第62話 潜入 王都 Ⅰ
ファウストから二度目の連絡があった時、俺は【夜風】の手入れをしていた。
そんなことをしなくてもこの剣は刃こぼれひとつしないし、斬れ味が落ちることもない。
これは一種の自己研鑽ようなもの。鍛錬とおなじで怠れば落ち着かぬし、すれば自らを省みる格好の機会となる。
――まえの世界では刀は生き物だと考えられていました。ヨキさんがちゃんと手入れをしてあげれば、きっと応えてくれます。
アイツの言うことにどれほどの信憑性があるのかはわからんが、こうやっていると深く剣を理解できる。自らの体を鍛えることばかりを考えていた俺に、新しい物の見方を提示してくれたことには素直に感謝せねばなるまい。
しかし問題は【朝陽】だ。
――コラッ。【夜風】ばっかり手入れしてたら【朝陽】が可哀想でしょう! 嫉妬しちゃいますよ?
こういう突拍子のない発言を平気でするから、あの男はよくわからん。
刃のない刀をどう手入れしていいものやら。
『ヨキさん。聞こえますか?』
『あぁ』
『ちょっとマズいことになってますので、カモフラージュのために適当に周回した後、王城を爆撃してすぐに帰ります。なにか変ったことは?』
『ばくげき?』
『ちょっと性能テストをしたいので』
なんの性能テストなのかは気になるが、尋ねたところで俺が理解できる内容ではあるまい。
『変わったことはない。宿は決まった。当分ここにいるだろう』
『わかりました。リズさんは元気ですか?』
その悪魔なら大口を開けて眠っている。まったく緊張感のないやつだ。
『寝てるぞ』
『通信しても起きないのはさすがですね』
『まったくだ』
『それじゃあまた。くれぐれも無理をしないように』
『あぁ』
リズベットがむにゃむにゃと寝言を。敵陣ど真ん中でここまで爆睡できるのは、世界広しと言えど、この女の他にはいないだろう。
それから少し剣の手入れをして、素振りと瞑想をする。すると、なにやら外が騒がしくなってきた。警鐘が鳴り、男が叫ぶ。おそらくファウストが「ばくげき」とやらをしたのだろう。
それにしてもこの悪魔、耳が良いくせに、どうしてこの騒ぎで目を覚まさないんだ。
結局、リズベットは朝まで眠っていた。
「おはようございます。ヨキさん」
「あぁ」
リズベットは目を覚ますと、顔を洗い、歯を磨いた。その後、日課である宿主への挨拶を。
最初こそ悪魔の奴隷を泊めることに難色を示していた宿主だったが、二日もするとリズベットに魅了されて鼻の下を伸ばすようになった。
「リズちゃん」
と、気味の悪い声が耳に入った時には、思わず刀の柄を握ってしまった。あの悪魔は天性の人たらしなのかもしれない。
リズベットが戻ってきたので、昨夜の一件を報告をする。
「ファウストから通信があった」
「え? なんで起こしてくれなかったんですか!」
「俺が対応したのだから構わんだろう」
「そういう問題じゃないです! で、なんて?」
「王城をばくげきしたらしい」
「爆撃? もう攻撃をはじめたんですか?」
「性能のテストがどうとか言ってたな」
「ほら! ヨキさんなにも理解してないじゃないですか! 今度からちゃんと起こしてください!」
「あ、あぁ」
「で、私たちはどうすればいいんですか?」
「さぁな」
「さぁなじゃないですよ、さぁなじゃ! どうしよう。どうすればいいんだろう」
「落ち着け。なにも指示がなかったのだから俺たちのすることは変わらんのだろう」
なんだその目は。俺は非難されるようなことをしてない。
「今度からちゃんと起こしてくれるって約束しますか?」
「あぁ」
「本当に?」
「クドいぞ」
最悪の朝だ。
「ファウストさんが動き出したんですから、私たちも行動しましょう」
「そうだな」
「で、なにしましょうか」
目をキラキラ輝かせながらリズベットが訊いてくる。もしかしてコイツ……。
「なにも考えてなかったのか?」
「えぇもちろん。なにしましょう」
キラキラ。キラキラ。
先が思いやられる。
「退役軍人を探す」
「探すって言ってもどこを?」
「腕に自信がある奴なら、護衛や警護の仕事をしているだろう。退役軍人がいてもおかしくない」
「わかりました。じゃあ護衛をしているっぽい人を探して片っ端から声をかけてみましょう!」
この悪魔は本気で言っているのだろうか。冗談には聞こえない。本気なんだろうな。あぁ、本気なんだろう。頭が痛くなってきた。
「仕事の斡旋をしている人物がいるはずだ。そいつを探せばいい」
「じゃあ仕事の斡旋をしてそうな人に片っ端から声をかけてみましょう!」
コイツの頭のなかには馬糞かなにかが詰まっているのだろうか。
「宿主に訊け」
「あぁ! なるほど! さすがはヨキさん! 頼りになります」
そういえばコイツ、戦争中の敵軍になんの策もなく、一人で警告しに行ったんだった。普通にしていれば普通なのだが、こういう状況になると際立つ。残念さ加減が。
二人でここに来てしまったことを激しく後悔しながらまっていると、リズベットが軽い足取りで戻ってきた。
「わかりましたよ、ヨキさん。イサキなる人物が退役軍人や腕のたつ人達を集めて商売をしているらしいです」
「そうか」
「やっぱりルークさんは優しいです。退役軍人を斡旋している人を知っていますか? って訊いたら、あぁそれならイサキだな、って教えてくれたんです。簡単でした」
ん?
「まさかとは思うがお前、俺の言葉をそのまま伝えたんじゃあるまいな」
「え? 伝えましたよ? だって訊いて来いって言ったじゃないですか」
そうか。
これは俺が悪かった。俺のミスだ。
「今度から交渉事は俺がする」
「どうしてですか?」
「得手不得手というものがある」
「なんですかそれ! 私うまくやったじゃないですか!」
「おいリズベット」
「はい、なんでしょう」
「頼むから少し黙っててくれ」
これ以上無駄なストレスで消耗したくない。
方針が決まればすぐに動く。
「なんだ、ニィちゃん。依頼か?」
教えられた建物の扉を開くと、サイドだけを綺麗に剃って中心部分だけをI時型に残すという珍妙な髪型をした男が声をかけてきた。鼻や口に金属の輪っかをつけていのるのは、なにか部族的な装飾なのかもしれない。
しかし妙な髪型だ。
ん? もしやこれは正中を守るためのものか? とするとこの金属の輪っかはなんだ? 牛の鼻輪のように見えるな。仮にあれが鼻輪を表現しているのだとしたら……。
忠誠……。
奴隷のように働くという忠誠の証、といったところか。
部下の意識の高さから類推するにイサキとやら、なかなか出来る男なのかもしれんな。
「いや、依頼ではない。仕事が欲しい。傭兵や護衛の斡旋をしていると聞いて来た」
「女みてーな体をしてっけどニィちゃん、やれんのか?」
「なんならここで見せてもいいが」
「おっとまてまて。俺は生粋のデスクワーク派なんだ。ちょっとまってろ。イサキさんを呼んでくっからよ」
デスクワーク派……。
だとするとあの髪型にはどういう意図が……。
一人思考の迷宮に入っていると、珍妙な髪型のデスクワーク派が、豆粒のように小さな男を連れてきた。
こいつがイサキなのだろう。狡猾そうな顔をしている。
イサキは糸のように細い目で値踏みするように俺とリズベットに視線を送った。
「ほう」
と、呟いた。
「俺がイサキだ。入りな」
通されたのは応接間のような場所。なにかの牙や、動物の毛皮が飾られた趣味の悪い部屋だった。あまり気持ちのいい部屋ではないが、それなりに金はかかってそうだ。
「まず名を訊こうか」
「ヨル・アスナ・セルチザハル」
「セルチザハル……。嫌な名だ。草原の民か」
「あぁ」
「なら腕は確かだろう。なにか希望はあるか?」
「王都を離れるつもりはない。おなじ場所で仕事が出来るならそれがいい。移動が面倒だ」
「娼館の護衛はどうだ」
「問題ない」
「他に希望はあるか?」
「奴隷がいる。行動を共にするつもりだ」
「住み込みで働けるか?」
「かまわん」
「ほどほどにしておけよ。ここじゃ処罰の対象になる」
「コイツは性奴隷じゃない」
「そうか。それはすまなかった」
「あぁ」
「賃金は一律だ。なに、少ない額じゃない。かまわないか?」
「あぁ」
存外簡単に話が進んだ。まぁ面倒事に巻き込まれるよりはいいか。それにしても娼館とは驚いた。情報を収集するのにここまで有利な場所はない。
『さすがはヨキさんです。完璧な立ち振る舞いでした』
リズベットが通信で語りかけてくる。
『あぁ』
にしてもあの髪型にはどういう意図が……。
「いまからなにしますか? 時間空いちゃいましたね」
本当に緊迫感のない奴だ。コイツといると、こっちまで気が抜けてくる。
美しい悪魔だと息を飲んだのは最初だけだった。物事にひたむきで努力家なのはリズベットの美質なのだろうが、放っておけばあらぬ方向へ行ってしまうという
「忘れたわけではあるまい」
「なにをですか?」
「ここに来た時のお前の扱いを。宿には断られ、卑猥な言葉を浴び、仕舞には
「そうですね……。軽率でした。すべきことが見つかって安心しちゃったのかも。それに、なんかずっっっっと森にいたから、こういうところを歩いて浮かれちゃったんですかね。たぶん」
「……」
「すいません」
「……少し、遠回りをするか」
「いいんですか?」
「中心部と違って、こっちは異人種に対する扱いもいくらかマシなようだ。少しなら構わんだろう」
「ありがとうございます。ヨキさん」
人たらし、か。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます