ハッピーエンド?

思えば、俺は里美への想いを見て見ぬふりをしていた。


両親を口実に最もらしい理由をあてがって、里美と離婚をしなかったのも、結局は俺自身彼女を愛していて、彼女との関係を断ち切りたくなかっただけだ。


けれど、彼女が好きであればあるほど、どうしようもない怒りのような、悲しみのような、この感情が行き場を失い、不倫という形でそれを排出した。


でも、結局は自分の気持ちを無視し続けるなんて、俺には出来なかった。


ここ数日、カプセルホテルで自分と向き合って、よく分かった。


その結果が、この行動に繋がっているのだろう。



インターホンを鳴らす。鍵は持っていたが、なんとなく、彼女に出迎えて欲しい気分だった。


ガチャリと、音が鳴る。


……?」


そう言った瞬間、里美は崩れ落ちた。ひっくひっくと音を鳴らす彼女を優しく抱き留める。


数日前まではあんなにも憎かった彼女が、今では愛おしい。


勿論、怒りもある。彼女の過ちを罵詈雑言を伴って糾弾したい気持ちもある。


……でも、俺は決めた。


やる事は今までと一緒。里美と幼馴染だった頃から、2人で高め合ってきたじゃないか。それに、お互いが間違いを犯した時には、それこそ母親なんて目じゃないぐらいに叱りあった。


今回は俺の番。彼女の過ちを是正して、また一歩高みに彼女を連れて行く。


「……俺達、やり直そうか」


「……はい、……はい!こんな最低な女だけど……また貴方の女にしてください……!」


側から見れば、甘い男に映るのかもしれない。バカだなと呆れられるのかもしれない。


だが、少なくとも言える事がある。


──幼少の頃から紡いできた俺と彼女の繋がりは、そう簡単に切れたもんじゃない。


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「じゃあ、この後


里美が泣き止んだ後、俺はそう告げた。


彼女も意味が分かったようで、頷いてくれた。きっと快く見送ってくれるだろう……と思ったが、俺の予想は裏切られる事になる。


「私も、着いていって……いい?」


「……本気か?」


「……うん。綺羅くんとお相手の関係は、元は私が原因だから。私もお相手と話がしたいの」


「わかった。君が言うなら」


こうなると、一つの家に妻と不倫相手が揃う事になる。間違いなく修羅場になる。覚悟しておく必要がある。


「……行く前に、一つ聞いて良い?」


「なんだ?」


「お相手の事、好き?」


一瞬、耳を疑った。後ろめたさというよりかは、何故そんな事を聞くんだ、という思いの方が強かった。


「……好きだ。だけど、その上で俺は君を選んだ」


「うん、ありがとう!大好き!」


俺が正直に答えてみれば、何事も無かったかのように抱きついてくるので、俺はこの質問の意味をよく考える事は無かった。


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「ここが……お相手のお家?」


「そうだ。……じゃあ、鳴らすぞ」


本日二度目のインターホンを鳴らした。


「き、綺羅くん!話があるってどういう──その女性……誰?」


彩菜は里美を見るなり声のトーンを2段ほど下げて、里美を睨みつけていた。


当の里美は少し恐怖を感じたのか、俺の背中に隠れる。


「……それも含めて話がしたい。入れてくれないか?」


「……わかった」


リビングに案内され、適当に腰掛ける。すると、息つかぬ間に彩菜が切り出してきた。


「綺羅くん。私と、関係を解消したいんでしょ?」


「……あぁ」


「そこの女性は綺羅くんの奥さん?」


「……そうです」


俺の言葉を遮るように、里美が声を上げた。


「そっか……仲直り、したんだ……」


「……ごめん」


情けない事に、俺は絞り出したような細い声で謝ることしか出来なかった。



「別に、謝る必要無いよ。だって、元々私達、割り切った関係だったじゃない。最初に綺羅くん言ったよね、本気じゃないって。あれって、私との関係を解消する前提で不倫してたって事でしょ?」


そんな事を、笑顔を伴って彼女は言う。


おかしい。


「……復讐だの言っておいて、結局復縁して、君を散々振り回した。それも、重ねてごめん」


「だから、謝る必要ないって」


キッチンに向かいながら、彼女は言う。


おかしい。


腰掛けた椅子からは死角になっているリビングから戻ってきた彼女の様子を見て、さらに強烈な違和感を感じた。


彼女はキッチンに向かったのにも関わらず、茶を入れる素振りなど一切見せていない。


何故か、手を──。


「彩菜!」


俺は彩菜の両手首を持って押し倒す。床が固くて彼女が怪我をしてしまうかもしれないとか、里美から変に思われるとか、そんな事を考える余裕は無かった。


「……彩菜、これ、どういう事だ?」


「……ほう、ちょう……?」


彩菜の手に持たれた銀色の凶器を見て、里美が思わず声を漏らした。


当の彩菜はと言うと、観念したように包丁を手から離す。


咄嗟に俺は包丁を何処かへ滑らせる。


「彩菜!自分が何をしようとしたかわかってるのか!?」


「……彩菜さん」


「……」


「黙ってちゃ分からねぇよ!」


「……私、が」


最初は、声にならぬ声。だがそれは、決壊寸前の堤防に落ちた一粒の雨トリガーであった。


つまり。


これから、彼女は。彼女と妙に深い関係を持った俺は、わかる。


「私が!貴方の隣に居たかった!貴方に選ばれたかった!でもそれが無理なら!終わらせるしかないじゃない!」


それは正しく絶叫。彼女の心からの叫び。目に涙が溜まって視界が歪んでいるだろうに、こちらをしかと見据えている。


「どうしてよ!不倫した女より私の方が貴方の事を愛してる!なんで私を愛してくれないの!」


「……」


「貴方が隣に居ない人生なんて耐えられない……不倫相手でもいいからぁ……愛して、よぉ……」


「……ごめん」


……あぁ。



俺は最低な奴だ。こんなにも俺を求めてくれる彼女を捨てようとしているんだ。


本気じゃないと前に伝えたとか、関係ない。幾ら筋を通した所で、それは免罪符にしかならない。彼女を傷つけた時点で、俺の失態だ。


後悔が頭の中を駆け巡る。いっそこの包丁で俺自身も貫いてくれないだろうかだなんて血迷った考えすら頭に浮かぶ中、凛とした声が響き渡った。



3





空気が、固まった。


完全に埒外からの言葉。今まで静観を保っていた彼女の言葉は、至極衝撃的な物だった。


「……ぇ」


目の前で泣きじゃくっていた彩菜も、俺も呆然としている。


「彩菜さん。綺羅くんは、まだ貴方の事が大好きですよ。ただ、ケジメを付けようとしてるだけ」


──でも、と彼女は言葉を続ける。


「私は、ケジメなんて付けなくても良いと思ってます。綺羅くんには己の好きな人を愛してほしい。つまり、2


里美は俺に向き直る。


「綺羅くん。彩菜さんのこと、好きだよね?」


家を出る時の、あの質問と似ている。


あの時から、このシナリオを描いていたのかと合点がいった。


里美の目は俺をじっと見据えている。ここで決めてくれと、そう言っている。


俺が好きだといったら、3人での未来がある。

それを否定したら里美と2人きりの未来がある。


ならば、出す答えは決まっている。


「……


そんな俺の答えに満足したのか、里美は再度彩菜の方へ向き直った。


「彩菜さんはどうしたいですか?勿論、自分一人を愛して欲しいと思うなら、この話は無しになります」


数秒の沈黙の後、彩菜が口を開いた。


「……貴女、酷い人ね。私が綺羅くんに依存してるってもう分かってるくせに。……貴女だって不倫したんだから、貴女がいなくなるって選択肢は無いの?不倫相手とよろしくやってればいいのに」


毒を含んだ彩菜の言葉。思わず里美はたじろいだが、目に力を添えて、強く語り始めた。


「……それは、無理です。自己中な女だけど、私は何があっても綺羅くんのそばに居たい。愛してるから。だから、自分の過ちを悔いて、悔いて、その上で彼の側にいる」


でも、と里美は続ける。


「酷い人って、それこそ酷いです。綺羅くんを苦しめたのは事実だけど、貴女にとって私は綺羅くんとの愛のキューピッドなんですよ?私だって妥協してるんです。本当は私1人を愛してもらいたい。過ちを犯した私はそんな事は言えないですけどね」


最後ににへらとはにかんだ里美。それには、自嘲が含まれていた気がした。ただ、お陰で場の雰囲気が温かくなったのは事実。


ここで俺が決める。


「彩菜。一度君との関係を切ろうとした俺が言うと、薄っぺらく聞こえるかもしれない。でも、君が大好きだ。俺達、3人で生きていこう」


彩菜に精一杯の気持ちを伝える。


「本当に、綺羅くんも酷い人」


「あぁ、そのとおりだ。だけど君を──


その言葉が続く事は無かった。


人間の構造上、


「……これが私の答え。……幸せにしてね?」


ぱあっと笑った彩菜は、今度は里美に舌を出す。


「べーだ!これから綺羅くんは2人の物なんだからね!」


「……わかってますよ」


なんとも言えない顔で、里美はそう返答した。


早くも、2人の仲が心配になる俺であった。
































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あとがき


この次に少し未来の話をやって、終わりになります。





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