第45話 吸血鬼事件6
「……ってことだからさ、実は私ってトールちゃんより年下だし、いやむしろシオン君と同い年なんだよね……ごめんね、年上面して」
明るく笑う先輩に、「調停師として尊敬すべき先輩なのは変わりません」とどうにか返します。
喉の奥がきゅっと締まって目の奥が熱いのに、流れるものが何も無い。
大好きな先輩がいなくなってしまう夜にもまったく泣けないなんて、私はなんて薄情な人間なんでしょうか。
「トールちゃんは泣き虫だよね」
だから先輩の思いがけない一言に、私は驚いて目を瞬きます。
「泣いてないです。人が死んでも泣けないんです、私」
「泣いてるよ。トールちゃんはいっつも泣いてる。涙は出ないけどね。いつかその涙を拭くかっこい~い役は私が務めたかったんだけどな……それはしょうがないから、別の人に任せるね」
先輩はカツン、と靴を鳴らして歩き出すと、私のオーラ範囲を避けるように、くるりと部屋を眺めながら窓際まで回り、月を隔てるガラスを開け放ちました。
吹き込む夜風に、先輩の長い金髪が流れて、それがただただ綺麗で目を見張ります。
「でもさトールちゃん。ちゃんと泣いてくれないと、そばにいる人は涙を拭いてあげることもできないんだからね。それで歯がゆく思ってる人もいるってこと、たまには思い出してあげてね」
開いた窓を背に、コウモリのような翼を広げて、エミリア先輩は愛おしそうに調停事務所の全てを見回しました。
「あーあ、楽しかったなあ。これからは地獄の逃亡生活が続くわけだけど……ま、どうにか頑張れそうなぐらいには楽しかった。ごめんね、ミーナちゃんと三人で買い物行こうって言ってたのに、行けそうにないや……それだけがちょっと残念だなあ」
「……待ってます!」
今にも飛び立ちそうな先輩の背中に私は叫び、声を振り絞ります。
「私はずっと待ってます、先輩が帰ってくるまでに、きっと居住区を吸血鬼も共生できる場所に変えてみせます! シオンさんも、一緒に頑張ってくれるって言ってくれたから……だから、だから待ってます、いつまでだって待ってます! エミリア先輩!」
エミリア先輩はじっと私を見て、年相応の女の子のようにあどけなく笑って、「ありがとう」とだけ呟きました。
そして真っ黒な空に真っ黒な翼を羽ばたかせて、月に吸い込まれるように、あっという間に飛び立って見えなくなってしまうのでした。
* * *
ぼんやりとどうにか階段を上りきり、朝の光がまぶしい事務所に入ると、中には先客がいました。
「よっ、トール君。ひどい顔してるね、何があっても睡眠はちゃんと取った方が良いよ」
「……ユージンさん」
一睡も出来なかった重たい瞼をどうにか開けて見やると、どこか吹っ切れた様子のユージンさんは爽やかに笑いました。
「昨日の夜、北に向かって飛んでいく吸血鬼の姿を確認して、吸血鬼狩り達は王都から撤退することを決めたらしいね。脚の速い連中だ、もう影すら見えない」
「……ユージンさんは、これで良かったんですか?」
「うーん」
ユージンさんは少し困ったように目線を上げ、ジャケットの内から封筒を一つ取り出すと、ひらひら揺らして見せました。
『辞表』と書かれたそれに、私は何も言えなくて、ただ揺れる紙を見つめます。
「あー、そんな顔をされるとさすがに胸が痛むな……本当はさ、何年も前からこいつを所長の顔面に叩き付けてやる夢を見てたんだけど、やっぱいざとなると面と向かってはやりづらいね。だからこっそり置いてくことにした。こういうみみっちいとこがエミリアは嫌いだったんだろうなあ……」
「っ……エミリア先輩は、ユージンさんには幸せになってほしいって言っていました!」
私の大声に、ユージンさんは一瞬目を見開き、それから小さく首を振りました。
「いや、トール君は優しいからね。捨てられた可哀想な俺を哀れんで優しい嘘を吐いた可能性がある。だから本当かどうかは、本人に聞いて確かめることにするよ」
はは、と照れくさそうに顎を掻いたユージンさんに、私は目を瞬きます。
「まあ会いに行ったところで追い返されるかも知れないけど……俺さ、この事務所で長年勤めただけあって根性には自信あるから。応援してくれるとうれしいな」
「……はい、してます。超してます」
「うん、ありがとう。二人も欠員出しちゃって、これから事務所は大変かも知れないけど……後のことは任せたよ。君ももうさ、全然新人調停師って感じじゃないからね」
ぱさ、と辞表を所長のデスクに落とすと、ユージンさんはひらひらと手を振って、振り返らずに事務所を後にしました。
* * *
「…………以上が、報告です。引き留められなくてごめんなさい」
しんと静かな図書館の一角で、ぽそぽそとエミリア先輩とのやりとりを伝え終えると、私はうつむきました。
本を一冊も積まずに座って私の話を聞いてくれていたシオンさんは、細めていた目を開けて、ゆっくり私の方を見ました。
「俺が間違ってました。推理なんてどうでもよかった、エミリア先輩を説得する材料を用意するべきだったんです。もしくは……」
「いいえ、エミリア先輩はきっと、シオンさんに感謝していましたよ。自分を見つけて理解してもらえたことに。すっきりした感じがありましたから」
少しの沈黙の後、ふと手を握られて、自分の手が震えていることに気づきました。
「……シオンさん」
「あの、無理しないで言ってください。寂しいとか、嫌だとか、こんなの納得できないとか。せめて俺にだけはちゃんと」
シオンさんは自分がつらそうな顔をして、表情が迷子になっている私を見下ろして懇願するように言います。
「……あの、トールさん、がんばれって言ってくれませんか」
「え?」
いつかのお祭りの夜みたいなことを言う彼に首を傾げていると、シオンさんはぐっと握る手に力を込めて力強く言いました。
「いつかきっと、人間と獣人がもっと近くで一緒に生きていけるように、俺がんばるので! だから応援してください、一人だとくじけそうなのでぜひ! ハイッ!」
「え、えーと、……がんばれー」
「はい! がんばります!」
元気よく笑うシオンさんを見ていると、なんだか不思議と希望が持てるような気がして、私もようやくぎこちなく笑えました。
「あ、そうだ、シオンさんに渡すものがあったんでした」
「?」
怪訝そうにされていたシオンさんですが、私が鞄からそれを取り出すとサーッと青ざめてうろたえ始めました。
トラウマを作ってしまったのであれば申し訳ありませんが、一応今回は差出人が違います。
取り出した白い封筒、宛名に書かれた「シオン君へ」の文字に目を瞬き、シオンさんは恐る恐るそれを受け取りました。
「これって、」
「今朝郵便受けに入っているのを見つけたんです。字は間違いなくエミリア先輩のものだと思います」
「俺に? トールさんじゃなくて? なんだろ……」
丁寧に封を開け、シオンさんは緊張気味に中に収められた一枚の便箋を手に取りました。
長さは、それほどなかったようです。すぐに読み終えて、少し目を瞬くと。
ふっと吹き出してシオンさんが笑い出したので、私はびっくりして目を見開きました。
「え、なんですか、何て書いてあったらそんなに笑うんですか?」
「ああ、いえすみません、ちょっと可笑しくて……トールさん、絶対にそこから動かないで下さいね、具体的に言うと俺から1メートル以内に」
「え? でもそれって、食べ」
言うよりも早くシオンさんは立ち上がると、すたすたと少し離れた通路の方まで歩いて行き、そしておもむろに手に持っていた便箋をくしゃくしゃに丸めて口に放り込みました。
!!??
「な、な、なにしてるんですかシオンさん、エミリア先輩からの手紙にー!? 出して、ぺってしてください、まだ修復可能かも!!」
「いやもう無理でしょ……ごちそうさまでした、随分と辛口な味だ」
慌てて止めに走った頃にはとっくにむしゃむしゃと手紙を食べ終えて、シオンさんはすっきりした様子でじっと私を見つめると、柔らかく微笑んで言いました。
「トールさん、好きです」
しん、と、図書館の静けさのせいだけではなく、全部の音が世界から消えました。
私はただシオンさんを見つめ、その言葉の意味を反芻すると──
静寂を打ち破るように大声で叫びました。
「え、え、え? 何? 何ですかそれは、なんで急に、変なものでも食べましたか? いやまさについさっき目の前で食べてましたけど……」
「返事はいらないです、伝えたかっただけなので。困らせてすみません」
勝手に晴れやかな顔でそう言うと、本を取りにか後ろを振り返りかけた彼の手を、私は慌てて取って握りました。
「……トールさん、」
「あの、困ってないです。……私もシオンさんのことが、好きなので」
真っ赤な顔が恥ずかしくてうつむいていると、少し唖然としたような顔のシオンさんに、そっと顔を覗き込まれます。
「大好きなので……」
「追い打ちだー……」
二人で顔を赤くしながら、同じようなタイミングでふっと笑って。
「俺も。大好き」
それから、そっと親指で唇をなぞられるのを、目を閉じて受け入れます。
悲しいことはなくなりませんが、うれしいこともきっと同じくらい、こんな風にいくらでも増えていくのでしょう。
先輩たちはきっといつか帰ってきてくれるし、私はその時にお話したい楽しい話を、たくさんたくさん用意しておけばいいのです。
シオンさんと一緒なら、そんなに頑張らなくてもそれはいつの間にかいっぱいになっているでしょう。
重ねられた唇の温かさを感じながら、私はそんなことを根拠もなく強く思うのでした。
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