第47話 オオカミさんはお月見がしたい
その依頼人を伏せられた調停は、真夜中に指定されていました。
大きなパンケーキみたいな立派な満月が空に浮かぶ中、私は寝静まった街を一人歩き、見慣れた正門の前に立ちます。
……所長からどうしても、と頭を下げられたものでつい承諾してしまいましたが、一体どなたの、どんなご依頼なのでしょう?
私はドキドキしつつ恐る恐る居住区へと続く扉を開け、そして、そこに立っていた人の顔を見て目を月よりも丸くしました。
「…………」
「えーと……そこにいますよね? 見えないので分かりませんが。どうも今晩は、良い夜ですねぇ、見えないので嘘ですが」
いつものように飄々と適当なことを言って、その人は────
黒い布を巻いて目元を覆われ、両手首を縄で縛られてそこに立つ、狼男のグレイさんは、満月の下でにこりと楽しげに笑いました。
「やあトール嬢、夜分遅くにすみません。あいかわらず威力に似合わず柔らかいオーラですね、ユージン君のは何て言うか棘がありましたから、まあ嫌われてたからなんですけど」
「…………」
「……あ、違いますよ? この目隠しはそういう趣味ではなくてですね、本能を刺激しないように視界を遮断しているだけで……ちょっと白ヤギ君、無事に調停始まったんですし早く解いて下さいよ、絵面がまずいんですよ付き合いたての彼女にヤバめの変態だと誤解されますよこれ」
「…………」
「…………」
目隠しと両手拘束された状態でよく正門まで無事に来られたな、とは思いませんでした。
何しろ彼のすぐ隣には、付き添いの方が立っていらしたので。
「……シオンさん?」
「トールさん!?」
私たちは同時にお互いを指差して唖然とし、グレイさんは目隠しされたまま、
「あ、ちょっと早くこれ取って下さい今絶対面白い顔してるでしょ絶対見たい!!」
とか珍しく焦っていました。この人もブレませんね。
「いや~~、まさか白ヤギ君の意中の調停師さんがトール嬢で? トール嬢がご贔屓にされてる神獣さんが白ヤギ君だったなんて? さーーーっっぱり気づかなかったなぁ、いやびっくりです」
布と縄を解き自由になった身体で伸びをして、グレイさんは犬歯を覗かせながらにこにこと上機嫌にうそぶきました。黒いくせに白々しい。
深夜の東区に人影は無く、私たち3人はオーラ範囲の関係でシオンさん、私、グレイさんの横並びで隊列を組み夜道を闊歩しておりました。んー、挟まれた感がすごい……。
シオンさんは調停師が私であることを知ってからずっと呆然とした顔をしてましたが、ついにくわっと目を見開いて眉をつり上げ、グレイさんに向かって牙を剥きました。ええ私越しに。
「嘘だっ!! 俺がうだうだしてるのずっとニヤニヤ楽しんでたんですね先生、この裏切り者!!!」
「まっさかー。僕がそんなに悪い大人に見えますか?酷いなあ白ヤギ君、傷つきます」
グレイさんがつらそうに眉根を寄せて泣き真似すると、シオンさんはハッとしておろおろし始めました。ん、んー、騙されやすすぎません?? 余罪がいっぱいありそうですね??
「シオンさんのお知り合いの狼男さんて、グレイさんだったんですね」
「じゃあ調停事務所に入り浸ってる所長さんのご友人が先生……?」
「あっはっは、そもそも居住区に住んでる狼男は僕だけなんだから、お互いに詳しく話せば簡単に気づけたことなんですけどね。もう少しじっくり会話をした方がいいですよ、お二人とも」
長めに仕掛けといた罠が上手く作用したことにグレイさんはご満悦で、すっかり遊ばれていた私たちは仲良く赤面して閉口するのでした。
「……それにしても、区長さんがよく夜間外出許可を出しましたね?」
「準禁種指定を作ったのは区長ですが、それを一番気に病んでるのも区長ですから。月に一度、満月の夜だけの、あの人なりの『すまんの』の表明ってとこだと思います」
「はあ……区長さんらしいですね」
ひそひそと顔を寄せて話していると、グレイさんは金の瞳を細めて呟きます。
「いやあ僕、憧れてたんですよね、新郎新婦共通の知人?ってやつ……式でスピーチとか頼まれちゃうやつですかね? 何を暴露……じゃない、喋ろっかなー」
「あなたには絶ッッ対何も頼まないんではりきらなくて大丈夫です!!!」
涙目でシオンさんは叫びましたが、いろいろツッコミどころをスルーされたので私は一人ぼっちで焦る羽目になるのでした。し、式ってあの式ですかね??
などと私が焦っている間にグレイさんは「ここです」と目的地の前で足を止め、上を指差しました。
「…………事務所、ですか?」
「ええ、って言っても屋上ですけど。時間押しちゃいましたね、早く行きましょう、待たせるとうるさいから」
けらけら笑うグレイさんの言葉に私は首を捻りましたが、早足で階段を上った先、建物の屋上へ出ると、すぐにその意味を理解し目を見張りました。
「所長!?」
「遅ぇよ馬鹿、半分ぐらい飲んじまったわ」
「堪え性ないなぁ……まあ良いですけど、僕は君と違って別に酒が飲みたいわけじゃないんで」
屋上にあぐらをかいて座っていた男性──我らが王都獣人調停事務所所長さんは、麦酒の入ったグラスを揺らしながら不機嫌そうに眉をひそめてグレイさんを睨みました。
それから私とシオンさんを見て、ほんの少し表情を柔らかくすると肩をすくめて見せます。
「よぉホープスキン、ご苦労さん。神獣君も正門までの付き添いありがとな。奢りだから気にせず飲んでくれ」
言って投げられた何かに驚いて目を瞑ると、すかさずシオンさんがキャッチしてくれてほっと息を吐きます。
……小瓶が二つ。お酒ではなく葡萄ジュース。
私とシオンさんはくすくすと笑って、お言葉に甘えて所長とグレイさんが並ぶ後ろに腰かけて乾杯をします。
「ああ、綺麗だなぁ月。正気で満月を眺められるなんてこの街に来るまでは思いもしませんでした」
グレイさんは金色の瞳をいっぱいに開いて、ただ幸せそうに、頭上の大きな月を見上げていました。
狼男が穏やかに満月を眺めて、友人とお酒を酌み交わすこと。
それが当人にとってどんな意味を持つのか、人間である私には完全には理解できません。
でもその声から滲み出るものに、私は自分が調停師であることを改めてうれしく思いました。
「あ、お前、幼年学校で将来の夢書かされた時もバカ正直に『人を襲わずに満月が見てみたい』とか書いてたよな。慌てて破り捨てたけど」
「酷いことするいじめっこがいるもんだなと思いましたよ……まあそれで仲良くなって気づけば今でもつるんでるわけですから、縁って不思議なもんですよね」
軽口をたたき合うお二人の後ろ姿に、二人がここまで歩んできた道を少しだけ想像します。
所長の顔に人相悪く刻まれた、爪で引っかかれたような傷痕の理由を聞いたことはないし、これからも聞くつもりはありません。
今こうして二人は仲良く月を見て、だらだらとお酒を飲んでいるのですから、そんなことはどうでもいいように思えるのです。
「この満月の夜の調停は、いつもユージン君に依頼してたんですけどね」
おもむろに呟いたグレイさんの言葉に、エミリア先輩を見送った夜を思い出して私は少し目を伏せます。
「シャッフルは毛玉の調停なんか断固拒否だし、フロムはモフれないグレイに価値はないとかって断固拒否だし、ロキのオーラじゃ幻獣種の調停は出来ないし……ってなると、お前しかいなくてな。悪いなこんな夜遅くに」
「ああいえ、仕事であれば何でも……」
……ユージンさん、事務所で一番の古株でしたし、お二人にとっても特別な仲間だったんでしょうね。
彼のように有能には振る舞えないけど、でも、このお月見のお供役の後任を私が務めてもいいのなら、それは名誉なことでしょう。そう思って微笑むと、所長は気恥ずかしそうに頬の傷を掻いて笑いました。
「ああそういえば、吸血鬼狩りのことですが」
一瞬で強張った私の肩を見て、シオンさんは制するようにグレイさんを睨みました。
しかしそれは、次に続くグレイさんの言葉によってどちらもゆるゆるにゆるんでしまうのでした。
「北部の山林の中でボッコボコにされた状態で発見され、吸血鬼のきゅの字を聞いただけで泣いて震え上がるようになっていたとか……依願退職者が続出して実質解体されたそうです」
「は」
「吸血鬼狩り狩りです」
「がりがり……」
…………あ、あれ? 『地獄の逃亡生活』とか言ってませんでしたっけ?エミリア先輩?
「いやね、そもそも吸血鬼と言えば幻獣種の最上位……ただ探知能力に優れただけの人間がいくら武装したところで太刀打ちできる相手じゃないんですよ。ニンニク嫌いとかただの好き嫌いらしいですし、弱点もほぼないんで。滅んだのも単に人の血を吸うことを拒んでひっそりと眠りについたからだとか……。それを吸血鬼狩りが死人に口なしとばかりに自分達の功績にすげ替えて武勇伝を広めまくっただけでしてね、いざ吸血鬼を怒らせたら赤子の手を捻るより簡単にグシャポイですよ、ハハッ」
グレイさんは笑いましたが私とシオンさんは笑いませんでした。
た、たしかにエミリア先輩は大人しく泣き寝入りするようなタイプじゃないよなーと思ってましたが、そんな、鎖を解いた途端元気よくボッコボコにするとは……
「飛行能力に高速回復能力、超音波・幻覚・催眠、おまけに怪力なんでもござれですからね……エミリア女史、本能に目覚めてから使う機会に恵まれてなかったからノリノリだったでしょうね。この国では正当防衛が大いに認められてますから罪にも問われないでしょう、いいなあ、僕も見てみたかったなぁ」
グレイさんはわくわくしてましたが私とシオンさんはドン引きしてました。
悲劇のヒロインだと思ったらラスボス大魔神だった的な……。
「大体、祖先が人間の血を吸ってきたから種族全てを悪と見なすなんて、何ともおこがましい話です。それであれば歴史上に殺人が蔓延してる人間なんて、とっくに根絶やしにされてる種族じゃないですか? 血を吸われたという被害報告がない限り、彼女を咎めるものはないでしょう。幸い、彼女が現在血を吸っている唯一の相手は、被害を訴える気がさらさら無い異常者ですしね」
その言葉に私は死んでいた目をパッと輝かせてグレイさんを見ます。
……ということは!
「ユージンさん、追い返されなかったんですね!」
「いや、彼も山林でボッコボコにされた状態で発見されたそうですが」
「ありゃー……」
「まあエミリア女史、押しに死ぬほど弱いですからね。上手いこと元の鞘に収まりますよ、絶対」
クックと笑うグレイさん。大嘘つきな彼ですが、こればかりはきっと心からの確信でしょう。
私は何度も頷き、隣のシオンさんをうきうきと見て声を弾ませます。
「シオンさん、先輩たち案外早く帰ってきてくれそうですね?」
「いや早すぎますよ……まだ区長の説得も制度の改定もできてないのに……」
「うーん……がんばって?」
「くっ…………が、がんばります……山羊シチューにされないように……」
ちょっとおいしそうと思ってしまったのは深夜の肌寒さのせいでしょう、私はふふっと笑って、不安げな背中をぽんぽんと叩いて鼓舞しました。
「ま、辞表はゴミ箱に捨てたしいずれあの二人は縛ってでも連れ戻すが……しばらく事務所の方も忙しくなるだろうからなー。たまにこうやって息抜きしながら、そこそこにやってこうや。な」
麦酒を一気に飲み干して月に杯を掲げる所長に、一同倣ってグラスを傾けます。
きっとエミリア先輩とユージンさんも見てますよね、こんなに大きな月なんですから。
うっとりと月を見上げてそう思っていたら、ふいに少し冷えた自分の手を、大きくて温かな手がきゅっと握って、私は目を瞬いて隣を見ます。
それから、妙にゆっくりと絡められる指にドキドキしつつ、むっと目を細めて口を尖らせました。
「……あの。こういうのは二人きりの時にしましょうねーって言ったのシオンさんですよ?」
「こんな月の綺麗な夜によそ見する人なんか誰もいませんよ。嫌なら言って下さい、すぐ離します」
月を見たまま冷静にそんなことを言うのが、何だか私より大人びて見えてまた口を尖らせつつ、私は絡められた指先に少し力を込め、とん、と大きな肩に頭を預けて呟きます。
「…………いじわる」
「慣れてください、これからずーっとこうですよ」
あはは、と笑ってとんでもないことを言う彼に、事務所よりこっちの方が大変ですと頭を痛めつつ。
気づかれないように小さく笑って頷いた私を、きっと見ていたのは月だけでした。
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