第37話 幼馴染の説得③

 鋭い痛みが走る。

 そのために生まれたわずかな動揺を、茜は見逃さなかった。


「どけ」


 冷たくそう言い放つと、茜は左手の拳で俺の顎を容赦無く殴りつける。

 そしてそのまま突き飛ばした。


「ぐっ……!?」


 油断――したわけじゃない。

 単純な、経験の差だろう。

 どこまでで勝負が決するのかという、その見極めることに対しての。


 茜は俺を蹴り飛ばすと即座に立ち上がり、未だ残る咒法の火を収束させた。

 そして再び放つ。

 俺に向けて。

 覚悟する間も無く、炎が迫る。


「…………!!」


 しかし、身体が焼けることは無かった。

 炎は周囲を囲んでいるものの、ぎりぎりで押し留まっている。

 それでも信じられないくらいに熱いが。


「真斗」


 炎の向こうから声がする。


「お前の負けだ」


 それを否定することはできなかった。

 形成は一気に逆転し、茜がもしその気だったならば、俺は燃え尽きていただろう。


「これ以上ごねるのなら、私も容赦しないぞ」


 あいつの言葉に殺意は無い。

 が、怒気は感じられた。


 俺は仕方なく……両手を上げる。

 その様子が分かったのか、茜は小さく鼻をならすと、俺を囲んでいた炎を退かせ、消失させた。


「やっぱりお前には勝てないな」


 何とかなるかもしれないと思っていたけど、やはり現実はこんなもんらしい。


「……諦めるのか?」


 ほんの僅か意外そうに、茜は尋ねてくる。


「諦めさせたのはお前だろ?」

「――黙れ馬鹿真斗」


 俺の言葉に茜は表情を険しくさせると、一気に俺の懐へと飛び込んできた。

 そして一発、顔を思い切り殴られる。


 ――今までの中で一番、痛かった。


「ってえ……!」

「お前、いつからそんなに意気地が無くなったんだ? 諦めさせた、だと? ふざけるな」

「あ、茜……?」


 小さな肩を震わせて、茜は怒っていた。

 今まで見たことがないくらい、激しく。

 俺はぽかんとなるしなない。


「こんな所まで乗り込んできて、この私に挑んできた時には、馬鹿なりにお前らしいと感心した。いい悪いは別としてだ。戦ってみて、お前は信じられないくらいに強くなっていた。それも感心した。だというのに、一度追い詰められたからといって、あっさりと諦めて……一体何をしに来たんだ? 私はそんな弱い奴に付き合っていられるほど、暇じゃないんだ」


 どうやら怒られているらしい。

 俺が、だ。


「悪かったな。期待に添えなくて」


 散々言われて俺もさすがに不機嫌になって、ぶっきらぼうに言い返す。


「別に期待なんかしてない」

「あーそうかよ。だったらどうして俺がお前に怒られなきゃいけないんだ?」

「それは……」


 答えようとして、茜は言いよどむ。


「もう一発殴られたいのか?」


 答えられない答えなのか、視線を険しくさせて茜はそう言い放った。

 暴力女め。


「まあ、いいさ。腑抜けだろうと何だろうと、負けたのは俺だからな。これ以上お前に無理は言わないでおく」

「……どうする気なんだ」

「どうもこうも。効率の悪い方法に戻るだけだろ。俺はあいつを捜す。邪魔されれば抵抗する。叶うかどうかは別としてもな」


 答えた瞬間、また茜が動いた。

 そう二度も三度もやられるかっての!


 充分に警戒していた俺は、あいつの動きにあわせてその一撃を避け、銃を突きつける。


 避けた茜の短剣は再び俺の喉元に突きつけられてはいたが、俺の銃もこいつの額に狙いは定まっていた。

 互いに、微動だにせずに。


「不可解――とは言わない。お前の行動は」


 そのままの姿勢で、茜が口を開く。


「へえ?」

「らしいとはいえば、お前らしい。馬鹿だけど」


 ……む。


「馬鹿とは何だよ馬鹿とは」

「あんな物騒なものに気を許すお前のような奴を、馬鹿と言うんだ。知らなかったのなら覚えておけ」


 ったく酷い言いようだな茜の奴。


「許してねえよ。そいつをこれから見極めるんだろ?」

「私に負けて、すぐに諦めるような奴が、できるのか?」

「さあな」


 俺は特には何も言わなかった。

 諦めたのは、あくまで茜に対してのことだ。

 由羅の奴と話すという目的を、放棄したわけじゃない。


 負けたのは事実だが、二度目もそうなるとは思っていない。

 少なくとも、二度目のチャンスがある以上は。


 もっとも機会があるからといって、こいつとそうそうやり合いたくはないけどな。


「どうして、あいつにそんなに気をかける?」

「色々はっきりさせたいから、だな。俺がやられたこととか、あいつのこととか。そういうのを気にしてしまう程度には」


 もう、俺はあいつのことを気に入ってしまっている。

 良くも、悪くも。

 それだけだ。


「……ふん」


 茜は鼻をならすと、じろりと睨んできた。


「銃をおろせ」

「お前が先だろ?」


 そう言ってやったら、茜の持つ短剣の刃が、数ミリこっちに接近してくる。

 ったく……。


 俺はこれ見よがしに、肩の力を抜いてみせた。

 それを合図にしたかのように、あいつの短剣と同時に俺は銃を下げた。


「やっぱりお前は馬鹿だ」

「おい」

「素直に私の言うことを聞いていればいいのに」


 そっぱを向いて、茜はそう言う。

 俺は半眼になった。


「お前の何を聞けってんだよ。ご希望通りに諦めてみせたら、怒って殴ったりするくせに」

「ふん。真斗なんかに、この私の崇高な考えが理解できるなんて、これっぽっちも期待なんかしてない」


 はいはい、そーかよ。


「んで、どーするんだよ? 結局後で俺が邪魔になるっていうのなら、ここでもう一度完全に決着つけるか?」


 さすがにお互い殺し合いとまではいかないだろうが、それでもどちらかが立てなくなるまで――ならば。


「真斗」

「なんだよ」


 多少身構えて、見返す。


「私も馬鹿のようだ」

「ほう」

「馬鹿に話しても無駄だと気づくのに、こんなにも時間がかかったんだから」

「てめー……」


 相変わらずの言いようではあったが、それでも茜から戦意のようなものは消えていた。


「望み通り、時間はやる。だけど条件だ」

「ああ」

「もしあいつが望むような答えを返さなかったならば、決断しろ。私や黎の邪魔を、二度としないと」


 それは、紛れも無く茜の本心のようだった。

 俺は頷く。


「……サンキュ」


 俺の見込み違いであるのならば、俺はもう何も言えないし、できない。


「それにしても真斗」


 ふと何かを思い出したかのように、茜は訝しげな視線を改めて送って寄越してきた。


「んだよ?」

「お前のことだが……何だかインチキ臭いぞ」


 初めは何のことだか分からなかったが、やがて何となく察する。

 茜が言っているのは、あいつと互角以上に渡り合うことができた、俺の力のことだろう。


「ま、それは俺も思うけどな」

「何だそれは」

「仕方無いだろ? 俺だってよくわかってねえんだから」


 今までの俺に、こんな力の自覚など無かった。

 理由はよく分からないが、今はそれを喜ぶこともいぶかしむことも、やっている時間は無い。

 後回しだ。


「ともかく行くぜ、茜」

「うん。あれからずいぶん移動したようだから、見失ってしまったけど、たぶんすぐに見つかると思う」


 夜の民家の屋根を見下ろしながら、茜は言う。

 俺にはとても見えないが、茜は俺以上のものを知覚できているらしい。


「ついて来い。でも遅れるようなら置いていくから」


 そうとだけ言って、あいつは非常識にもビルから飛び降りていってしまう。


 ……おい。

 いきなりそれかよ?


「確かになあ……今だったらお前らみたいな芸当もできそうな気がするけど……」


 先ほどの茜との一戦を振り返るに、今の俺なら何となく不可能では無い気もするが、やはり足は竦む。

 あいつと違って、普段からこんなことには慣れていないというのに……!


「くそ、こんなとこでいきなり置いてかれてたまるかよ」


 結局、俺は茜の後を追って、ビルから飛び降りてやった。

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