第60話

 「仕事だぞ、クソ野郎。役に立てば今後も飼ってやるよ」





 ヴィタリーの憎まれ口も、今回ばかりは研ぎ澄まされた様な殺意が滲んでいた。


 元々重たい空気が漂っていた幹部会議室は、鉛で満たされた様に殊更重い空気が張り詰めている。


 静かに息を呑んだ。今回の任務にかかっている意味など、改めて推察するまでも無い。


 ここで任務を成し遂げられない場合、俺は切り捨てられる。間違いなく。


 「今回の目標は、レオノーラ・ハイルヴィッヒ・イステル。薬剤師かつ、有名な医療研究者でもある」


 アキムが冷淡な声と共に、机に複数枚の書類を滑らせる。


 書類を手に取った。書類そのものが冷えてる様に感じるのは、流石に錯覚だろう。


 「イステル女史は今、レガリス及びバラクシアでは歴史に名を刻まんばかりの有名人だ。君も名前ぐらい聞いた事はあるだろう。今回、君にはこいつを排除してもらう」


 そんなアキムの声を尻目に、書類に目を向ける。文章に目を通すまでもなく、書類に添付されたイステル女史の大きな似顔絵が目に付く。


 俺でさえ知っている顔がそこにはあった。


 レオノーラ・ハイルヴィッヒ・イステル。女性。医療研究者にして薬剤師。


 バラクシアに広く普及した万能解毒剤“テリアカ”の研究を続け、イステル女史が改良成功を公表したのが数年前。


 テリアカの万能性が故の、患者の肉体に対する高負荷が改良により効能を損なう事なく軽減され、今まで問題点の一つだった体力の無い患者に投与する際の希釈が必要無くなり、非常時に直ぐ様投与出来る様になった事が証明されると、イステル女史の名はレガリス中に知れ渡る事となった。


 屠殺場に居た頃でさえ新聞で見掛けた程の、かなりの有名人だ。


 「………テリアカを改良した天才、というのは俺も聞いた事がある。少し前にも新聞でやたらと持て囃されていた天才だ。……そいつが今回の目標なのか?万能薬を改良した救世主を殺せと?」


 「気が進まないか?」


 いざとなれば今すぐ斬り捨ててやる、と言わんばかりの語気でヴィタリーが呟く。


 「訳も分からず“やってみました”じゃ、お前らが迷惑するんだろ?」


 怯む訳もなく、睨み返しながらそう返す。愛嬌で助かる様な段はとうに過ぎている。逆に言えば、殺意を向けられても睨み返す程の気概が無ければ直ぐにでも首を落とされ、皮を剥がされかねない。


 俺は、後が無い猟用鳥なのだから。


 「理由は、資料に書いてある通りだ。イステル女史は改良型テリアカを開発した天才、と表では持て囃されてはいるが実質は殆ど真逆と言って良い」


 地下牢の時を思い出す程に冷えきったクロヴィスの言葉を聞きながら、書類を捲っていく。


 捲った書類に目を通していく内に、妙な顔になるのが自分でも分かった。ギャング“ブージャム”?医療畑を転用して禁止薬物を栽培?非合法の護衛?


 「………裏付けは、取れているんだよな」


 「噂話を元に資料を作るとでも思ってんのか?人員を使って全部念入りに裏を取ってある。何度も繰り返し疑った上でな」


 思わず溢したそんな声に、直ぐ様ヴィタリーが切り返してくる。どうやら言い分から察するに、ヴィタリー達も信じがたい事を書いている自覚はあるらしい。


 しかしイステル女史の素性がこの資料の通りとなると、イステル女史は救世主どころか、とんでもない悪党と言う事になる。


 レオノーラ・ハイルヴィッヒ・イステル女史は、元々は医療研究者として勤務していた。だがある日、どう関わりを持ったのかは分からないが、薬剤師の仕事を乱用して徐々にギャング“ブージャム”との裏取引で利益を受け取る様になっていく。


 その内イステルは医療研究者としてより、ギャングに医療品や薬物を横流しする供給者としての側面が強くなっていき、次第にギャング“ブージャム”の中でも高額の利益を上げる取引相手として評判になっていく。


 そんな中イステルはある日、同僚かつ親友のリア・エルザ・ランゲンバッハ女史が長年開発していた、改良型のテリアカに目を付けた。


 そしてもし自分にその名誉と功績があれば、表の世界で医療研究者としても、裏の世界でギャング“ブージャム”の“生産者”としても、生涯使いきれない程の金貨を稼げる可能性に気付いた。


 気付いてしまった。


 イステルの同僚かつ親友のランゲンバッハ女史に落ち度は無いが、幾つもの不幸が重なった事は言うまでもない。


 一つは付き合いの長さからイステルを信用し、自身の業務の管理に関わらせてしまった事。一つは、人の不幸によって金貨を袋詰めしている連中に眼を付けられた事。


 そして、金貨の為なら良心を幾らでも切り捨てられる人間が、よりにもよって自身の隣に居た事。


 親友という立場を利用し、隣で笑顔を向けながら入念に準備と工作を重ねていく同僚に、ランゲンバッハ女史は最後の瞬間まで気付けなかった。


 そして、全ては成されてしまった。


 イステルの名で改良型テリアカは公表。記者から連日の取材を受け、効能が証明されてからは指一本動かさずとも持て囃される日々。


 金の椅子が約束され、働いていた頃以上の給料が働かずとも入り込む様になった。


 その上、自由に使える様になった医療畑で生産した医療薬物、及び高純度の禁止薬物を秘密裏に“ブージャム”に供給。


 瞬く間に、表と裏の両方でイステルは輝かしい権力者となった。


 一方、全てを奪われたランゲンバッハ女史は、匿名の密告により逮捕されアイルガッツ刑務所に収監。密告された罪状によると禁止薬物の大量所持という事らしいが、真相は言うまでもない。


 アイルガッツ刑務所にはブージャムのメンバーだけでなく対立しているギャングチーム、“スナークス”のメンバーも数多く収監されており、ギャング同士の抗争も多発しているらしい。


 元々は薬剤師でしかないランゲンバッハ女史は、恐らく死亡している可能性が高いとの事だ。


 「今回、君に託す任務は二つ。1つは、ギャング“ブージャム”内で厳重に管理されているであろう、イステル女史の証印が付いた栽培認可証。これの奪取、及び確保だ」


 そんなクロヴィスの言葉を聞きながら、資料に目を走らせていく。


 レガリスでは一部の植物を栽培する際には、証印付きの栽培認可証が必要になる。理由は言うまでも無い、禁止薬物の原料を堂々と製造されない為だ。


 コバロナ、デロンタール等の麻酔薬の原料になる植物は、“青タバコ”を始めとした様々な禁止薬物の原料にもなる。


 だからこそ、禁止薬物の原料を栽培するには相当な配慮と苦労が必要な筈だが………よりにもよって国から直接認可を得ている訳か。


 考えてみれば、“改良型テリアカ”の開発者ともなれば様々な融通が利くだろう。それこそ、“研究用”とでも説明すれば幾らでも認可が下りる筈だ。


 しかし認可証を使って白昼堂々、禁止薬物の原料を育てるとは恐れ入った。大胆な発想と言うしか無いが、いやはや。


 ふと、資料から少し顔を上げる。


 「認可証の確保?破棄する訳じゃないのか?」


 「確保だ」


 俺のそんな言葉に、再び説明しようとするクロヴィスを遮る様にアキムが割り込んでくる。


 「むしろ、間違っても奴等に破壊させるなよ。イステルを破滅させるのに必要になる。イステル自身だけでなく名誉も破滅させなければ、黒羽の団は“医学の救世主を殺す邪教集団”にされてしまうからな」


 成る程。イステルの名誉を引き剥がし、救世主の振りをして山程金貨を稼いでいる極悪人を裁く事が今回の目的と言う訳か。


 レガリス及び帝国の革命からは縁の遠い仕事な気がしないでもないが、流石に俺だって馬鹿じゃない。


 ………前回の仕事で、俺は成果を別にしても“カラスを呼び出して兵士達を翻弄し、闇夜に消える”という童話の悪魔紛いの事をしてしまった。


 そのお陰で、今や黒羽の団は“レガリスの災厄”として守るべき民衆からさえも怯えられている。だからこそ、黒羽の団は民衆の味方なのだと、改めて示す必要がある。そんな所だろう。


 民衆が付いてこない革命など、何の意味も無い。例え帝王を討ったとしても、血に飢えた悪魔の様に扱われては元も子も無いのだから。


 泥をかけた始末は自分で付けろ。そういう事か。


 口には出さないが、此方の考えている事は向こうにも伝わったらしい。


 「まぁ、そういう事だ。証印付きの認可証があれば、無関係な振りをする事など不可能だからな。逆に言えばそれを確保しない事には始まらない」


 そんなクロヴィスの補足説明を聞きながら、資料を再び眺める。


 どうやら、幾ら外面を完璧に保っていると言っても後ろ暗い事をしている自覚はあるのか、随分と警備が厳重な所に住んでいるらしい。


 正に城塞だ。イステルは改良型テリアカを発表してからも暫くは住居と研究所を行き来していたらしいが、最近では研究所を改装して居住区を組み込み、そのまま研究所に住み着いているらしい。


 殆どは、研究よりは“青タバコ”の精製やその効率化が主な仕事なのだろうが。


 そして城壁とまでは言わずとも住居及び研究所、そして併設されている件の薬物原料の畑は全て厳重な警備に囲まれている。


 俺でさえ知っている程の有名人になれば警戒し過ぎる事は勿論無いが、強盗や金銭目当ての連中を警戒して、と言うよりは俺達の様な“裏まで知っている”連中を警戒してこんな城塞染みた所に住んでいる、というのが本音だろうな。


 憲兵が警備しているそうだが………資料を見る限り、服装は警備員でも中身はギャング“ブージャム”のメンバーか、ブージャムの息がかかった者の様だ。


 憲兵と比べ、荒事に対する実力はどうなのか気になる所だが、ブージャムは元々幾度の抗争を超えて勝ち残ってきた“武闘派”だ。少なくとも、其処らの悪漢よりは余程腕が立つと見て良い。


 「そしてもう1つ。イステルの研究所にある青タバコ精製の帳簿だ、これも認可証と同様に確保してくれ。先述した認可証と同じく、イステルを破滅させるのに必要になる」


 クロヴィスの説明から察するに、原料の栽培認可証とその原料から精製される禁止薬物の利益の帳簿、この二つを組み合わせてイステルの罪状を公表、もしくは嫌疑をかけさせると言う事なのだろうか。


 少し考え込みそうになったが、この辺りは俺が考えても仕方無い。この二つを渡せば、きっと諜報班辺りの腕利きが上手くやってくれるのだろう。


 「言っておくが、勿論その二つはイステルが命の次に大事にしている代物だ」


 捲っていた資料を畳んだ辺りで、アキムがそんな声をかけてくる。


 嗚呼、成る程。言うまでもなく、イステルがそんなに大事な認可証と帳簿をあっさり差し出す筈が無い。


 「……本人に“問い質す”必要があるって事か」


 俺が溢した言葉に、アキムもクロヴィスも此方に冷たい眼を向けたまま顔色一つ変えない。肯定と言う事だ。


 「吐かせた後のイステルはどうする?排除するのか?」


 「好きにしろ」


 少し離れた所から腕組みのまま返事を返すヴィタリーに、少し意外な物を感じながら顔を向ける。


 「今回の目的はイステルの罪状であって、イステル自身は特に生きていようと死んでいようと、任務の進行には関係ない訳か」


 「殺しておきたいなら殺せば良い。どのみち、今回の件が明らかになれば長生きなんぞ出来る訳もねぇ。素直に殺しておいた方がむしろ慈悲になるかもな」


 微かに鼻を鳴らした後、ヴィタリーが吐き捨てる様に言う。本当に興味が無いらしい。しかし尋問か、マクシムの時の様に素直に口を割ってくれると良いんだが。


 痛め付けるのも切り刻むのも構わんが、手間がかかるのは面倒だ。


 そんな事を考えていると、ヴィタリーが改めて一歩踏み出して言った。


 「一応、言うまでも無いが言っておくぞ。今回の任務で、黒羽の団が民衆の味方だと証明出来なければ俺達はお前を切り捨てる。それこそ、レイヴンを差し向けてでもな。分かったか?」


 睨み付けてこそいるが、あの地下牢の時の様な鉄格子に掴みかかる様な激しさは無い。だが逆に、静かに言われる方が余程冷たい物を感じた。研ぎ澄まされた切っ先が見えるかの様な鋭さを感じる。


 「ヴィタリーに便乗する訳じゃないが付け加えておこう」


 同じく、冷たい物を感じさせる声音でアキムが続ける。ヴィタリーと同じ眼で此方を見据えながら。


 「今回の任務の細部はイステルの吐かせ方、イステルの処分含め、後方支援以外は君に一任する。殺す人数も殺し方も、君に任せる。先述した物証の二つさえ確保出来るならな」


 地下牢の時以来の、張り詰めた物を感じる。分かっては居たがやはり俺は後が無いらしい、成果を出せなければ皮を剥がされ毛皮にされる。それだけは間違いない。


 「君も薄々感付いてはいるだろうが、一応公言しておこう。君が今回の任務をしくじっても、我々には次の策がある。次の任務もな」


 アキムのそんな言葉に、喉がひりつくのが分かった。地下牢の時の、一歩間違えば処刑されかねなかった時の胃液が這い上がってくる様な空気を思い出す。


 だが、むしろ真っ直ぐに眼を見返した。最後まで牙を剥き続ける事。それ以外、今の俺に正解は無い。


 「だが君も分かっているだろう、君に次は無い。君をこれからも団に置いておく価値があるのか、この任務で判断する。君の裁量に任せる部分が大きいのもそれが理由だ。イステルを生かすにしろ殺すにしろ、それが世間に取ってどう転ぶか、黒羽の団はその事実をどう扱うか。良く考えて任務を遂行する事だ」


 返答は無くとも俺がそれを理解している事、またそれを了承している事は伝わったらしくアキムが「頼んだぞ」と会話を締めくくる。


 実際、了承する以外に何が出来るのかと聞かれたらそれまでとも言えたが。


 深い息と共に、資料に再び眼を落としているとヴィタリーとクロヴィスが上着に袖を通すのが視界の端に見えた。


 話は終わりらしい。


 仕事は10日後の夜か、自分の中でも作戦の仔細を詰めておかないとな。


 「あぁ、最後に一つだけ。従う従わないに関係なく、付け加えておくぞ」


 クロヴィスとヴィタリーが足早に消え、最後に残ったアキムが上着の襟を正しながらふと俺に振り返る。







 「派手にやってくれ。良いな?」

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