第96話 短イ 剣戟
◇ フューリー ◇
デルア西部に位置する獣の不干渉地帯。
かつてその場所に一頭の牛が生まれ落ちた。
群れの中でも目立った存在ではなく、体格は小柄、臆病で甘えん坊の個体だった。
名はハマド、後の不干渉地帯の主になる獣である。
獣の国のトップ、亀仙は自らの予知を疑った。
本当にこの子牛が不干渉地帯の主になれるのだろうかと。ハマドが生まれたのは世界各地に散らばった不干渉地帯の中でも特に生存競争が激しく、強い個体が保護されている場所。この小さな牛には少し荷が重いのではないかと。
しかしハマドは、亀仙の不安を
では最高たる
心根の優しさ、器の広さ、思慮深さ、弱い者の声に耳を傾ける姿勢。もちろん、そういった性格もハマドの評価を上げるのに一役買っていたのは間違いない。が、最も適切な解答は違う。
ただでさえ競争が激しい環境。周囲を見渡せば生き残るのに必要なストロングポイントを有する生物。そこでトップに立つ為に絶対的に必要な要素。
強さである。
ハマドの強さは、体の強さ、ただそれに尽きる。
毒使いの最高峰マクレリア・バルグ・トレンチンの鎮静毒に耐え、稀代の魔術師ル・マウの拘束から逃れ、決して壊れることがないと言われる不干渉地帯の壁に大穴を開けた。
すべてその身一つで。
一歩踏み出すだけで地面を揺らす重量。圧倒的な存在感。
Boooooo!
(誉れ高き不干渉地帯の主、ハマドよ。聞こえるか)
聞こえておっても理解は出来んか。
震えておるのかハマド。
我を恐れるか。あるいは……。
(我が名はフューリー。もう苦しむな。お主の誇り、お主の怒り、すべて我が受け止めてよう。我が名を憶えよ、ハマド。お主を死へと導く者の名だ)
大樹のようなハマドの前足が地面を蹴る。
魔法も使えなければ、技もない。
ただ体をぶつけるだけ。逆に、それだけで過去最高の主にまでなった生物だ、とも言える。
突進。
なんの小細工もない。頭を低くして走るだけ。であるはずなのに戦場に立つすべての生物の視線を奪ってしまう。敵味方関係なく吹き飛ばされていく。まるで風に飛ばされる枯れ葉のように。
過去最高の主は伊達ではない。
我はすれ違いざまに跳躍し、ハマドの前足に噛み付いた。全力で噛み、
いくら強い体だろうと、噛み千切れば傷がつく、と、思っていた。
しかし何故か血の味も匂いもしない。
と、先程噛み付いた箇所を見てみるが、我の牙の形をした
だが知性を失い、老い、疲弊したハマドの単調な攻撃を食らうはずがない。
時間さえかければ、確実に楽にしてやれる。
Booooooooooo!
ハマドが雄叫びを上げる。悲痛な、聞いていて胸が苦しくなるような叫び。
ん?
(お主……、泣いて、おるのか?)
一度の突進。
一度の攻撃。
その一度に運悪く巻き込まれた不干渉地帯の獣が傷つき、息絶え、力なく転がっている。
Booo Boooo Boooooooo!
そうか。
苦しいのう。
(来いハマド。すぐ楽にしてやる)
ハマドの攻撃。大地を揺らす突進。
我はそれを、正面から受けた。
骨が砕ける音がする。
痛みは一瞬。全身が脱力し、口の中に血の味が広がった。
ふぅ、と息を吐くと、意識が遠のいていった。
フューリーといったか。
あぁ。
すまない。迷惑をかけるな。
構わん。
頼むぞフューリー。この世界と、俺の家族を。
うむ。
【
【
◇ ファウスト ◇
遠吠え?
「いまフューリーさんの声が聞こえました?」
「殺されたみたいね」
そりゃマズい。フューリーに与えられたギフト【
約三日間、任意の場所に魔力を溜め、再生する地点を決める。能力が使えるのは、溜めた魔力が枯渇するまでの間。再生する場所は、死んだ場所か、自分が決めた地点のどちらかを選べ、もう一つの能力【
【
つまりこの能力、回数制限がある。しかも死に戻りの仕方によっては制限が一気にキツくなるのだ。
だから少なくともフューリーの能力は戦闘の序盤で使うものではない。本当に追い詰められた時や、それ以外に手段がない場合の選択肢だ。
こんなタイミングで使う能力じゃない。
「フューリーさんの助太刀に行きます」
「やめなさい」
「なぜ!?」
「ファウスト、私たちには仕事があるでしょう? アンタはこの戦いの象徴なのよ。すると宣言したことは最後までしなさい。示しがつかないわ」
「しかし――」
「フューリーの悲しそうな遠吠えが聞こえなかった? 胸が張り裂けそうな心の叫びが」
悲しそう? いや普通の遠吠えに聞こえたけど。
「いつもの遠吠えのようでしたが……」
「本当に鈍感な男ね、アンタって。フューリーに戦わせてあげなさい。最後まで」
「危険はないんですか?」
「彼は負けないわ。断言する」
むむむ。
ハマド様らしき雄叫びも聞こえたことから推測するに二頭の獣が激突しているのだろう。
わざわざフューリーが能力を使わなくても、ハマド様の対策に創造した生物兵器を使えばもっと楽に勝てるかもしれないのに。
だが……。
ジェイがここまで言うんだ。なにか考えがあるのだろう。
「わかりました。僕たちは僕たちの仕事をしてしましょう」
「えぇ。そうしましょう」
「どれくらいで終わりそうですか?」
「そろそろいけるわね」
「それじゃもう少し、頑張るとしましょうか」
「えぇ」
◇ マンデイ ◇
世界に選ばれた代表者。神から与えられた恩恵。
ファウストの能力も凄い。とても真似できないようなことを平然とやってのける。
この世界のスペシャルな存在だ。
でもコレは……。
ハマドの突進を正面から受けて死んでしまったフューリー。力なく横たわるその姿は、完全な死だった。
でも、すぐに復活した。そして体が輝き出した。
そこからは一方的だった。
一筋の光がハマドの周囲を高速で移動する。少し遅れて血飛沫が舞う。
宙に描かれる光の筋と真紅の飛沫。
その動きのあまりの美しさに目が奪われる。
戦いが終わった時、戦場に立っていたのはフューリーだけ。
最後の瞬間は、とても静かだった。
もう頭を上げる力すら残っていないハマドに一歩ずつ近づくフューリー。
そして、一つ一つの動作を確かめるように、まるで時間の流れそのものが遅くなってしまったかのような錯覚を起こすくらいゆっくりと口を開き、ハマド喉元に噛み付いた。
ファウストが嫉妬する理由がよくわかる。フューリーは強くて、そして美しい。
ひそかに息を引き取ったハマドの隣で、フューリーは小さく唸った。そして走り出した。
次の敵の元へと。
ふと、雨が降っていることに気がついた。フューリーとハマドの戦いに夢中になりすぎていたみたい。
「ゴマ、ファウストが雨を降らせた。次はマンデイの番」
『goぶwol』
狙うのはユキ・シコウ。
彼女を墜とせば一気に前線が上がる。デ・マウがこちらに注目せざるを得ない。
「行こう、ゴマ」
『jozuらmo』
◇ ヨキ ◇
雨足が強くなってきた。
いまのところ戦況はこちらが有利のようだ。このまま攻めれば、押し切れるだろう。
「ヨル、ヨル、ヨルぅぅぅううう!」
ん? ヨル? あぁ偽名か。
獣や自軍の兵士を無視して、俺に斬りかかってくる男が一人。
懐かしい顔だな。
俺は【夜風】で男の剣を受け止める。
「達者だったかリッツ」
「あぁ、元気だったよ、元気だったとも。お前を斬りたくて斬りたくてしょうがなかったんだ。会いたかったぞヨル」
「あぁ俺もだリッツ。ちゃんと殺してやれなかったのが心残りでな」
「次斬られるのはお前だ!」
「やってみろ」
ファウストが撒いた毒が効いているとは思うのだが、リッツの動きはそれを感じさせない。
表情が以前戦ったユキと似ていた。目が血走り、瞳孔が開いている。
離れ際、突きを打ってくる。剣の射程をよく理解した一撃だ。狙いは喉。
ユキの部下などが当てはまるが、強化術を使うと理性を失う傾向にある。力任せに相手をねじ伏せようとするのだ。
だが、リッツやユキくらいのレベルになると平常時のように戦ってくる。
俺はリッツの剣をいなし、そのままの勢いで、斬りかかろうとした。
しかし、相手の剣の柄を握る手が一本であることに気がつき、動きを止める。
と、目の前にナイフが。
なんとか体を捻り、
ユキは勝つために戦っていた。味方を勝たせるため、自分が勝つために戦う。だから一つ一つの行動を理解することが出来た。そこに拳がある理由、それがわかった。
一方リッツの剣は傷つけるためだけに振るわれる剣。相手の命を奪うための最善手をしてくる。無駄な部分がない。一つの動きで完結する、連続性のない、暴力的な剣だ。
優劣はつけられない。リッツのスタイルが生きる局面もあるしユキの立ち回りが光る戦場もあるだろう。
大きく踏み込んでからの振り上げがくる。
俺は【夜風】を真っ直ぐにリッツに向け、最小限の力で敵の剣の軌道を変えた。
「どうしたリッツ。毒が回ったか」
「いや、ちょっと驚いただけですよ。昔、あなたとおなじ技を使う人と斬り合ったのですがね、使い手が違うとこうも違うのかと」
「草原の民か」
「ヨーク・リザリー・セルチザハル。死の番人と呼ばれていた男です」
「ヨークだと!?」
「あれ? お知り合いですか?」
「あぁ昔な。俺も斬り合った」
「なんだか運命を感じちゃいます、ねっ!」
変則的な突きからの薙ぎ払い。
俺の腕を狙った一太刀。
中々の速度とキレ。
だが……。
「お前の剣は、いまのデルアそのものだな、リッツ」
「どうして僕が斬られてる。どうして、どうして、どうして!」
薙ぎ払いの先にあったのは【軍刀・夜風】。俺はリッツの剣を受けた力を利用し、刃を振り落とした。
「お前、周囲から天才と呼ばれるタイプだろ」
「どうして、どうして」
「お前の剣が人生を語ってくる。負けを知らない
リッツ・アン・デガルステン。決して弱い男ではない。しかし現状に慢心し、進むことを止めてしまった剣では俺には勝てない。
止めを刺そうと剣を振り上げたその時、空気を切り裂いて飛んできた矢が、胸に刺さった。
「すみません。いまその人を失うわけにはいかないので」
女のように華奢で繊細な作りをした顔の若い男が駆け寄ってくる。
この矢、どこから。殺気もなにも感じなかった。
【幻刀・朝陽】
一ノ太刀・刃叢
男は無数に飛び交う【朝陽】の刃を、曲芸のようよ身のこなしですべて
まるで猿だな。
「わわわっ。なんで生きてるの!?」
「さぁな、当たり所が良かったんだろう」
「嘘だ!」
「その男を置いていけ」
「お断りです」
と、男はポケットからなにかを投げてきた。
反射的に斬る。
するとなんとも言えない酷い臭いが辺りに漂った。一瞬、目を逸らしたうちに、男とリッツは消えていた。
チッ。
悪運の強い奴め。
にしてもあの弓使い、毒が効いていないのか? 毒に侵された状態で武装したリッツを抱えて逃げることなど出来るのだろうか。
ふん。まぁいい。
リッツはしばらく動けんだろう。
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