第60話 子守唄②


     /黎


 目が覚める。

 脱力感の中、わたしは身体を起こした。

 そして息をつく。


 目覚めたばかりだというのに、なぜだか頭ははっきりしている。

 まるで、ただ身体だけが眠っていたかのようだった。


「終わった……のね」


 少なくともあの時、わたしはそう判断していた。

 ユラは、わたしの剣を受けた。

 それがどういう結果をもたらすのか、考えるまでもない。


 いや……どうなったのか、正直なところは分かってはいなかった。

 わたし自身の力では、ユラを殺すことはできない。


 ならばレネスティア様の力のこもったあの剣の力を展開させて、それをもってすればあるいは――と、考えていた。


 もしかするとその通りになったのかも知れないし、ただ今までのように封印された状態に戻っただけかも知れない。

 それは、分からなかった。


 だがどちらにせよ、それはわたしが望んだことのはず。

 だというのに、少しも気分が晴れることはなかった。


 ユラと相対し、戦い続けるうちに、どうしてだかわたしは追い込まれていっていたのだと思う。


 そして最後の交錯の瞬間、わたしは敗北を覚悟した。

 ユラの力の前に、呑まれ、消えるだろうと悟ってしまった。


 だというのに最後の最後であの子は――


「ぅ……あ」


 嗚咽が洩れる。

 むかむかしたものが喉の奥から這い上がってこようとするが、結局出るものなど何も無く。

 ただ絞られた声のみが、むなしく響いた。


「馬鹿よ……。どうして、どうしてあの子は……」


 そうだ。

 ユラは最後の最後で力を抜き、わざとわたしの剣をその身に受けたのだった。


 理由は何なのだろう。

 真斗との約束を守るためだろうか。

 それとも単に、わたしを殺すことができなかったからだろうか。


 何にせよ、結果はこうなった。

 わたしはもう……。


「え?」


 そこで初めて。

 わたしは隣に寝ている者の存在に気づいた。

 その顔を見て、絶句する。


「な……エクセリア……?」


 思わず、その名を呼んだ。

 わたしの横にあって、寝かされている少女。

 それは間違いなく、エクセリア様だった。


「どうして……」


 眠っているようには見えない。

 まるで息をしている様子が無いからだ。

 しかしだからといって、死んでいるわけでもない。その身体は明らかに生気に満ちている。


 それはまるで、人形のよう。

 けれどその姿は馴染み深いものだった。


 エクセリア様も、レネスティアもう一人の妹も、眠っている姿はいつもこんな風だった。

 初めは戸惑ったけれど、もう慣れている。


 ふらつく身体で何とか立ち上がり、わたしはそっとエクセリア様の傍へと歩み寄る。

 この方の、こんな姿を見ることができるのは、本当にどれだけぶりだろう……。


 その懐かしさに、知らず、わたしは歌を口ずさんでしまう。

 むかし、わたしの妹たちを寝かしつけるために歌った曲。

 稚拙な子守唄ではあったけれど、それでもこの子たちはそれで眠ってくれた。


 なかなか言うことを聞いてくれない妹たちの相手は大変だった。でもそうやって一日が過ぎて、寝かしつけて………。


 それはみんな、わたしの役目。

 いろいろと苦労した反面、振り返ってみればそれは幸せであったと思う。


 唯一失ったものがあるとすれば、自分もまたあの人の妹であったということ……。

 姉であろうとしたため、妹としていることができなかったことだ。


 それが、最後の最後で暴発してしまった。

 良い妹で在り続けようとしたユラを見て、どうしようもなく嫉妬してしまったのだ。

 そして自ら全てを壊した。


 ずっとユラのせいにしてきたけれど、本当は、自分の弱さが原因だったのかもしれない……。

 そんなことにはとっくに気づいていたのに、それでも改めることができなかった自分は、結局その程度の人間だったのだろう。


 お兄様に選ばれなかったのも、当然か……。


「――何を泣く?」


 不意の問いに。


「……起こしてしまいましたか」


 瞼を開いたエクセリア様と目が合い、わたしは僅かに頭を垂れた。


「申し訳ありません。耳障りでしたでしょうか」


 思わず口ずさんでしまっていた子守唄のことを、詫びる。

 エクセリア様は、首を横に振った。


「……いや。懐かしく、感じた」


 そう答え、身を起こす。

 そして周囲をしばし眺めやった後、わたしへと尋ねてくる。


「私をみてくれていたのか?」

「いえ……。わたしも今、目覚めたところです。そうしたら、エクセリア様が」

「……そうか」


 頷き、エクセリア様は音も無く立ち上がった。

 そのままどうすることもせず、エクセリア様はただ立ち尽くす。


「…………?」


 違和感を覚え、わたしは怪訝に思う。

 信じられないことであったが、エクセリア様がひどく……落ち込んでいるように見えてしまったからだ。


「……どうか、されたのですか?」


 相変わらず言うことのきかない身体を無理やり動かして、彼女の前にしゃがみこみ、そして見上げた。


「私は……」

「はい」

「私は、この先行きが、自身を含めてわからなくなってしまった。ゆえに逃げた……。この身を真斗に任せ、思考を止めた。――そなたは無事のようだが、由羅……ユラスティーグは?」


 その問いに。


「はっきりとはわかりません。ですが、すでに果たされたものだと、認識しています」

「――――」


 僅かに、エクセリア様が目を見開く。


氷涙の剣アルレシアルは」

「ユラの元に戻りました」

「…………」


 わたしの返事に、エクセリア様はどこか肩の力が抜けたかのようだった。

 今エクセリア様が何を考えているのかは、分からない。

 しかしこれは、望んだことのはずだった。

 そして。


「――次は、わたしの番です」


 そう。

 エクセリア様が望むもの、望まないものなど知っている。

 わたしは望まれていないものであることも。


「覚悟はできています。命じられれば、いつでも」

「そなたはまだ生きられる」

「ですが、その目的も消えました」


 わたしはユラに依存していた。

 もしあの子が封印されただけに留まっているのならば、これまでと変わらない。

 依存し続けることもできるだろう。


 しかし、もうその気は無い。

 今となって、わたしの中の何かが欠落してしまった。

 その気力が、すでに無い。


 例えこの後体力を回復させたとしても、精神は一気に老いていくことになるだろう。

 結果、死なずにいられなくなる……。


 そんなわたしを、エクセリア様はしばらく見返していた。


「私は、何をやっているのだろうか」

「…………?」


 独白のようにつぶやくエクセリア様に、わたしは首を傾げる。


「私でも、家族……と呼べる者はいた。レネスティア、レイギルア、そなたにユラスティーグも」


 それは、わたしにとっての家族でもある。


「だというのに、私はそれを失ってゆく……。まずはレイギルアを。私は初め、失うその意味がよくわからなかった。だからこそ、そなたとユラスティーグのことも」


 わたしとユラがああなった時、エクセリア様はまるで無関心のようだった。

 わたしのすることにも何も言わず、そしてユラの助けにも応じることはなくて。

 ただ、静観していた。


「そして、ユラスティーグを見捨て、変質したその存在を受け入れることができずに。また、そなたの存在をも……。レネスティアに至っては、どれほどの苦痛を与えたことか。……そこまでして、為すべきことだったのだろうか」

「それを、お悩みなのですか」


 わたしは聞いた。

 エクセリアは答えなかったが、否定もしない。

 認めることが辛いが、事実でもあるのだろう。


「それが滑稽なことかもしれないと感じつつも、わたしはここに至るまで、やり遂げるまできました」

「……私も、迷うべきではないと?」

「いいえ。わたしがそうしてこれたのは、それがわたしの生きる唯一の目的に成り下がっていたことと、そして悩むことをしなかったからです。我ながらに情けなく、愚かな人生であったと思います。ですが、それが必ずしも間違っていたとは思いません。そもそも、何が正しくて何が間違っているかなど、そんな正誤などありはしないはずです。ですから、あなたが間違っていて、レネスティア様が正しいということもなければ、その逆も無いのですよ」

「そう……なのだろうか」

「はい。ですが」


 この先を続けるべきかどうか、一瞬迷う。

 だがすぐに振り払った。

 もう、わたしは終わっているのだから。


「悩むことができるのならば、そうすべきです。そして、後悔も。そうやって、生き方を変えることも……決して悪いことではないはずです」


 わたしがしなかったこと――できなかったことを、それでもそうすべきかもしれないと、奨めた。

 我ながら偉そうなことをと思ったが、言わずにはおれなかった。


「そなたは、私を見捨てぬのか」

「なぜ、そのようなことを?」

「かつて私は、そなた達に関わろうとしなかった。しかし利用はした。……今回もまた。だというのに、なぜ恨みに思わぬ? なぜ優しい言葉を……かけるのだ?」


 そう尋ねてくるエクセリア様の表情は、それこそ初めて見るほど感情に溢れていた。

 ようやくそんな顔を見せてくれるようになったことに、どこか場違いな満足感を覚えてしまう。

 そして、愛しいとさえ。


「なぜ……そうですね。それは、わたしがあなたの姉だからです」

「――――」

「僭越を、お許し下さい。ですが、わたしは今も……そう思わさせていただいています」

「……それは、レネスティアに対しても?」

「はい」

「ならば、ユラスティーグに対しては」


 即答は、できなかった。

 なぜならば、すでにユラ自身へと答えてしまっているから。

 わたしのことを、今でも姉と思うと言ったユラに対しては、わたしは否と。

 けれど。


「ここまで想ってしまった相手です。姉妹ゆえであったのならば、やはりわたしは未だに姉のままであったということでしょう」


 いくら憎かろうと、その事実だけは変わらない。

 わたしはあの子に嘘をついたのだ。

 結局、わたしも甘かったということだろう。


「ユラスティーグは未だ生きている」


 突然そう言われ、わたし息を呑み込む。


「もし死んでいれば、恐らくこの身の精神に、何らかの異常をきたしていたことだろう」

「それは、どういう……?」

「クリーンセスの時の、レネスティアを覚えているであろう?」

「……はい」


 今も尚、あの時のことはよく覚えている。

 あの時より、わたしの憎悪など遥かに凌駕する怨嗟でもって、ユラはレネスティア様に憎まれることになったのだから。


「我らは一度認めたものを失うことを、容認できぬ。……そう、できてしまっている。わかっているつもりではあったが、あまりにも認識不足だった。真斗がそれを、教えてくれた。思えば二人のネレアのことも、それゆえだったのかもしれない」

「真斗、が……?」

「私は真斗を殺せなかった。それどころか、誰かに殺されることすら嫌だった。その、つもりであったというのに」


 真斗とエクセリア様の間に何があったのかは知らない。

 それでもエクセリア様を悩ますほどの何かが、あったのだ。


「私が認めた者は少ない……。それでもその中に、確実にユラスティーグもそなたもいる。私はできぬことを、やろうとしていたのだ」

「しかし、それでは」

「まだわからぬ。しかしきっと……私はそなたにも、ユラスティーグにも、生きて在って欲しいと思ってしまっているのだろう。……やはり、私はレネスティアに嫉妬していたようだ。だからこそ、気づくのにこれほどの時を費やしてしまった」

「エクセリア様……」

「私は、とてもあの者の姉では在り得ぬ」

「――――」


 その言葉に、どきりとする。

 それはまるで、自分自身の鏡を見ているかのようで。

 わたしもまた、あの子の姉を名乗る資格など無いのかもしれない……。


「ジュリィ」


 名を呼ばれた。


「はい」


 頷く。


「また……これからも、傍に在って欲しい。そしてまた……あの歌を」

「……はい」


 もう一度、頷く。

 けれどこれは、半ば嘘だ。

 わたしはもう終わっている。

 それは変わらない。

 変えるつもりもない。


 しかし残された命……いくばくも無いだろうが、その間ならば捧げてもいいと思った。

 誰に対してでもなく、自分自身に。

 姉という自分に。


「もう一度、歌ってはくれないか」


 今ここでと。

 返事の代わりに、わたしはベッド代わりに使われていた長椅子に腰掛ける。


 エクセリア様も再び腰を落ち着け、そしてわたしの膝に身を任せて。

 少しぎこちなかったけれど、あの時のように。


 この子は眠り、わたしは歌った。

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