第74話

 どうやら、随分と質の良い懐中時計らしい。






 カラスのトライバルが彫刻された、随分と高品質らしき銀色の懐中時計。


 あの時、幹部会議室で授けられた懐中時計を部屋で一人、静かに眺めていた。


 聞く所に寄ると黒羽の団内でも特に団に貢献したレイヴン、功績が認められたレイヴンに贈られる名誉の懐中時計らしい。


 もう少しで始末される可能性もあった自分が、こんな名誉の懐中時計を贈られるとは随分と皮肉な気がしないでも無いが。


 紆余曲折あったが、確かに結果だけを見れば中々の成果と功績なのだろう。それこそ、衰退しつつある黒羽の団を再び勢い付けたぐらいには。


 まぁ、そうは言ってもあの会議室で命拾いし、そしてこの懐中時計を授かって以来、半月近くもこの部屋で次の任務まで待機させられている訳だが。


 急かされたい訳では無いが、せめて次の日程ぐらいは教えて欲しいものだ。


 言われるまでもなく、今日も“指示があるまでは待機”という事だろうな。


 勿論、別に軟禁されている訳でもなく、その気になれば団内を好き勝手に歩き回る事も出来る訳だが。


 だが実質、最近の自分にはウィスパーの操縦方でも復習し直すか、一人で鍛練するか、それぐらいしか基本的にはやる事が無い。


 ウィスパーの復習は正直、うんざりだと言うのが本音だ。となると、やはり鍛練か。


 監獄に収監された結果、警棒をへし折る程の筋肉を身につけた男の話を聞いた事があったが、今なら非常に頷ける話だ。


 余暇に鍛練しかやる事が無ければ、当然の帰結と言う他無い。


 軽い運動から始めて少しずつ肉体に火を入れ、最終的には自分の体重と身体を完全に制御する。昔から、鍛練する事自体は俺は嫌いでは無かった。


 自室で少しずつ自重力の鍛練に励み、負荷を上げていき肉体を充分に熱した辺りで、息を深く吸い、両手だけで全身を持ち上げる。


 そのまま倒立の体制を取り、静かに自分の身体を下げて行く途中で、不意にドアがノックされた。


 息を吐きながら自分の身体を押し上げ、倒立に戻った所で身体を元に戻し、苛立ち混じりに汗を拭ってドアに向かって歩いていく。今から本番だと言うのに、タイミングが悪い事この上無い。


 自室のドアには、一応鍵が掛けてあるから此方から開けてやらなければならない。


 内側の錠を開け、ドアを開けると信じられない程に不機嫌な顔をしたヴィタリーが其処には居た。


 流石に、面食らった。思わず反射的に身構えるも、ヴィタリーが険しい顔のまま、挨拶も無く紙を手渡してくる。


 一瞬躊躇したが、素直に紙を受け取る。紙には地図と場所が記してあった。団の内部らしいが、どうやら人の場所を指しているらしい。


「新聞読んだか?」


「新聞?」


 ヴィタリーの余りにも唐突な問いに、間抜けな声が出る。


 そんな俺の返事に、隠そうともしない豪快な舌打ちの後にヴィタリーが言葉を続ける。


「新聞ぐらい読め、話が通じやしねぇ。まぁ良い、数日後には出発だ。急遽任務に出てもらう、準備しておけよ」


 戸惑いが、益々深まる。


 数日後に出発?あの幹部会での問答から半月程、まるで見向きもされなかったかと思えばいきなり部屋に現れて数日後に任務に出発だと?


 「数日後?いつもの任務より随分と話が急だが、何かあったのか?」


 「“グレゴリー”と“アナベル”とかいう自律駆動兵について、心当たりは?」


 平然と此方の言葉を無視して、ヴィタリーが質問してくる。どうやら、此方の質問は通らないらしい。


 自律駆動兵、か。


 浄化戦争の最中、散々“新時代の兵器”だと噂されていたが結局、実用化したという話はまるで聞いた事が無かったな。


 階差機関を発明して尚、俺達は結局自分で剣を握って戦うしかない。


「その名前は知らないが……“クロックゴーレム”という自律駆動兵の計画なら、浄化戦争中に聞いた事がある。階差機関の中に調教した鳥を組み込んで、鉄の塊みたいな駆動兵を戦わせる計画だ」


 そんな俺の言葉に、ヴィタリーが漸く反応を示す。


「完成していたのか?」


 怪訝な顔をするヴィタリーに、首を振って言葉を返した。


「いや。鳥の調教が上手く行かないとか、神経系の同調が噛み合わないとかで、早期に頓挫した計画の筈だ。現物は俺も見た事が無いし、戦争中も結局完成しなかった」


 俺の答えはどうやらヴィタリーの中では想定の範囲内だったらしく、不機嫌そうな溜め息を吐いてから再び、ヴィタリーが言葉を紡ぐ。


「ニーデクラ出身のインテリ野郎がそれを完成させた。そして先週、その自律駆動兵がレイヴン達を叩き潰しやがった。お前にはその兵器の相手をしてもらう」


 そこまで話した後、ヴィタリーの指が渡されたままの俺の手中の紙を指す。


「その紙に書いてある場所で、新兵器についての情報を集めろ。叩き潰されたレイヴン達の中の、唯一の生き残りだ」


 場所が記してある紙を眺めつつ、考えていた。俺の扱いに困っているにしても、やはりこんなに急に任務の話を振ってくるとは思えない。俺が危険な任務に放り込まれるのはまだ分かる。だが、飛び入りの用事に当て嵌める様な使い方は、今までの任務の傾向から見ても、違和感がある。


 幾ら俺を危険な任務に向かわせるにしても、任務の準備期間を短くする理由にはならない筈だ。任務を成功させる為には準備の重要性は勿論熟知しているだろうし、失敗させる為に任務を言い渡すとは考えにくい。排除するなら、あの会議室でもっと容易く排除する方向に持っていった筈だ。


 「今回の件で、レガリス中が自律駆動兵に夢中だ。“あの鉄の巨人さえあればレイヴンなんて直ぐに駆除出来る”ってな。金持ちどもが自律駆動兵にこぞって投資する前に、その自律駆動兵をすり抜けて目標を殺害し、自律駆動兵でもレイヴンには叶わないと知らしめる必要がある。理屈は分かるよな?」


 一つだけ、辻褄が合った様な気がした。成る程、この仕事は計画していた物ではない。此方から攻撃する作戦とはいえ、本質的には誰かがしくじった事に対する後始末に近い。後は、理由。


 「一応聞くが、その任務に俺が選ばれた理由は?」


 「こんな事を言うのは業腹だが、今回の件は時間も準備も無い上に手に余る。巨人の相手が出来るレイヴンが必要だ。お前の気味悪い黒魔術なら、グレゴリーだかアナベルだかを相手にしても簡単には死なねぇだろ」


 「簡単には、か」


 淡々と述べるヴィタリーについ、渇いた笑いが出る。


 レイヴン達の実力は、言うまでもなく高い。それこそ、帝国軍に居た頃はレイヴン一人に何人もの士官や兵士が切り裂かれた。抵抗軍から放たれる刺客、レイヴンは一人一人が工作員として優秀なだけでなく、かつ手練れの兵士とさえ打ち合い、串刺しにするほどの剣士でもある。


 そんな連中が、複数人がかりでも目標を殺せず、殆ど全滅させられた様な兵器……自律駆動兵か。そんな見た事も戦った事も無いに兵器に対して、俺が数日の準備期間で相手をしろと?


 「おい」


 思案に耽っている最中、不意にヴィタリーの声に意識が引き上げられる。


「そのレイヴンから情報を集めたらクルーガーの所に行け、今回の件は事前に話してある。あの頭脳なら、何かしら案を思い付いてるだろうからな」


 そう言って、まるで此方を気にしない様子で扉が閉められた。扉の煽りを受けて、手にしていた紙がはためく。


「……成る程な、俺は最後の最後って訳か」


 話す順序から考えて、ヴィタリーは最後まで俺を参加させるのに反対していた、という所だろう。


 人気者は辛いな、全く。






 居住区の方に来るのは気が進まなかった。


 悪評がこれだけ付きまとう身としては、まるで疫病の様な扱いをされるからだ。顔をしかめたり露骨に逃げたり、随分な扱いと言う他無い。最初の時の様に、分かりやすく突っ掛かってくる奴が居ない理由も、考えるまでもない。


 きっと、俺の機嫌を損ねればカラスが集ってきて、耳でも啄まれ続けると思われているのだろう。


 だが、指定された場所はどちらかというと居住区からは離れた場所にあり、廃鉱山に残っている廃坑道の傍に作られた、かなり大掛かりな横長の山小屋。山小屋というよりは、最早山に建て付けられた大きな宿屋、といった印象だった。


 元々は別の用途に作られた大きな宿で、放棄されていたものを改装したのだろう。


 何にせよ、 人付き合いが得意な奴が住む場所じゃない事だけは分かる。


 紙の指している場所を見直す。間違いない、 まだ遠目にしか見えないがあの随分と大きい山小屋の様な場所が、紙に示されている場所だ。遠目に見るだけで、周りに居住区や宿舎が無い事が分かる。周りを山道や開けた土地に囲まれてる光景は、まるで小さな離島の様にも見えた。山道を高く登った先に見える大きな山小屋は、まるで寂れた教会の様に不穏な印象を放っていた。


 ゼレーニナの時と同じく、嫌な予感がする。人付き合いが得意じゃないやつと、人として付き合うのは当然ながら余り楽しい展開になるとは思えない。


 煙草が欲しい。何とかなっているつもりだが、未だに気が進まない事がある度に紫煙が恋しくなる。それも、段々と酷くなっている気さえする。大勢が言う様な、良い気分も健康になった気分も何一つしなかった。 


 その上、煙草の事を考える度にあの女の事がちらついて気分が落ち込む。女々しい上に惨めになる一方だ。


 しかし、山小屋が近付いて来ると、その山小屋の周りは思っていた印象とは少し違う事に気付く。


 どうやら、この近辺の山道はよく手入れされている。道が荒れない様に石を組んだり、木を歩きやすい様に敷き詰めたりと、自然体のまま、随分と丁寧に道が造られていた。


 遠目から見るにこの山道や山小屋は荒れているのかと思いきや、いざ歩いてみると邪魔になる様な蔦は払われ、背の高い雑草は刈られ、滑りにくい様に足元には木の根が散る様な形で踏みやすく道が出来ている。


 自分でも、眉間の皺が薄くなるのが分かった。何というか、遠目から見た印象とは逆に、歓迎されている様な気さえした。


 どういう事だ?


 遂に大きな山小屋の前まで来たが、山小屋自体には年季が入っている割に、手入れは行き届いていた。節々が腐って湿っている様な事もなく、巣が出来ている様な事も無い。それどころか今気付いたが、山小屋の傍には色鮮やかな花に彩られた花壇まである。山小屋の周りも、 心なしか随分と整っている様に思えた。


 俺の手元にある紙には、情報を貰う相手に関しては名前と、そいつがレイヴンだと言う事しか書いていない。


 いつの間にか、勝手に相手は男性のレイヴンだと思っていたが、この行き届いた気遣いや丁寧さから考えるに、まさか此処に住み着いているこの“ユーリ”というレイヴンは、女性なのか?


 そう言えば“ユーリ”という名前は男性に多いらしいが、女性にも使われる名前だと聞いた事がある。


 よく考えてみれば、男性程の数は居ないにしろ、黒羽の団にも女性のレイヴンは数多く居る。 辺鄙な所に住み着いているレイヴン、そして他のレイヴンの殆どを殺した自律駆動兵とやらの襲撃から生き延びた、熟達のレイヴン。


 その屈強なイメージからいつの間にか、勝手に男性だと決め付けていた。考えてみれば、出会う前にあれだけ男性だと勝手に信じていたゼレーニナは、5フィート余りの小さな少女だった。中身は想像以上ではあったが。


 そう考えれば今回はレイヴン同士なのだから、話も何もかも通じる分、ゼレーニナより随分やり易いと言える。


 少なくとも、ウィスパーの解説を受けた時の様に、複動式がどうの、内燃式がどうのと呪文を唱えられる事も無いだろう。


 そう考えると、幾分かは気分が軽くなった。話が通じるんだから、話も早く済む。


 決意と共に、玄関と思われる、山小屋の大きい扉の前に立つ。まさか、これもあのシャッターみたいにボタンがあったりしないだろうな。そんな下らない事を考えながら、ノックしようとした寸前で手が止まった。


 首を捻った。眉間に皺が寄るのが自分でも分かる。音こそ無いが、荒ぶる息遣いを感じた。このドアの先の山小屋の中ではなく、20フィート程先の、山小屋の角を曲がった向こうから。


 横長の山小屋の角の先の、空き地の様になっていると思われる広場から、隠れるつもりの無い、息遣いを感じる。太く、雄大な、ハネワシの様な息遣いを。


 静かに手を下ろし、山小屋の角を見据える。まさか、本当に中型鳥類でも紛れ込んできたのか?前回の森林浴の時みたいに、リッパーなんて持ってないぞ。あの時は偶然、装備に慣れる様にとクルーガーが渡してくれていたから戦えたのであって、こんな事になると思っていなかったから、武器は入念に手入れされて今も自室で箱に収まっている。


 第一印象から疑われる事を避けて、 ナイフ一本すら持っていかなかった事がこんな形で裏目に出るとは。


 気配を殺しながら、静かに角へと近付いていく。何にせよ確認しなければならない、オオニワトリにしろ、ハネワシにしろ、入り込んでいるならそれはそれで、報告しなければならないのだから。


 正直、こんな辺鄙な所に住むから野鳥が迷い混んだりするんじゃないのか。そんな事を考えながら、 静かに角から先を覗き込んだ。


 少しの間があった後、目線や首だけでなく、ゆっくりと身体ごと角の先へ出た。呆然としていた。


 見えている物に、頭が追いつくまで、少しかかった。


 其処に居るのは、オオニワトリの様な中型鳥類ではなかった。ハネワシの様な大型鳥類でも無かった。


 最初に見えたのは、分厚く広い背中。そして、肉を詰め込んだ様な肩、腕。そいつが、支え無しの倒立をしている事に気付くまで数秒かかった。片腕を腰の後ろに回し、もう片手の掌を地面に付けず、5本の指先だけで身体を支えている事に気付くのに、更に数秒を要した。


 筋肉を詰め込んだ様な大柄のラグラス人が、此方に背を向けて、片手の指だけで倒立をしていた。


 湯気すら出そうな息遣いのまま、片手で自分を支えたまま、ラグラス人が身体を緩やかに下ろしていき、下で止まったかと思えば少しの間の後、蒸気の様な息を吐きながら身体を押し上げていく。


 何だ、こいつは。


 完全に面喰らっていたが、頭の中で幾つもの千切れていた糸が繋がり、縄となって結び付くのを感じた。おい、冗談だろ。


 「ユーリ?」


 小石を投げる様にそう呟くと、蒸気機関で動く獣の様だったラグラス人が、急に動きを止める。


 そのまま、身体を伸ばしたかと思えば、それだけの大柄な肉体でありながら、倒立から転ぶ事もよろける事もなく片手の体勢から少し跳んで、倒立から二本足で立ち上がった。


 巨大な男。それが最初の印象だった。


 6フィート余りある自分が見上げている、メニシコフも相当高かったがこのラグラス人はそれ以上だ。身長は7フィート以上あるんじゃないだろうか?


 このラグラス人は、上半身に服を着ていなかった。先程の湯気の出そうな光景を見れば、幾分か納得の行く話ではあるが。肉を詰め込み、 そこから彫り込んだ様な筋肉が上半身を覆っている。


 そんな筋肉の塊の様な上半身を、古代文字や様々なシンボルを織り混ぜたトライバル式のタトゥーが鎖骨から上、手首から先を除いた上半身の大半を彩っていた。


 頭の側面の銀髪を刈り上げた上で頭髪の束を太く編み、一本の太い尾の様な三つ編みを、後頭部に下ろしている。


 思わず、後退りそうだった。こんなにも大柄な男は見た事が無かった。そして、その大柄な身体にここまで筋肉を詰め込んだ男も。


 先程の気遣いが行き届いた道も、丁寧さが見える花壇や山小屋も、この巨大な、岩から彫り込んだ様な男がやってたってのか?こんな、頭蓋骨すら握り潰しそうな、この男が?


 頭の片隅で、皮肉めいた愚痴を溢す。


 嗚呼、聞かなくても分かる。こいつも、きっと一筋縄じゃ行かないな。






 「俺に、何か用か?」


 ユーリと呼ばれた男は訛りの強いマグダラ語、共用語でそう呟いた。

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