第85話

 褐色の巨漢が二人、立っていた。






 その一方、6フィート半にも及ぶ巨漢ヴィタリー・メニシコフはまるで弟を宥める様な表情のまま、夕日を眺めている。


 厳格、堅実、徹底主義など、堅苦しい言葉で形容される事が殆どのこの男が、こんな表情をする事は黒羽の団に置いても、あまり知られていない。


 知っているのは、特に彼に気に入られた一部の者達だけだ。


『お前は充分役目を果たした。負い目を感じる必要は無いんだぞ』


 リドゴニアの公用語として知られるニヴェリム語で、ヴィタリーが隣の男に話し掛ける。


 語りかける、とさえ言える程に穏やかな声だった。


 彼が元々、リドゴニアの軍人だった事を知る者は少ない。


 そしてレガリスでかけられた冤罪により、不名誉除隊させられた事を知る者は更に少ない。


 彼自身がバラクシア全土で義務化されている共通語、マグダラ語にかなり堪能な事もそれに拍車をかけていた。


 そんな彼の隣に、6フィート半あるヴィタリーより更に巨大な男が佇んでいる。


 ヴィタリーの体躯を超え、7フィートに届く体躯を誇る巨漢の名はユーリ・コラベリシコフ。


 過酷な訓練と厳格な人格で知られるヴィタリーに“一番弟子”とさえ呼ばれているレイヴンだった。


 他の隊員と話している時とは違い、式典に出ている様な厳格な顔のまま、彼はヴィタリーの隣に佇んでいる。


 多くの者からヴィタリーを恐れるが故の挙動と誤解されるが、ユーリのヴィタリーに対する慇懃な様子は恐怖や支配、階級に寄るものではなく、従順とさえ言える程の敬意によるものだった。


 厳格な顔つきのまま、ユーリが丁寧な口調で話す。


『重々承知しています。ですが、私はこのまま人に託す事がどうしても出来ません。もう一度、あの怪物に挑まねば私はこのまま今回の記憶を背負い続ける事になるでしょう』


 訛りが強い事で知られる彼の口から、驚く程丁寧かつ綺麗な発音のニヴェリム語が流れ出る。


 そんなユーリのニヴェリム語を聞いて、ヴィタリーの眼に幾ばくか影が掛かった。何かを企む様な黒い影では無い。


 暮れていく夕日の様な、哀しい影だ。


『……まぁ、寡黙なお前があんな勢いで俺に言ってきたんだ。言っても聞かないだろうし、お前が一時の迷いで言い出す奴じゃない事も分かってる』


 昔からそうだった。ヴィタリーが愛弟子として認めている彼は、普段は従順かつ優秀なのだが時折妙に意固地になる事があるのだ。


 何よりも困った所は、ユーリ自身がそういう妙に意固地になった時に限って、要望以上の成果をあげて帰ってくる事にあった。


 敢えて死を求める様な生き方を見せる愛弟子に表立って止めないものの、ヴィタリー自身も今度こそ帰ってこないのではないかと思う事も少なくなかった。


 口では「言っても聞かない」とは言ったものの、きっと自分が本当に強く言えば勿論ユーリは従うだろう。だが、だからこそヴィタリーは強く言えなかった。


『言うまでもないだろうが、今回の勝算はアイツ次第だぞ。アイツ自身もよく分かってない力を軸に立てる作戦がどういう意味なのか、分かるよな』


 宥める様な語気のまま、ヴィタリーが言葉を続ける。


 現に、今回の作戦は今までにない“黒魔術”なんてものを基軸にした作戦だ。


 ヴィタリーに言わせるなら、ディロジウムを充填した爆薬を使う作戦より不安定な作戦だった。


 何一つ説明が付かず、使う張本人でさえ理屈が分かっていない力を失敗出来ない任務の軸にしようと言うのだから、これがどれだけの博打なのかは言うまでも無い。


『お言葉ですが、教官も分かっている筈です。今、あの巨人を倒すならクルーガーの兵器だけでは、確実に届きません。我々の“牙”を巨人に届かせる為にも、彼が必要不可欠なのです』


 そんなヴィタリーに対し、ユーリは揺らがない。荒げる事もなく、熱くなる事もなく。かといって意志は欠片も代わる事はなく。


 冷淡かつ強健な、煉瓦の壁を思わせる様な口調のニヴェリム語でユーリは続ける。


『今回の作戦は、きっとこれからレイヴン達が自律駆動兵とやらに立ち向かうべきかどうかを分ける、今後の士気に大きく関わる作戦になる筈です。私はその自律駆動兵に“関わった者”として、本拠地でただ作戦の成功を祈って待つという事が、どうしても出来ないのです』


 煉瓦の壁が日向に炙られる様に、僅かに熱を帯びる。


 それは微かな熱だったが、ユーリの語気に熱が滲む意味を分からないヴィタリーではない。


 少しばかり、長い息を吐いた。どうやら隣の愛弟子は分かりにくいだけでヴィタリーの想像以上の意志を持って今回の話を持ってきたらしい。


『一つ、約束しろ』


 ヴィタリーのそんな声に、直ぐ様『はい』とユーリの返事が返ってくる。


 こんな忠義を備えた一番弟子を、あんなに毛嫌いしている奴の作戦に組み込むのか。


 胸の内に滲み出るそんな言葉と想いを噛み潰しながら、ヴィタリーは努めて穏やかに忠告した。


『万が一があれば、アイツを踏みつけてでも生き延びろ。良いな?あいつは、お前が思ってる様な男じゃない。他のレイヴンとは違う。遠慮なく切り捨てるんだ。良いな?』






『胸に留めておきます』


 そんなヴィタリーに対しても、ユーリはあくまで礼儀正しく返すのみだった。

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