法が効かないのかがわからないのだろう、って感じか。


 「俺たちは体のなかに寄生虫を飼ってる。そいつが感覚に作用する系の攻撃をシャットアウトしてしまう」


 ぐにゃっと視界が曲る。頭と足の感覚が入れ替わり、めまいがした。


 「でも完璧に防ぐことは出来ない。いまも少し気分が悪くなった」


 俺がそう言うと、シュンとしてしまった。落ち込ませてしまったようだ。


 「ノミ取りの薬をしたいんだけどいい?」


 そう尋ねるとまた魔法を使われた。今度は体から魂が抜けるような感覚。


 効かないとわかっているはずなのに、なんで何度も魔法を使ってくるんだろうか。


 まただ。また魔法を使われた。


 あれ? もしかしてこの子、コミュニケーションをとろうとしてる?


 「なぁ、もしかしてお前、幻覚で会話するの?」


 ぱっと目を見開く猫にゃん。当ったようだ。


 【ホメオスタシス】を解いて魔法を食らってあげるのが一番いいのだろうが、幻覚で前後不覚になるのは怖い。保険はかけておくべきだ。


 『マンデイ、猫にゃんの幻覚を受けてみようと思う。もしなにかあったらすぐにフォローしてくれ』

 『うん』


 俺が幻覚でヘロヘロになっている間にモーニングスターで猫にゃんをガツンなんてことは……。ない。きっとない。


 体に電気を流して【ホメオスタシス】の動きを止める。


 「よし、使っていいよ。寄生虫の働きを止めた」


 グラっと視界が歪んだ後、体が宙に浮いた。


 【楽園】にあったはずの俺の体はいつの間にか深い森のなかに。


 足元には小さな子猫が数匹と母猫がいる。授乳中のようだ。


 子猫うちの一匹の尻尾が二本あることに気が付いた。毛の色と身体的特徴、一際小さな体、【セカンド】だ。どうやらこの子がいままで歩んできた道のりを見せられているようだ。


 兄弟が【セカンド】に飛びかかる。ミルクが欲しいのだろう。


 俺は【セカンド】と感覚を共有しているようで、この子が感じているであろう空腹や渇きを感じている。母猫の乳首は譲りたくない。


 その時、時が止まる。


 なにも動かなくなった。風に揺れていた葉も、兄弟も、母猫も。


 そして……。


 パリン


 時間が、割れた。


 その表現が正しいのかがわからない。ただ一番近いのが「時間が割れた」だ。


 急に騒ぎ出す兄弟と母猫。混乱した一匹が近くにあった岩にぶつかってぐったりとした。母猫はわけもわからず木に登る。


 俺が感じていたのは罪悪感と、悲しみ。


 場面が変わる。


 今度は、少し時間が経っているようだ。


 首の後ろを噛まれている。どうやらどこかに運ばれているようだ。ひどく眠たい。


 知らない場所。知らない風景。


 強烈な不安を感じる。孤独感、恐怖。


 【セカンド】の体を下ろした母猫は、素早い動きで離れていく。


 行かないで。


 最後、こちらを振り返る母猫。寂しそうな顔をしている。


 行かないでよ。


 時間を止めて、割る。でも母猫には届かない。


 また場面が変わった。


 俺は独りだ。


 なにかを食べなくてはならない。腹が減って仕方がない。


 音がする。ネズミだ。ネズミがいる。


 時を止めて、割る。


 するとネズミが踊るように飛び跳ね始めた。


 混乱しているようだ。


 【セカンド】が……、俺がゆっくりと近付き、ネズミの首筋に牙を埋める。


 「うわっ!」

 「ファウスト?」

 「マグちゃん!?」


 急に【楽園】に戻ってきた。


 猫にゃんは……、大丈夫だ。モーニングスターで吹き飛ばされていないし、幻覚の世界にダイブするまえと変わらず元気そう。


 「なにがあったの?」

 「急二、喋らなクなっテ、目ノ焦点ガ会わなクなっタ」

 「どれくらいの時間そうなってたの?」

 「一瞬」


 こりゃすごいな。


 すっごく便利だし強力だが、気分が悪くなるのが難点か。


 吐き気がする。自分の体が自分の物ではないような不快感。


 強力すぎるのか、あるいはこの子が魔法のコントロールをうまくできていないのか。


 どっちにしろこの子を味方にスカウトするなら、まずこの幻覚の対策をしないとな。

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