第15話 事情聴取

 連絡をしてから十分とたたずに、部屋のドアがノックされた。

 私がドアを開けると、少々慌てた様子の紫堂くんの姿があった。


「すまない。うちの会長が何かしでかしたようで……」

「おはようございます、紫堂くん。とりあえず入って下さい」

「あ……ああ」


 生徒会にいる時とは打って変わって動揺しているのか、こちらの挨拶にも曖昧に頷くだけで、部屋へと入ってくる。


 数歩進んでから、彼は躊躇うように立ち止まった。

 その様子に私はすぐに察して、声をかける。


「気になさらないで下さい。昨日入ったばかりで、部屋には何もありませんから」

「……そうだな。じゃあ改めて失礼するよ」


 苦笑して、紫堂くんは奥へと入っていく。

 彼が入るのを躊躇したのは、ここが女性用の寮の一室だったからだろう。


 本人に自覚があるのかないのかは知らないが、それなりに紳士なんだと思う。

 私の兄のように。


「遅いぞ」


 中へと入った彼を待っていたのは、先輩の無遠慮な言葉だった。


「いったい何をしでかしたんですか。こんな早朝から」


 ベッドの上でちょこん、と座っている先輩を眺めなら、紫堂くんは頭を掻いた。


「わたしにもわからん。というより覚えていない。聞いた話では、私が彼女を刺したらしいが」

「刺した……?」


 紫堂くんが視線をさまよ彷徨わせ、由羅を見て止まる。


「もしかして、桐生さん、君を?」

「そう。すっごく痛かったんだから」


 むー、と威嚇するように、由羅は言う。


「お前が来るのが遅いせいで、わたしはここで軟禁状態だ。やはく釈放させろ」


 今の由羅の雰囲気は、はっきり言ってかなり剣呑だ。

 それなりに怒っているようで、その場は威圧するような空気に支配されている。

 腹をすかせた猛獣でもいるかのようだ。


 だというのに、隣にいる襟宮先輩には全く動じた様子も無い。

 その威圧のほとんどが先輩に向けられているというのに。


 私だったらとてもじゃないけど耐えられない。

 豪胆なのか、鈍いのか、とにかく大したものである。


「ちょっと待ってくれ……。事態が掴めない。順を追って説明してくれないか」


 さすがに困ったように、紫堂くんが言った。

 彼の言うことはもっともで、いきなり呼び出された挙句にこれじゃあ、何がなんだかわからないはずだ。


 昨夜あったことは、すでに襟宮先輩本人に話してある。

 一通り聞いた彼女の反応は、覚えていないの一言だった。


 そう言われてしまうと、こちらとしても対応が難しい。

 本当に覚えていないのか、それともしらばっくれているだけなのか。


 どうしたものかとこちらが悩み始めたところで、襟宮先輩が紫堂くんを呼んで欲しいと言ってきたのだ。

 彼も寮生で、携帯で連絡したらすぐに来るとのことだった。


 もっとも大した事情は説明していないので、襟宮先輩が何かやらかした、といった程度のことしか今は知らないはずではあるが。


「わかりました。……構いませんわね?」


 紫堂くんへと頷いた後、一応ということで襟宮先輩に確認しておく。

 先輩もそのつもりで呼んだからか、特に拒否するようなこともなかった。


「昨夜のことです。わたくしと彼女とで、校内を回ったのが深夜……十二時過ぎくらいだったでしょうか」

「それは、例の調査ということで?」

「はい。幽霊騒ぎの件についてです」

「まあ、そのために彼女が来たんだしな……。それで、その時に何かあったということか」


 その通りだと、私は頷いてみせる。


「しばらくして、わたくし達二人は襲われました」

「襲われたって」


 話がいきなり飛躍したと感じたのか、紫堂くんは眉を寄せた。


「その襲った相手というのが、会長だと?」


 私は首を横に振る。


「最初に襲ってきた相手は複数でしたが、どれも見覚えの無い者ばかりでした。ただその全員が、この学校の制服を着ていましたが」

「じゃあ……この学校の生徒に襲われたっていうのか。しかし……そんなこと……」


 信じられない、と零す彼の言葉には、半ば私も同感だった。そもそもあの出来事自体が、すでに信じられない――というか、どう判断すべきなのか分からないといった状況だ。


「この学校の生徒かどうかはわかりませんわ。そもそも人間かどうかすら、不明なのですから」

「……? どういう意味なんだ?」

「消えてしまったの。まるで幽霊みたいに」

「は?」


 口を挟んだ由羅へと、それこそ意味が分からないと紫堂くんは声を上げた。


「消えたって……逃げられたってことなのか?」

「いいえ。由羅の言う通り、幽霊か何かのように霞のように消えてしまったんです。逃げられたといえば、実際そうなのかもしれません」

「…………」


 私がそう説明すると、紫堂くんはしばらくの間黙りこんでしまった。

 正直言って、すぐに信じられる話ではない。

 それでも頭から否定しないのは、例え噂であっても幽霊云々の話があったからだろう。


「あれが本当に噂の幽霊であったのかどうかは、わたくしとしても疑問の残るところではあります。ただ、その生徒の姿をした幽霊のようなものが消えた後に、今度は襟宮先輩が現れたんです」

「それで……やられたのか」

「ええ」


 あれは完全に不意をつかれたといっていい。

 あの由羅が、ほとんど反応もできずにやられたのだから。


 その辺りのことを詳しく説明すれば、紫堂くんは難しい顔になりながら先輩と由羅を見比べた。

 どっちも不機嫌でむっつり顔だ。

 二人して美人が台無しである。


 彼はしばらく二人を眺めていたが、ややしてから一つ溜息を吐き出して、私へと視線を戻した。


「……疑問があるんだけど、いいかな」

「どうぞ」

「君の話だと、桐生さんは相当の重傷を負ったことになる。だけど、今見る限りは」

「ぴんぴんしているように、見えますものね」


 このことに関しては、私も苦笑いするしかなかった。


「もしわたくしが同じ目にあっていれば、死んでいてもおかしくないほどの出血だったのは確かです。ですが彼女は……少々特別なので」


 特別の一言で納得させることができるとは思っていないが、それでもそれ以外の説明など不可能だ。

 由羅が異端者と呼ばれる存在だと告げたとしても、一般人に理解できる内容じゃない。


「怪我の程度はともかくとして、問題なのは実際に刺されたということですわ。刺した本人と、そして凶器もありますので」


 言って、私は机に無造作に置かれた短剣を指し示す。


「――あれが?」

「はい」


 紫堂くんは机の傍まで行くと、触れることなく短剣を眺めやった。

 何の変哲も無いように見えるものだけど、由羅を刺したものであることには違い無い。何より黒ずんだ血の跡が、べっとりと付着したままになっている。


「これから会長の指紋でも検出されれば、動かない物証というわけか」


 それを聞いて、私は肩をすくめた。


「わたくしのものも、由羅のものも出てくるとは思いますけれどね。もっとも、これを警察などに提出するつもりはありませんから」

「――どうして?」

「こちらとしても、騒ぎは望んでいませんので」


 何より、由羅という存在を公にするわけにはいかない。面倒なことになるのは目に見えている。


「それに……不可解なこともあります。きっと、警察では事件現場を特定できないでしょうから」


 由羅がやられた場所は、今でもちゃんと覚えているし、消えてなくなってもいない。

 それでもあの現場には、何の痕跡も残っていない気がする。

 由羅の出血の跡も単に洗い流しただけとも思えないし、きっと調査したところで血液反応すらでないだろう。


「それはどういう意味なんだ?」

「何か、常識では考えられないような事象があった、と解釈するのが今のところは妥当なのだと思います。今のところ、確かな物証として残っているのはその短剣と、先輩――それにわたくし達の記憶のみなので」


 要するに、実際の当事者である私達でさえ、その場であったことをうまく説明できないということだ。


「ですから襟宮先輩も、ただ単に巻き込まれただけの可能性もあるんです。誰かか、何かに利用されただけかもしれません。――もっとも、やはり先輩が本当の意味での犯人である可能性も捨てきれませんが」


 私達が幽霊云々について調査することを知っているのは、この学校では生徒会のメンバーだけである。

 現実的に考えるのならば、生徒会のメンバーが怪しいということにはなる。

 もっとも動機が全くもって不明だし、可能性としては低いかもしれない。


「まあ……表沙汰にしないっていうのは……助かるよ」


 少しほっとしたように、紫堂くんがつぶやく。

 そして襟宮先輩を見返した。


「ちょっと待て紫堂。何だその目は? わたしを疑っているのか」


 彼の顔を見て、むっとなったのは襟宮先輩だ。


「疑われるようなことをしたのは会長でしょう」

「わたしにはした覚えはないと言っているだろう。そもそもわたしが彼女を刺す理由が無い」

「理由ですか」


 紫堂くんは由羅と先輩を見比べた後、意地の悪い笑みを浮かべてみせる。


「自分以上の美貌の留学生に嫉妬でもしたんでしょう。それで思わず刺してしまった、と」

「何を言う。わたしは自分の容姿を他者と比較しなければならないほど、中途半端なものを持ち合わせているとは思ってないぞ」


 うわ、凄い自信。


「……まあ、彼女が美人なのは認めるが」

「自信過剰も大概にして下さい。聞いていて恥ずかしくなりますので」

「お前が言わせたんだろう」


 そんな二人の会話に挟まれて、由羅は半ば敵意を霧散させてしまっていた。

 緊張感が無いといえば無いといえる、そんな会話に毒気を抜かれてしまったらしい。


 とはいえそれは私も同じだった。由羅を刺したのは先輩に間違いはないが、それでも彼女が犯人だという気になれない。


「――最遠寺さん」


 色々考え込んでいたら、不意に声をかけられた。


「はい?」

「会長の身柄だけど、俺に預からせてくれないか」

「……紫堂くんが?」

「俺が責任をもって、彼女のことは監視するから。馬鹿な真似はさせないように」

「待て、誰が馬鹿だ。そもそもわたしはお前のものではないぞ?」


 聞き捨てならない、とばかりに先輩が口を挟んだけど、紫堂くんの冷たい視線で一蹴されてしまう。


「会長は黙っていて下さい」

「む……」


 結局黙り込んでしまう襟宮先輩。


「それで――どうかな。こんなのでも一応、この学校の理事の親戚筋に当たるからね。会長が馬鹿なことをしたなどと触れられると、録洋台の体面にも傷がつく。せめて真実がはっきりするまでは、穏便にして欲しい」

「こちらで監禁しようなどとは考えていませんでしたから、別に構いはしません……ですが、どうして紫堂くんが?」


 なぜ彼が身元引取り人みたいなことをするのだろう、と純粋に疑問に思った。そういえば先輩も、どうして彼を名指しで呼びつけたのか。単に生徒会のメンバーだから、というわけでもないと思うし。

 そこで紫堂くんは苦笑いしてみせた。


「俺が、特別寮の方に住んでるのは知ってる?」

「……いいえ?」

「ちなみに会長も住んでるんだ。まあ理事の親戚だし、当然といえば当然なんだけど」

「はあ」


 学生寮に特別の名のつく場所があることは、一応知ってはいる。

 もっともその場所は学生寮ではなくて、主に教職員用の寄宿先といった方が正しい。

 無論、一般の学生寮などより広く、作りも設備も段違いに良いとか。


「実を言うと、俺は襟宮の遠縁でね。そもそも襟宮家自体、とある名家の分家なんだ。俺の家はその名家の末端の出で、そういう繋がりでこの学校に入った、って感じなんだよ。えこひいき、コネ……まあ何でもいいけど、そういう類のものかな」


 なるほど、と私は納得した。

 先輩と紫堂くんの関係が妙に近しいのは、全くの他人というわけではなかったからか。


「……わかりました。それではお願いすることにしますわ」

「良かった。助かるよ」


 それで安心したのか、紫堂くんは表情に笑みをみせる。


「えー、いいの?」


 一番の当事者でありながら、蚊帳の外にいた由羅が、当然というべきか不満の声を上げたのだが、私としては彼女をなだめるしかなかった。


「いいんです。今は、ですけれど」

「うー、とっても痛かったのに」

「ですが先輩も、由羅に気を失うほど殴られているんですから」

「殴ってないもの。ちょっと振り払っただけなんだから」


 それでもあれだけ吹き飛ばしたのだから、やられた方としてはしたたかに身体を痛めていても不思議じゃない。


「……そういえば先輩。身体は大丈夫ですか? 痛むところとかは」


 私に聞かれ、襟宮先輩は軽く身体を見渡し、両手を握ったり開いたりして感覚を確かめてから、首を横に振った。


「別に、痛むところは無いが。……わたしは何かされたのか?」

「まあちょっと……大人しくしてもらっただけなので」

「いかがわしいことをされていないのであれば、別にいいが」


 平然とそんなことを言う先輩へと、私は苦笑する。

 本当、豪胆なひとだ。

「とりあえず、この迷惑女は連れていくよ。朝早くからすまなかった」

「いえ。また放課後にでも、生徒会室に伺いますので」


 紫堂くんは頷くと、まだ不満そうにしている襟宮先輩の手を強引に引っ張って出て行った。


「ふう……」


 息をついて、私はさっきまで先輩に占領されていたベッドへと腰掛ける。

 すぐに由羅と目があった。


「不満なのはわかりますが、とりあえずはわたくしに任せてくれませんか」

「別に、不満じゃないもの」

「顔にそう書いてあります」

「うー、だって……」


 あっさりと容疑者である先輩を手放してしまったことに、由羅が不満を覚えるのはどうしようもない。

 私が逆の立場であったとしても、同じように思うだろう。


「ですが、留めておいても仕方がないんです。ここは学校ですし、実際騒ぎを起こすわけにはいきません。昨夜のことも、痕跡が残らなかったのは不可解ですが、不幸中の幸いだったかもしれませんわね」

「……そうよね。あんまり騒ぎ立てたら、真斗に怒られちゃうし……」


 実際にそうなった場合、一番に怒りそうなのは茜だろうが、由羅にしてみると真斗に同様に怒られる方が嫌らしい。


「でも、どうするの? これから」


 聞かれ、私は由羅の腹の部分へと視線を送る。昨日、刺された場所だ。


「由羅、傷はもう大丈夫なのですね?」

「うん。もう治ってるから」

「それならば、今夜も同じように校舎を回ってみましょう。昨夜のことがわたくしたちを狙ってのことなのか、それとも自動的に起き得るものなのか、いずれにしろまた何かアクションがあるはずですわ。もう一度同じ状況になれば、また何か掴めるかもしれませんし」

「そうよね」


 こくり、と彼女は頷く。

 危険であることは間違いないが、あっさりと由羅は承諾してくれた。


「昨日は私のせいで迷惑かけちゃったけど、今度はもうやられないから」

「気になさらないで下さいな。何よりあなたがいてくれたおかげで、わたくしは無事でいられたのですから」


 迷惑だなんて言われると、私が困ってしまう。

 私の言葉に由羅は何か言おうとしたようだったが、その前に私は続けた。


「それともう一つ。由羅は昨日、わたくしたちを襲った生徒の顔を、覚えていますか?」

「え? うん、たぶん覚えてると思うよ?」

「では今日は、同じ生徒がいるかどうか捜してみましょう。わたくしはうろ覚えなので、助かりますわ」


 昨日の幽霊もどき生徒が、この学校にいる可能性は低いとは思う。

 でも襟宮先輩の例があるし、全く無いとも言えないのだ。

 もし万が一、そういった生徒がいたとすれば、今回のことの解決への糸口になるかもしれない。


 ……まあ、でもやっぱり可能性は低いかな。

 でもこの辺りの地道な調査をしっかりやっておかないと、後で茜に色々言われそうだし……。


「ふぁ……」


 色々考えていたら、勝手に欠伸が出てしまった。

 あー、眠い。とっても眠いです……。

 と、急に由羅が話題を変えてきた。


「要、朝食は食べるんでしょ?」


 昨夜からろくに寝ていないせいで、どうにも眠い。

 さっきまでは先輩がいて緊張していたからか、さほどじゃなかったのに。


 なのに由羅ったら、私とは対照的で元気いっぱいだ。

 本当、身体の作りが根本から違うのだろう。


「あ、はい。さすがにおなかも減りましたので」

「じゃあ食べに行こう? 腹が減ってはなんちゃらって、いつも真斗が言ってるし」

「……そうですわね」


 昼食は学食というのが真斗の生活の基本であり、由羅はよくそれにくっついていっているせいか、あの大衆的な味が好きらしい。

 そういうわけで、この学校の食堂にも興味津々というわけなのだろう。


 私は大きく背伸びをして睡魔を強引に振り払うと、顔を洗いに洗面所へと向かった。

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