第94話

 大分傷も痛まなくなった。






 まだ痛む時は時折あるが、傷んで漸く傷を思い出す程度だ。


 傷が痛まなくなった辺りで徐々に、日頃の鍛練を再開していた。


 この習性は奇妙に思われたり、愚かに思われたりする事も多かったが、個人的にはこれが一番重要だった。


 傷が治り始めたら完全に塞がるまで待つのではなく、痛まない程度に血を巡らせつつ鍛練をする事により、治癒を早める事が出来る。


 大半の、普段鍛練をしない者達、場合によっては鍛練している者でもこの習慣を笑い飛ばそうとする。


 動けば塞がっていく傷が開くだろう、と。治癒が遅れるだけだろう、と。


 完全に痛みが消えるまで座り込んでいる連中を何人も見てきたが、大半の連中は慢性的な関節痛や凝り固まった様な痛みが残ってしまう者が多かった。


 後から解していけばその痛みを取り去る事も可能だが、愚痴を言いながら椅子に座っている者が殆どだ。


 個人的に言わせてもらうならば、最後まで動かずに居るなら“最後まで動けない身体になる”と言うのが持論だ。


 勿論、血を撒き散らしながら走り回れとは自分も言わないが、それでも途中から動かした方が治癒が早まる。


 こればかりは、“あの男”から教わらずに自分で学んだ事だった。


 傷を眺めながらいつまでも座り込んでいるよりも、少しずつ鍛練に復帰した方が治りが早く、痛みも残らない。


 それなりの鍛練を終えて長い息を吐き、僅かばかりの汗を拭う。


 回復している。間違いなく。


 もう少しすれば、いつもの鍛練内容に戻れるだろう。


 身体中の汗を拭い去り、水差しから水を飲み、上着に袖を通す。


 余り気の進む予定では無いが、これからも黒羽の団でレイヴンとしてやっていくなら、この問題だけは明確にしておく必要がある。


 自室の扉に癖付けておいた鍵を掛け、手足の調子を再び確かめる様にしながら建物を出て、秋の季節を感じながら道を歩き始める。


 歩いている道中で、随分と色々な事を考えた。


 これからの事。スヴャトラフの葬儀の事。自身の噂の事。


 傷が後どれぐらいで治るのかもそうだし、今回の任務で結局、自律駆動兵への投資は頓挫したのかどうか。


 やはり、禁煙は続かないであろうという事。またも禁煙するにしろ、一度区切る必要がある事。


 もうすっかり秋になろうとしている事。いずれ、本格的な防寒着も用意する必要があるだろう。


 道すがら頭を掻き、長い息を吐いた。


 余り悪い方に考えたくは無いが、ある意味今日は正念場かも知れないな。


 そんな事を考えながらも、技術研究班へと足を踏み入れる。


 他の団員の様な、あからさまに避けられる様な素振りは無いが皆何処か、此方の顔色を伺う様になってしまっている。


 あぁ、やはりそうなってしまったか。他の場所を歩いている時の様に、あからさまに睨まれたり避けられたりしないだけマシと思うしかない。


 カラスよ、頼むから今は来ないでくれよ。そんな想いと共に、つい速くなりそうな足を自制しつつ手近な団員の一人へと近付いていく。


「悪いが、少し良いか?」


「は、はい」


 この気弱そうな団員は明らかに動揺しており、申し訳無いと思わないでも無かったがこの際仕方がない。一日中堂々巡り、という訳にも行かないのだから。


「クルーガーを探してる。今何処に居るか分かるか?」







「ミスターブロウズ!!」


 クルーガーが優しい顔と共に、此方に歩み寄ってきた。前に会った時よりも、少し厚い上着を羽織っている辺りに秋を感じさせる。


 意外にも、クルーガーはウィスパー訓練装置の傍で見つかった。


 メンテナンス作業を指揮しているのか、と思ったが作業指揮官はどうやら別に居るらしく、クルーガー自身が作業員という訳では無い様だ。


 考えてみれば、当然ではあった。


 散々吊り上げられたウィスパー操縦訓練も、もう少しすれば修業だったか。


 元々は志願者でも候補生でも無い俺が、何故あんなにも本格的に訓練されたのやら。


 まぁ、当時の自分からすれば色々と気晴らしになったのは事実だし、随分と救われたのが総評ではあるが。


 まぁ気晴らしで始まったとは言え、中途半端に訓練を終わらせるのもそれはそれで引っ掛かる。


 また日を置いて、ウィスパーが一人で操縦出来る程度まではやっておくか。


 実際の操縦席を模した、操縦訓練装置に改めて眼を向けた。


 ウィスパー。


 あの偏屈なゼレーニナが数年前に開発し、その脅威的な機動性で終戦間際の浄化戦争において帝国軍に大打撃を与えた、個人用高機動航空機。


 独自開発のディロジウム内燃式駆動機関、かつ同じく独自開発のオーニソプター機構により、複数の対になっている羽根を高速で動かし、浮上、飛行を行う事が可能。


 言うまでもなく、搭乗人数は一人から二人。


 帝国軍が保有する航空機の中で、グライダー等の滑空機を別として最も機動力を持つと言われる、ジェリーガスを充填した土台に推進機を複数取り付けた帝国軍高速艇を、圧倒する程の機動力を持つとか。


 操縦士及び同乗者には風防ゴーグルもしくは、レイヴンマスクを着用する事が義務付けられているそうだ。


 あのゼレーニナが採算度外視と言える程に最新技術や独自開発の技術を詰め込んだ為、例に漏れず遥かな高コストとなったが、戦術的価値はそれを補って余りある物がある為、黒羽の団に直ぐ様採用され重宝されたらしい。


 現に、帝国軍は“ハチドリ”という名称を付け浄化戦争終盤において、散々悩まされてきたのを未だに覚えている。


 …………あの魔女の塔での経験、ゼレーニナから呪文を叩き付けられた経験と記憶を反芻しつつ、クルーガーから操縦訓練と説明を受けた事によりウィスパーを自分なりに理解出来たのは、我ながら中々な功績だと思っている。


 そう言えば以前にクロヴィスが、ウィスパーを再び稼働させる様な事を言っていたがもう作戦で使われているのだろうか?


 あれから暫く経っている事を考えても間違いなく稼働しているとは思うが…………勿論全ての作戦を把握している訳ではないが、何とも実感が湧かない。


 ふと、ある事を思い出した。


 そう言えばウィスパーをクルーガーの発明だと言った時には、ゼレーニナは酷く憤慨していた。


 だがゼレーニナの話によれば、クルーガー自身はグレムリン等のリストクロスボウを、ゼレーニナの名前で発表しようとしてゼレーニナに却下される様な男だった筈だ。


 それが何故、クルーガーの名前でウィスパーが知れ渡る様な事になっている?


 リストクロスボウの様にゼレーニナ自身が拒否したのならまだ分かるが、グレムリンと違いゼレーニナはあの発明を自身の実力だと誇っていた。


 ならば何故、ウィスパーはクルーガーの発明として知れ渡っている?クルーガー自身がやっている事なのか?


 もし、そうでないならクルーガーはその事実をどう思っているのだろうか?


 そんな事を考えていると作業していた整備員から、困った様な視線が此方に向けられる。実害を出している訳では無いのだから訪問するぐらいは許してほしいものだが。


「聞きましたよ、あの自律駆動兵を本当に倒したそうですね」


 声色こそ穏やかだったものの、口許を綻ばせつつ眼を輝かせながらそう溢すクルーガー。


 どうやら、俺が兵器を使って自律駆動兵を真正面から打ち倒したという事実は、相当に胸踊る話らしい。


 コールリッジの邸宅で、自律駆動兵と対峙した時の張り詰めた様な空気を思い出す。


 鋼鉄の巨人が同じく巨大な斧を握り締めたまま、此方に異形の眼光を向けてくるあの空気。


 ゴーレムバンカーなら自律駆動兵に対しても装甲を貫通して致命傷を与えられるのだから問題ない、等とは到底言えない様な緊張感と戦慄。


 あの巨大な斧、そして斧頭が目の前の空気を切り裂き、身体を掠めた時の背筋が凍てつく様な恐怖。


 俺が当初想像していた様な、一人きりの出撃なら果たしてどうなっていたか。


 少なくとも、五体満足で帰れなかった事は間違いない。きっと任務も失敗していただろうな。


 あの時、パトリックが居なければ。スヴャトラフが居なければ。そして、ユーリが居なければ。


 眼も当てられない様な結末になっていたのは、想像に難くない。


 だが、俺はこうして傷だらけとは言え五体満足で帰ってきた。


 パトリックとスヴャトラフは戦死し、遺体すら連れ帰る事は出来ず空の棺を相手に葬儀と告別式を行い、俺は自身でも分からない重大な一線を踏み越え、黒く濁る事となったが。


「製作者としても冥利に尽きますね。机上では上手く行っても、やはり命懸けの戦場でどうなるかはレイヴン次第ですから」


 上機嫌な素振りを隠そうともせず語り続けるクルーガーとは対象的に、此方はその言葉によって胸の奥に重い物を感じていた。


 製作者、か。


 脳裏にゼレーニナの顔が浮かぶ。皮肉った様な眼や、珍しく驚いた様な顔。


 きっとここからは、楽しい話にはならないだろう。


 ほんの一瞬、このまま他愛ない話に華を咲かせて、紅茶でも飲んで帰ろうかと思った。


 だが直ぐに思い直す。


 俺は、その為に来たのだから。


 ここから身を退いて、この疑問を誤魔化す様な真似は出来ない。


 自分でも分かっている。ゼレーニナから聞いた話を胸に秘めたまま、これまで通りの付き合いを続ける方が穏やかに団で過ごせると。


 だが、出来ない。


 つい先日も命懸けの任務をやり遂げて、傷だらけになって自分は帰ってきたのだ。


 あの任務の際、もう少しでも迷いがあれば生きて帰れなかった局面、可能性は充分にあった。


 今回の任務は切り抜けられたが、この疑問を放置していては何れ、生死の分ける判断を鈍らせる可能性は充分にある。


 只でさえ俺はこの団において味方の少ない立場であり、その上猟用鳥の様に使い捨てにされかねない身だ。


 そして、このままクルーガーに対する疑問を抱えたまま任務に繰り出していては、今は良くとも今後、命取りになる日が絶対に来る。


「そう言えば、先日の任務で結構な箇所を負傷したと聞きましたが……お体の方はもう大丈夫なのですか?」


 きっと、流石のクルーガーも良い顔はしないだろうな。


 クルーガーの言葉にも応じず、眼を閉じて深く息を吸った。


「……ミスターブロウズ?」


 不思議そうな間の後、繕う様に急にクルーガーが笑顔を見せる。


「あぁ失礼、私とした事が。折角の御来客だと言うのに、いやはや。すいません、少ししたら紅茶でも」


 笑顔で何とか話を持たせようとするクルーガーを、手で制する。


「クルーガー、紅茶は良い」


「はい?」


 クルーガーの顔に困惑の色が混じる。


「“お前の開発品”について話がある」


「私の開発品、ですか?装備に何か?」


 不思議そうな顔をしているクルーガーに罪悪感に似た感情を抱きつつも、それでも言葉を続ける。






「“ゴーレムバンカー”の開発について話したい。出来れば、人気の無い場所で」

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