第33話 事件解決か

「生意気ね……。あなたなんかにできるとでも思っているの――!?」

「もちろん――そのつもりですわ!」


 駆ける。

 正直、私の方が分が悪いのは明白だった。


 このおかしな空間による彼女の優位性が失われていることは、まず間違いない。

 その上真斗との交戦で、負傷もしている。


 それでもなお、私の方が弱い。

 しかしそれは、長引けばの話だ。


 体力が限界にきている私にとって、これ以上戦うことは、どだい無理なのだ。

 だからこそ一撃で――決めてみせる。


「ふん、なら燃えてしまえばいいわ。骨すら残さず、焼き尽くしてやる!」


 今の聖は徒手空拳だ。

 弾かれた大鎌は、その手にはない。

 一方の私も短剣を失っていたので、素手同然だった。


 だからここで彼女が鬼火を使ってくることは明らかで、そしてそれは正しい。

 これまでの状況判断から、私がそれを防ぐ手段は無いはずなのだから。


「死ぬがいいわ――後悔しながら!」


 蒼い炎。

 聖より溢れ出したそれは、怒涛の勢いとなって、私に向かって打ち放たれる。


 ――ここからは、伸るか反るか、だ。


「――戻レ、八ツノ禍ツ火、硝魔ノ凶ヨ。炎ト為リテ、白夜ヲ焦ガサン――――」

「ほお?」


 驚いたように兄が声を上げたけど、もちろんそんなことに気づける余裕も無い。

 私は懐に大事に持っていた物を取り出すと、全身全霊をかけて、咒を発動させた。


「〝硝魔八凶の黒炎イクティオン″よ!!」

「な……!?」


 蒼い炎を包み込んだのは、漆黒の炎――

 現実にはあり得ない、黒い炎。


 発動した……!


 今の私の体力と精神力で、どこまで維持できるか分からなかったものの、まずは呼び起こせなくては話にならない。

 これまで見てきた鬼火の威力と推し量っても、この黒炎ならば決して引けをとらないはず……!


「うそ……こんなこと……!」


 驚愕したのは聖だった。

 それも当然だ。

 由羅ならばともかく、私なんかに鬼火を防がれ、むしろ食い破られかねない勢いで押されているのだから。


「なんで――あり得――」


 あと数秒、もってくれればいい。

 私は残った体力全てを使って強化咒法を自身にかけ、蒼と黒の炎が食い合う火炎の中へと飛び込み――聖の真正面へと躍り出る。


「!!」

「これで最後ですわ!!!」


 気力を振り絞り、動けずにいた聖の腹目掛けて拳を捻り込む。


「く、は……!?」


 身体中の空気を搾り出すかのような悲鳴を上げて、彼女は後方へと吹き飛んだ。


「――――」


 そこで完全に力尽きたせいか、私は余った勢いのまま地面を転がってしまう。

 その時の拍子で、手にしていたものがヂンッ、と硬い音を立てて跳ねていった。


「ふ……く」


 ……ああ、だめ。

 ちっとも身体が動かない。

 聖がどうなったのか、確認しなくちゃいけないのに……。


「……ったく」


 しばらくひっくり返ったままでいたら、誰かのぼやくような声が聞こえてきた。


「見てて冷や冷やさせてくれるよなあ……たまらねえ」

「だったらどうして任せたりしたんだ?」

「いやまあ、誰にだって見得はあるだろうし、それに何ていうか、いつになく真剣だったしさ。断われるわけがねえだろ」


 そういうそっちだって、とか何とか、男二人が話しているのがぼんやりと耳へと入ってくる。

 ほとんど雑音程度にしか認識できていなかったけど。


「――にしても、要がこんなすげえ咒法使えたってのは知らなかった。ってか、茜の咒法にそっくりだったよな。確か本人でも相当難儀する物騒な咒法だったはずなのに、あいつ、何考えて教えたんだか」

「いや、たぶん違うぞ真斗。茜くんじゃないな」

「そうなのか? けど、他に誰が……?」


 由羅は咒法の類はほとんどできないはずだし、と真斗。


「まあ察しはつくが、その話は後回しだ。……っと、しばらく見ないうちに、ずいぶん成長したもんだな」


 誰かがそっと、私を抱きかかえてくれた。

 疲労のせいか視力も低下していて、ほとんど何も見えていない。


 でも、この感覚は兄に間違いない。

 うん、きっと。


「そっちはどうだ?」


 兄の声。


「あー、完全にのびてる。要のやつも、最後は殴り飛ばすなんて、誰の影響だか」

「お前じゃないのか?」

「馬鹿言え。由羅か茜だろ」


 俺は殴り合いは嫌いなんだからな、とか真斗が唇を尖らす。


「で、どうする真斗」

「とりあえず黎と合流しよう。この場所は……あんまりいい感じがしねえしさ」

「そうだな」


 そこでいったん、会話は途切れた。


     ◇



 それからどれくらいたったのかは分からない。


 う……。

 全身が痛くて、目が覚めた。

 ぼんやりとまどろむことができないくらい、身体中が痛い。


「…………っ」


 全身筋肉痛といった感じで、これはさすがにたまらない……。


「要!」


 私の目が覚めたことに気づいてか、よく知った声が耳元でした。


「由羅……?」


 視界いっぱいに広がっていたのは、こっちを心配そうに覗き込む彼女の顔。

 なんだかそれだけで、安心してしまった。


「……おはようございます、ですわ」

「あ、寝ぼけてるし」


 失敬な。

 起き上がってみて、どうやら自分は彼女の膝の上にいたのだと、今更ながらに気づく。


「……起きて大丈夫?」

「もちろ……っ」


 撃沈する。

 ……無理でした。

 やっぱりとんでもなく痛い。


「駄目みたいですわ……」

「そう。じゃあこのまま」


 何が? と聞き返す前に、由羅に抱きしめられてしまった。


「う……? な、なんですのいきなり……?」


 じたばたと暴れてみるが、ちっとも力が入らない。

 というか痛い。


「要のばか。どうしてあんな無茶したの」

「あ……」


 どうやら由羅を外に出して、自分一人で聖に挑んだことを怒っているらしい。

 でも無茶というなら、よっぽど由羅の方が無茶苦茶してたと思う。


「聖――彼女、どうなりました?」


 そういやここはどこだと周囲を見回してみるが、どうやら屋内ではなさそうだった。


「彼女の今後なら、あっちで話しているわ」


 コツ、と足音がして、そっちに瞳を向ければ、黎が私のすぐ傍へとしゃがみ込む。

 ……あっちって。


 よく見れば、ここはまだ校内のようだった。

 風は冷たい。

 その割には少しも寒くないのは、由羅のおかげだろう。


「……ん?」


 黎が指し示したここから少し離れた場所には、男性が三人いた。

 一人は兄で、もう一人は真斗。


 そして最後の一人は――


「……紫堂くん?」


 どうして彼がここに……?


「彼から事務所に連絡があったのよ」

「え?」

 黎の言葉に、

少なからず驚いた。

 もしかして、彼が……?


「あなたが戻っているかってね。もちろんあなたは帰ってきていない。で、何かきな臭いことになってるかもしれないってことで、わたしたちが来たのよ。茜がちょっと動けなかったから、真斗と定を強引に引き連れて、ね」

「はあ……」


 そういや茜の姿が無い。

 動けないって、何でだろう……?


「でも、どうして……その、兄上が?」


 何より驚いたのは、兄が来てくれたことだった。

 京都にはいないはずなのに。

「少し余裕ができたからって、久しぶりに顔を出しにきてくれたのよ。ちょうど帰ってきた矢先に、ね」

「そう……ですか」


 それを聞いて、気分は嬉しさ半分、だった。


 今回の自分たちの行動は、色々と反省すべき点も多い。

 兄には恥ずかしいところを見られたことにもなる。


「定、あなたのこと褒めていたわよ?」

「……え?」


 きょとん、となった。

 思いもよらない言葉に。


「うん。定ったら、しばらく要のこと独り占めして私にくれなかったんだから」


 とは由羅の言。


「な、なんて兄上は……?」


 気になった。とてもとても。


「よくやった、って」

「…………」


 ふふふふ。

 頬が緩む。

 素直に嬉しかった。

 やっぱり、兄の言葉が一番いい。


「ブラコン~」


 私の表情を見てか、由羅が茶化してくるけど、ちっとも気にならない。


「それより、由羅は大丈夫ですの?」


 思い出してみれば、何だかんだでひどい怪我を負っていたのは由羅の方だ。


「あ、もう治ったから」


 けろりん、とそう言われて、可笑しくなる。

 本当、でたらめなんだから。


 さりげなく脇腹の傷を見てみるが、もう出血している様子はなかった。服はまあ、血塗れだったけど。


 しばらく三人を眺めていたら、話がついたのか、紫堂くんが離れた。

 こちらに気づいてか、軽く手を振ると、そのまま行ってしまう。


「あ……」


 聞きたいことはあったとはいえ、今はどうしようもない。

 ともあれ今回は、どうも彼に助けられたということになるのだろう。


 私たちが素直に帰るとは思っていなかったってことかなあ……やっぱり。

 勘がいいのか、それとも単純に心配してくれただけか――とにかく、今度ちゃんとお礼を言わないと。


「起きていいのか?」

「は、はい」


 やってきた兄に聞かれ、私は由羅の抱擁から抜け出そうともがいたものの、無駄に終わってしまう。

 ……由羅のばかちん。

 兄の前でこんな格好、恥ずかしいのに……。


「その、お二人とも……助かりましたわ」

「おれはなにもしてないがな」

「まあ俺も。最後を決めたのは要だしな」


 兄に水を向けられても、真斗は少しも誇る様子もなく、ふわあと欠伸などしながら答えてくる。


「ま、真斗。その……ごめんなさい」

「あん?」


 私をぬいぐるみか何かと勘違いしているようで、彼女はこっちをぎゅうっと抱きしめたまま、そんなことをぽつりと呟く。

 その、ちょっと……ていうかかなり痛いって、由羅!


「私、少しも役に立てなくて……なんだか迷惑かけて」


 もの凄く元気なさげな様子に、そういえば彼女は真斗に会うのを避けていたなと思い出す。

 今回のことは、由羅にしてみれば決して自分の望む形で解決したとは言えないだけに、合わす顔に困っているのだろう。


「……馬鹿言わないで下さいな」


 なので、口を出すことにした。


「あなたがいなくては、わたくしはどうにもなりませんでしたわ。真斗も、由羅を責めない下さい」

「いや、俺は何も言ってねえんだけど」


 困ったな、と頭を掻きつつ、彼がしゃがみ込んでくる。


「何だよどーしたらしくねえな。一生懸命頑張ったんだろ?」

「う、うん……」


 こくり、と頷く由羅。


「だったらいいだろ。それに、そのなり見て文句言うよーな奴がいたら、俺がぶん殴ってやるから心配すんな」

「あ、うん、えと……ごめんなさい」

「だから謝る必要なんかないって」

「う、う~」


 困ってしまったように、由羅は私に顔をうずめてしまう。

 いや、由羅、気持ちは分かりますけどわたくし全身筋肉痛でもの凄く痛いのですけど!


「おーい、何か要が死んでるぞ?」

「え、わわっ」


 真斗の指摘にようやく事態に気づいた由羅が、慌てて両腕から力を抜いた。


「きゅう……」


 な、気分でぐったりとなる私を、今度は細心の注意を払って抱きとめてくれる。


「だ、大丈夫?」

「もう駄目ですわ……」

「そんな~」


 半べそになる由羅を尻目に苦笑すると、真斗がよいしょと立ち上がった。


「ちなみにお前がやっつけた相手だけど、さっきの紫堂っていう学生に預けることになったから」

「え、どういうことですの?」


 予想外の言葉に、今度は痛みを忘れた。


「あいつも九曜の関係者だってな?」

「あ、はい。本人からはそう聞いていますわ」

「あの女子生徒が異端者だったってことは?」

「直接誰であるかは教えてはいただけませんでしたが、この学校にいるということは事前に」

「ああ。どーやらあいつ、監視の任にあったらしくてさ。事が起こった際には本家に送ることになっているらしい。まあとっ捕まえたのはこっちだし、優先権はこっちにあったんだけど……本家が絡むのは遠慮したくてな」


 本家というのは、九曜本家のことだろう。

 ……なるほど、そういうことか。

 彼の様子から、何となく悟る。


 真斗は九曜の組織体系に属しながら、本家との関わりをあまり持ちたがらない。

 それは彼自身に問題があるのではなくて、茜に問題があるからだ。


 彼女は九曜の直系でありながら、小さい頃に本家を飛び出して、今の今まで帰っていない。

 縁は切られてはいないらしいが、とにかく気まずい関係なのだ。


 もちろんここで仕事をするにあたって、無関係でいられるはずもない。

 そこをうまくしてこられたのは、姉である九曜楓の存在があったからである。


 ところが今、その姉が行方不明ときている。真斗にしてみると、彼女のいない現状で茜を余計なことに巻き込みたくないという気遣いがあったのだろう。


「悪いな。せっかく頑張ったのに」

「いえ、構いませんわ。あなた一人の判断、というわけでもないでしょうし」


 隣を見れば、それに応えるように黎は軽く肩をすくめてみせた。

 彼女も同じ判断をしたのなら、私に言うべきことは何もない。


「あいつは怒るだろーけどな。ま、俺が怒られておくよ」


 頼り甲斐があるんだかないんだか、よくわからない台詞である。


「さて、そろそろ帰らないか。戻った早々、少しも休めてなくてな」


 欠伸を隠さずにそう言う兄の言葉に、この場のみんなは一様に頷いて。


「そーだな。俺も眠いし」


 と、真斗は思い出したように振り返る。

 由羅へと。


「ところでさ」

「なに?」

「桐生由羅って、何だ?」

「あ」


 返事に窮する彼女を見ながら。

 私は数日振りに、帰途についたのだった。

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