第54話 元亀三年

『昨日の敵は今日の友』という言葉がある。現代では善い意味で使われるこの言葉。実はこれには続きがある。

 

『今日の友は明日の敵』である。


 この戦国時代、同じ相手と同盟と破棄の繰り返し。その時の都合で攻めたり仲良くしたり。結局自軍の利を優先して臨機応変でコロコロ変えるのだが、皆これを繰り返し生き残っていくのである。


 北条は以前、今川を攻め駿河へ進出してきた武田を牽制する為徳川と組んだ。

 一時的に武田を追い出せたが、今は駿河をほぼ取られてしまった。


 今度は北条は長年の宿敵である上杉と同盟を結ぶために交渉を重ね、ついに人質として氏政の弟を上杉に出した。上杉との同盟が成立した。

 これは、武田の駿河への進行を食い止めたく信濃方面を上杉に牽制して欲しいからである。



 上杉謙信には子がなかった。北条氏政の弟に景虎の名を与え養子とした。上杉はもう欲しいものが手に入ったので、形式上同盟を結び、北条の手前軍を少し動かした位で適当にあしらっていた。


 上杉は一向一揆が活発になりそれどころではなかったのである。


 その一向一揆の親分が本願寺顕如。武田信玄から送られてくる金を軍資金に織田、上杉を攻めていた。




 織田と徳川の関係はほぼ主君と家臣である。織田の周りには敵が多く三好三人衆、松永、浅井、朝倉、本願寺顕如。織田包囲網と言われるが、個々の戦力としては脅威ではない。

 ただ、こいつらが連携してあっちこっちで振り回すのでなかなか崩せずにいた。そこで織田は上杉に頼んで武田を牽制させたりしていた。


 この時織田と上杉には一向一揆という共通の敵がいたのである。

 織田信長は、浅井朝倉を滅ぼすまでは武田に西上してもらっては困るため、色々な策略を用いて邪魔をしていた。




 武田信玄は病気の事もあり、いち早く西上したかった。ここで大きな変化点が現れた。信長の比叡山焼き討ちと北条氏康の死である。


 比叡山焼き討ちは信長の本気を世間に知らしめた。逆らうと殺される、次はお前だという恐怖が駆け抜けた。

 ただ神や仏を敵に回した。




 北条氏康は遺言を残していた。上杉と手を切り武田と組めと。氏康は上杉を信用していなかった。

 武田の鮮やかな戦略を長年見てきた氏康の命令は絶対だった。


 息子の氏政率いる北条家を生き残させるためには武田と組むのが最善策と指示して死んでいった。

 上杉は北条といきなり手切れになったが、組んでも利はないため、ラッキー程度にしか考えなかった。



 徳川は焦った。武田の背後の敵が減ったのである。で、信長に頼んで上杉を再び煽ってもらった。


 織田と武田は一応、嫡男信忠とお松の婚約が成立していたので表立っては衝突していなかったが、裏ではどう潰してやろうかとお互いに思案する不思議な関係だった。

 信長も信玄も子供の結婚はどうでも良かった。うまくいけば良し、ダメなら他の誰かをあてがえば良い程度の考えであった。





 このごちゃごちゃした状態が徐々に崩れ始めた。


 真田昌幸は京から戻った。信玄は重臣を集め軍議を開いた。昌幸はこの時信玄のお抱え衆の一人で戦では戦場を駆け巡る伝令係、普段は信玄の目となり足となり動く手駒で、京へは信玄の名代として出張していたのである。


 昌幸は言った。


「信長包囲網は長く持ちません。松永は口だけのお調子者、将軍義昭は世の中が分かっておらず足利将軍という既に価値のなくなった役職に縛られた愚か者です。

 浅井朝倉が滅ぶ前に武田が京まで行けないと武田の旗は上がりませぬ。比叡山を焼き、信長の勢いは鬼神のごとく。堺の町も制圧し日の本の国に流れる金、物を掌握しようとしています。

 鉄砲、弾薬も堺を経由する物が多く、ここを抑える事で有利に進めようとしています。残虐ながら、知恵もまわる、恐るべき敵です」


 勝頼は言った。


「武田は自前で鉄砲、弾薬を作ることができる。これはこの勝頼がこの日の為に幼少から確立したものだ。信長恐るに足らず」


「勝頼。信長には地の利がある。金もある。兵力もある。そう、武田にはお主が考案した数々の武器もある。だが、戦の勝ち負けは予想もしないところで決まる。

 桶狭間で信長が勝ったのには武力だけではなく、様々な力が働いたからだ。

 死んだ勘助は信長には天運があると言っておった。だが、信長は比叡山を焼いた。仏に刃を向けたのだ。そんな輩に天が味方するはずはない。

 今だ、今なのだ。武田は京へむかう。この事は隠す必要はない、忍びには堂々と武田が京へ登る事を調べさせれば良い。大軍の移動はどうせ筒抜けになる」


 信玄はこう言い、西上作戦を指示した。


 再度同盟を結んだ北条へは京へ向かうので、上杉の牽制と応援を頼み、一向一揆衆には越中から越後で暴れるよう依頼した。


 朝倉や本願寺にも京へ向かう事を告げ、織田軍を牽制させた。




 信長は焦っていた。朝倉が出てくるという情報が入った。信玄も西上してくると。

 上杉に一向一揆が暴れているのは武田が西上するためのものだから、越中に出陣するのではなく信濃を攻めてくれと頼んだが、謙信はそうはいっても目の前の火の粉を払わねばならなかった。


 信長は仕方なく、朝倉が出てくる前に浅井長政の守る小谷城を攻めた。


 信玄は信長が北近江に出陣したのを聞いて微笑んだ。そこに謙信が越中に出陣したと聞いた。


「好機到来、出陣じゃ」

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