第14話 過保護


     /真斗


「うん……そうか、わかった」


 五分ほど話をした後、茜は受話器を置いた。


「……なんて?」


 茜が話していた相手は分かっている。

 俺は熱い番茶をすすりながら、聞いてみた。


「とりあえず由羅は無事だそうだ。まああれが寝込んでる姿も想像できないが」

「そりゃそうだけど」


 頷きながらも、何となく浮かない顔になっている自分に気づく。


「なんだ。心配なのか?」


 茜に聞かれて、さあと肩をすくめてみせる。

 昨夜――といっても、時間的には今日の深夜のこと。

 ちょうどエクセリアと一緒に行動していた時のことだ。


 茜から俺へと連絡があった。

 その茜は要から連絡を受けたのだが、その内容は由羅が負傷したというものだった。


 正直信じがたい話である。

 由羅は茜や黎と違って、これといった技術を持っているわけではない。


 だけどあいつ自身の身体能力はずば抜けていて、この事務所の面子の中では一番の運動量を誇っている。

 無駄に動きすぎ――というのが茜の言だし、俺も同感ではあるが。


 それはともかく、はっきり言ってあいつを傷つけることなど普通の人間には不可能に近い。

 それが負傷、とは。

 しかも潜入一日目にして。


「うーん……」


 唸ってみたところで、もやもやは消えない。何やら釈然としないもやもやは。


「時々お前は過保護だな」


 何も答えない俺をしばらく眺めていた茜は、どこか不服そうにそうつぶやいた。


「過保護?」

「そうだ」


 茜は自分の席を立つと、俺の隣の席までやってきて立ち止まる。


「エクセリアに対してもそうだが……由羅に対してはもっとだ。そう思うだろう?」


 無言で隣の椅子に腰掛けていたエクセリアの頭を撫でながら、茜が言う。

 もちろん、俺ではなくてエクセリアへと。

 こくり、と同意するエクセリア。


「おいおい」


 どーしてお前まで頷くんだよ。


「由羅の重傷は、私たちでいう擦り傷と変わらない。もっと軽いかもな。一、二時間放っておけば治ってしまうんだ」

「実際、治ったって?」

「多少、痛むらしいとは言っていたが」

「ふうむ」


 詳しいことは聞いていないが、由羅の負傷というのは、どうやらナイフのようなもので一突きにされた結果らしい。

 相当出血したらしく、焦った要が茜へと連絡してきたというわけだ。


 要は由羅がどの程度タフなのか、話に聞く程度にしか知らないはずで、だからこそ慌てたのだろう。


「そーゆうのはわかってるよ。けどいい気分はしねえだろうが」

「まあ、わからないでもないが」

「だろ? こういうのって、過保護とは違うと思うぜ」

「どうだかな」


 茜はふん、と鼻をならして、近くの椅子に座り込んだ。


「で、どう思う?」

「由羅のことか?」

「というよりは、要の学校についてだ。普通じゃない」


 同感だった。


「幽霊も出たって言ってたっけか?」

「らしいもの、だな。正体は不明だ。もっとも由羅を刺したのは、その幽霊ではないらしいぞ」


 由羅を刺した張本人は、あいつの反撃であっさりやられ、意識を失ってしまったという。放っておくわけにもいかず、由羅と一緒に要の部屋で拘束――というか、看病しているらしい。


「……いまひとつ状況がわかんねえな」

「情報が少なすぎるし、予想していなかった事態だからな」


 茜の言う通りだった。

 要が持ち込んだこの話について、誰もそんな大したことだとは考えていなかったはずだ。


 だからこそ、ちょっとした経験を積ませるつもりもあって、由羅を行かせることになったのである。

 経験、といっても仕事の、というよりは、あくまで学校経験という意味で。


「……ま、しばらく様子を見るしかないだろ」


 そう言うと、意外そうな瞳で見返された。


「あんだよ?」

「様子を見に行く、とか言い出すかと思ってたぞ」

「行かねーよ。まだな。あいつらだって一人じゃないんだ。力の足りない部分は由羅が、洞察の足りないところは要が補うだろうし」


 不測の事態に多少心配に思っていることは認めるが、まだこっちが手を出すほどじゃない。

 そんなことをしたら、あいつらの矜持が傷つく。


 そもそも俺が行ったところで役に立つかといえば、そうとは限らない。

 何にせよ、現状では様子を見るのが一番のはずだ。


「ふうん」


 気の無いような返事を茜は寄越したが、どっちかっていうとこいつの方が心配してるんじゃないかって邪推してしまう。

 素直じゃないからな、茜って。


「真斗。しかしそなたの様子を見るに、腑に落ちていないようだが」


 ぽつり、と的確な指摘をしてくれるのはエクセリア。

 思わず苦笑してしまった。


 ちょこん、と椅子に座って番茶をすすっている姿は、昨夜と違って子供のものだ。


「ん……まあちょっと」


 俺は曖昧に頷く。

 ちなみに昨夜の捜索は、手掛かり無しだった。

 エクセリアが感じたものも、場所を特定する前に茜から連絡があり、中途半端で終わらせてしまっている。


 唯一の気がかりだったのは、エクセリアの指し示した一帯に要の学校が含まれていることだった。

 関連があるのか無いのか――今のところ分からない。

 分からないから気になる、といったところだろうか。


 もっともそれが、エクセリアの言うように、俺が釈然としていない理由と関係あるかどうかは、自分でもよく分からない。


「勘みたいなもんかな。大した理由はねえよ」

「…………」

「……む?」


 茜とエクセリアの視線に挟まれて、思わずたじろいでしまう。


「な、なんだよ?」

「やっぱり過保護だ」


 茜の言葉にエクセリアもその通りだと同意して。

 俺は苦笑いしたのだった。


     /要


 携帯電話を切って、私は椅子へと座り込む。

 ふう、と息を吐いて時計を見た。


 朝の七時過ぎ。

 結局昨夜はあれから眠ることができなかった。

 仕方無いといえば仕方無い。


 ふああと欠伸して、目をこする。

 一応夜更かしには慣れているものの、眠いものはやっぱり眠い。


「……要、少し眠ったら?」


 そんな私の様子を見ていてか、ベッドで半身を起こしている由羅が声をかけてきた。

 私はゆっくりと首を横に振る。


「今眠ってしまっては、朝の授業に間に合いませんわ……」

「休めばいいじゃない」

「そういうわけにはいきません。ですが由羅、あなたは休んで構わないのですよ?」


 むしろ休んで、しっかりと回復させて欲しいというのが私の本音だ。

 もっとも当の本人はもう治ったの一点張りなので、休むなんてことは頭に無いだろう。


 ふう、と息を吐いて、ベッドにとりあえずは大人しくしている由羅を眺めた。

 本当にもう治ったのかどうかはともかく、昨夜あれだけの出血を負いながらもすでに元気そうに見えるのは確かである。


 そう――昨夜。

 私の目の前で、由羅はやられた。

 ナイフ――いや短剣で、脇腹を一突きにされたのだ。


 刃先が背から飛び出るほどに、深い傷だった。

 正直言って、女の力でここまで深く突き刺せるものじゃない。


 由羅はその場で物凄く痛がって、無理に短剣を引き抜いてしまった。

 それが良かったのか悪かったのかは分からない。


 ただ出血がひどく、二時間近く止まらなかった。

 思い出すだけでぞっとなる。実際、あの場は彼女からの出血で血の海になっていたのだから。


 私の勝手な感覚ではあるが、常人ならば三回は死んでいるほどの出血量だったと思う。

 さすがに私も焦りに焦ったのだけど、やがて出血はどうにか止まってくれた。


 そこからの回復は異常に早くて、見る見るうちに傷は塞がり、今では傷痕すら残ってはいない。

 由羅自身、発作でも収まったかのように、その時にはもうけろっとしていた。


『でも何だか変……。いつもならこんな傷、すぐ治っちゃうのに。凄く痛かったし、なんでこんなに長引いたんだろう……?』


 と、由羅は言っていたが、私にしてみればそれ以前の話だ。

 あれだけの出血をして、今ではもう元気、というのが分からない。


 それはまあ、由羅は人間ではなくて異端と呼ばれる存在だし、物凄くタフなんだということは聞いていたけど……。


 あの状況は最悪だったとはいえ、その後幽霊もどきに襲われることもなく、どうにか寮にまで引き上げることはできた。

 一つ分からないことがあるとすれば、由羅の血についてだ。


 由羅が部屋で落ち着いた後、私は由羅の血の始末をしに現場に戻ったのだが、すでに何の痕跡も残ってはいなかった。


 彼女の血だけでなく、割れたはずの窓ガラスすら、元に戻っていた。

 まるで狐にでも化かされたかのような気分である。


「いえ……もう一つか」


 血や窓ガラスは、あの幽霊もどき達のように消えてしまっていた。

 ところが一つだけ残ったものがある。


 由羅を刺した張本人のことだ。

 視線を由羅から横にずらす――そこにあるのは私のベッドで、しかしそこはすでに使用されていた。


 黒髪が印象的な少女。

 襟宮鏡佳。


 昨夜私達を襲った生徒達は、みんな消えてしまった。

 しかし彼女だけは残った。


 短剣を突き刺した際に由羅に弾き飛ばされ、そのまま意識を失ったようで、未だに目を覚ましていない。

 あの状況をどう判断していいか分からなかった私は、結局襟宮先輩も由羅と一緒に介抱することにしてしまった。


 かなりしたたかに由羅にやられたようだったけど、目立った外傷も無いようで、呼吸もちゃんとしている。

 ざっと見た限り、とてもじゃないが幽霊には見えなかった。


「ねえ、どうするの?」


 先輩を眺めていた私へと、由羅が尋ねてくる。


「正直どうすべきか考えかねていますわ……。ですがやはり、目を覚ますのを待って事情を聞くのが一番でしょう」

「そうかもしれないけど、待っていたら授業に遅れちゃうかも」

「かといって叩き起こすわけにも――」


 言いかけたところで、目が合った。

 もちろん由羅ではなくて、襟宮先輩とだ。


 むっくりと身を起こすと、先輩は目をこすり、改めて私へと視線を送ってくる。

 多少怪訝そうな顔であったものの、これといった驚きの様子もなく、表情は無かった。


「……ここは?」


 第一声を聞いてから、私はその場に立ち上がった。


「おはようございます、先輩」


「……おはよう。確か、最遠寺さんだったな……どうしてここに。いや、そもそもここは……」


 襟宮先輩は記憶を辿るように頭を巡らして、ふと視線を留めた。隣でじっと半ば睨んでいる由羅と目が合ってしまったらしい。


「……覚えてないの?」

「いや……意味がわからないが」


 由羅の問いに、先輩は眉をひそめる。

 様子を見ている限り、先輩は昨夜のことは何も覚えていないって感じだ。

 実際、自分が刺した相手を前にしても、彼女の態度は無警戒すぎるし。


「……要?」


 同じように感じ取ったのか、困ったように由羅が私を見てくる。

 それは私も同じで、でもだからといってお互いで困ってばかりでは話も進まない。


 私は少し迷ったものの、結局昨夜あったことを全て話すことにした。


「とりあえず、事情をお話します。考えるのはそれからということで」

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