第102話 光秀の誤算

 勝頼は信忠を引き揚げた。信忠は兵に、


「すまん。余は行かねばならぬ。貴様らは何としても逃げおおせ」


 と言い、熱気球に乗り込んだ。そこには信長の死体があった。


「勝頼殿。これは一体?」


「信長殿に頼まれた。首を光秀に渡すなとな。駿府にでも埋めてやろうかと思っている。死体が上がらない方が面白いと言っておったぞ。お主に渡しても良いが」


「それが遺言ならば勝頼殿にお預け致しとうございます。ここで最後に拝顔できて良かった」


 信忠はしばらく無言で信長を見つめていた。油断なのか、こんな簡単にあの織田信長が死ぬのか。自分の目で見てもまだ信じられない。いかん、こんな事をしている場合ではない。あらためて周囲を見渡した。

 しかしこれは何という乗り物だ。


「武田軍にはこのような物があるのですか?」


「これ一つだけだ。気球という。いずれは増やしたいが今はその余裕がない。さて、安土へ向か、え?」


 明智軍、左馬介の軍が安土へ向かって進み始めた。はえーよ、さすが光秀。これじゃ間に合わねーじゃん。


「信忠殿。安土城へ向かうつもりだったが間に合いそうもない。明智の狙いは安土城の占拠だろう。どうする?岐阜城か、それとも余と一緒に駿府へ行くか?」


「父の仇を取らねば。日向守を討たねばなりません」


 信忠は信長の死体を見ながら言った。


「どうやって?」


「本願寺残党を相手にしている丹羽勢、伊勢の滝川、蒲生、三七郎信孝を集めれば一万にはなりましょう。すぐにでも兵を集め攻めかかります。父は怪我をしたが逃れた。余が総大将となり、立てば諸侯は従うでしょう。明智の与力にも声を掛け、恩義を忘れ大罪を犯した日向につくものは地獄へ落ちると煽ります」


「では堺へ向かうとしよう。あ、そうそう。秀吉の事だが、既に播磨に戻りつつあるそうだ。光秀が謀反を起こす事を知っていたようだな」


「何だと。秀吉は毛利と向き合っていて動けないはず」


「後は自分で考えろ。黒幕が誰かをな。余は駿府へ戻って武田家の仕置をせねばならぬ。東国は心配いらん、信忠殿。存分に戦われよ」


 そうか、信忠を助けるとこうなるのか。さて、信忠君、せっかく助けたんだから簡単に死ぬなよ!でもこのパターンは秀吉も想定外だろうからどうなるの、これ?






 熱気球は本願寺近くの海辺へ降りた。そこには堺見物をしていた信勝一行が既に待っていた。


「父上、どこに行っておられたのですか。父上が不在の間に武田は大変な事に。この責任はどう取られるのです」


「信勝。いきなり手厳しいな。立派になった。話すと長くなる。駿府へ着くまでに話す。昌幸、戦艦駿河は来ておるか?」


「はい。すぐにでも出航できます」


 東の空が明るくなり海上に黒船が見えた。武田水軍は健在だった。勝頼は気球を片付けて駿河に積み込むよう指示し、同行していた本多忠勝に信忠に付いていき助けるよう命じた。


「忠勝、頼むぞ」


「はっ。お任せください」


「信勝。家督を継いだそうだな。余の事は大殿と呼べ。武田家はそなたの時代だ。そうだ、先程責任と申したな。余が責任を持って武田に天下をもたらそう。まずは駿府へ戻る。細かい事は船で話す」







 光秀には勝算があった。信長と信忠を仕留めれば、近くには手強い敵はいない。柴田勝家は越中だし、羽柴秀吉は備中だ。双方とも敵と向き合っており身動きが取れぬはずだ。兵の少ない丹羽と滝川は直ぐには動くまい。仕掛けるには半月、いや一ヵ月はかかるであろう。その間に与力大名を味方にし、朝廷、民の支持を得る。兵備を整えて逆らう者達を蹴散らす。


 新将軍として名乗りを上げ、忠誠を誓わせる。完璧な作戦だ。


 本能寺を落とし、妙覚寺の信忠軍も滅ぼした。直ぐに左馬介の軍を安土城へ向かわせ一気に攻めた。信長が死んだ事を伝え城を開けさせた。そのまま安土城を乗っ取り城にあった金銀財宝を全て坂本城へ移した。その他蓄えてあった米は諸士、城下の民に分け与えた。天下人、明智光秀からの贈り物だと叫びながら。


 翌日、光秀は各地の大名に信長が死んだ事を伝えるよう伝令をだした。上杉には柴田勝家を、毛利には羽柴秀吉を抑えるようにだ。敵になるか、味方になるかはわからないが出来るならば味方にしたい。


 そうしておいて、安土城にあった金銀を使い、朝廷へ献上し、中将に任ぜられた。京の各寺に寄進をし、京の民には今年を無税にする事を伝えた。一気に京の雰囲気は明智贔屓になっていった。


 だが、信長の遺体が見つからなかった。燃え尽きた形跡もない。そんなはずは無い、探せと何度も探させたが見つからない。さらに信忠の首も見つからない。そこに京で信長、信忠が生き延びて明智を攻めに来るという噂が広まっている事がわかった。


 そんな馬鹿な。あの状態で生き延びることができるはずがない。ただの噂だと強がりを言いつつ、与力大名の説得に文を書いた。


 細川藤孝、忠興親子である。忠興には娘の玉が嫁いでいる。間違いなく味方になると信じて疑わなかった。だが、すでに秀吉の手が回っていた。また信忠が生きているという噂もあり、光秀に味方する利はないと判断した。


「大恩ある織田家に対し弓を引くとは、たとえ岳父であろうとも許しがたし」


 光秀は驚いた。光秀の辞書には細川家が味方にならないとは書いてなかった。そして、筒井順慶である。順慶とは共に丹波征伐をした仲であり、味方になると信じていた。ところが、順慶はのらりくらりと返事をしなかった。この緊急時に焦らず様子を見ていた。ここにも秀吉の手が回っていた。


 そうしているうちに、秀吉が京へ向かってきていると情報が入った。また、信忠が軍を率いて京へ向かっていると。


 何が起きた?どこで間違ったのだ。光秀は安土城を焼き払い、坂本城へ引き上げた。

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