第290話 ライト、まだこの上があるの?

 水曜日、エリザベスがダーインクラブにやって来た。


 エリザベスの用事はライトにあるのだが、トールの姿を見たいという理由でヒルダとトールも応接室に同席している。


 ライトとトールを抱っこしているヒルダで片方のソファーに座り、その対面のソファーにエリザベスが座っている。


「母様、今日はどうされたんですか?」


「保険について学びに来たの」


「保険ですか?」


「そうよ。極東戦争が終わってから、ダーインクラブでは保険? で合ってるのよね? そんな制度を導入したって聞いたからそれが知りたいの」


 エリザベスが言っているのは、ダーインクラブの衛兵と教会の守護者ガーディアンを対象とした死亡保険のことである。


 衛兵や守護者ガーディアンは有事の際に死ぬ可能性がある。


 もしも彼等が死んでしまった時、残された家族は稼ぎ頭を失ったままこれから先の人生を歩まなければならない。


 これまでのヘルハイル教皇国では、彼等がなくなった時にその家族に対して見舞金を払うのが通例だった。


 しかし、その見舞金は領主の匙加減で支給額が変わってしまうし、財力のない領地では貰える見舞金の額も大したことがない。


 それでは命を懸けて戦う衛兵や守護者ガーディアンが、安心して戦うことができないだろう。


 だからこそ、ライトは前世の知識から死亡保険をピックアップしてダーインクラブで導入した。


 なお、地球の保険ならば戦乱等で命を落とすと、原則的に支払い対象から外れてしまうが、ニブルヘイムは争いが多い世界なのでその原則をライトは排除している。


 勿論、自殺者の家族には保険金は支払われないし、既に余命がわかっている者は保険に加入できない等の制約は残している。


「死亡保険のことですね。確かに戦争後から導入しました」


「どんな仕組みなの?」


「死亡保険は助け合いの仕組みで成り立ってます。例えば、1人でいくらお金を貯めて備えても限界がありますし、見舞金でもカバーできない部分も出てきますよね? 死亡保険は大勢の人がお金を出し合ってるからこそ、必要な時に一定のまとまった額を受け取れます」


「領主のお金だけで賄ってる訳じゃないのね?」


「その通りです。領主の僕と保険契約に関わるのは、契約を結ぶ契約者と保険の対象となる被保険者、保険金を受け取る受取人です」


「ごめんなさい。言葉の意味はわかるんだけど、具体例を出してもらえないかしら?」


 保険はニブルヘイムにない概念なので、ライト丁寧に説明することにした。


「わかりました。例えば、守護者ガーディアンのAさんがいたとしましょう。Aさんは3人家族の大黒柱です。Aさんはアンデッドや呪信旅団との戦いで亡くなった時、奥さんや子供の生活をどうしようかと不安に思うはずです。ここまではわかりますか?」


「そうね。私もパーシーも貴族じゃなくてただの守護者ガーディアンだったとしたら、どっちかが死んじゃった時に経済面で不安があるわ」


「そうでしょう? なので、Aさんは僕と契約を結びます。Aさんが亡くなった時に一定額の保険金をAさんの家族に支払います。つまり、Aさんは契約者であり被保険者で、Aさんの家族が受取人に該当します」


「それだとただ見舞金を義務化したように聞こえるわね」


「ええ。ですから、ここからがポイントです。Aさんが亡くなった時にAさんの家族に保険金を支払う代わりに、年に1回だけAさんには保険料を払ってもらうんです」


「保険料? 税金みたいなものかしら?」


「そのように考えて下さい。Aさんとだけこの契約を結ぶのではなく、B~Zさんとも同じ内容で結んだとしましょう。そうすると、領主の僕には契約者から保険料が支払われ、亡くなった被保険者の家族に保険金を払うことになります。いずれは全員が寿命で亡くなってしまうとしても、亡くなるタイミングにバラつきが出るのはわかりますか?」


「わかるわ。余程のことがない限り、タイミングがずれるわね」


 極東戦争のような大きな戦いは例外だが、被保険者が全員まとめて死ぬことはほとんどないだろう。


 被保険者が何名か死んだとしても、これまでに支払ってもらっていた保険料からあらかじめ約束していた額の保険金を支払う。


 そうなれば、ライトは自前で見舞金を用意しなくて済むし、受取人である被保険者の家族も支払われる額が一定のため、有事の際に自分と子供が生きていくのに必要な当面の資金が手に入るという訳だ。


「タイミングがずれるからこそ、契約者同士が持ち寄ったお金で保険金が支払えるということです」


「なるほどね。それで、年に1回払う保険料は一律なの?」


「違います。年齢と性別、持病の有無で初回の金額が決まります」


「それぞれのパターンで、亡くなる危険度が違うってことね?」


「正解です。ちなみに、預かった保険料は勢いのある商会や工場等に貸し出し、利息付で増やしてます。それらを踏まえ、各パターンの保険料は僕とヒルダ、アンジェラが頑張って算出しました」


「生徒会会計の時の計算なんて目じゃなかったよ・・・」


 ヒルダが遠い目をしたのを見て、エリザベスは戦慄した。


 ライトのためならば、ヒルダは基本的にどんなことでも喜んで協力する。


 しかし、今目の前にいるヒルダはその作業をできればもうしたくないという雰囲気を漂わせている。


 これは明らかに異常だったので、エリザベスが驚いたのだ。


「そんなに運営側が大変な制度なのね。保険料の算出も大変でしょうけど、預かったお金を増やせるようにしないとこの制度はご破算になるわ」


「それで命を懸けて戦う彼等とその家族が安心してくれるなら、安い対価ですよ。今の加入者が仮に全員亡くなっても、支払えるぐらいの資産はありますし。ヒルダ達に手伝ってもらいましたが、これ以上複雑な制度にすると計算が大変になるので手は出しませんが」


「ライト、まだこの上があるの?」


 ライトの発言を聞き、ヒルダの顔がこわばった。


「あるけど聞きたい? 興味があるなら話すけど」


「またの機会にしておくよ」


「その方が良いと思うよ。でも、あの時はヒルダのおかげで助かったよ。ありがとう」


「ううん。確かに大変な作業だったけど、ライトの言うことはもっともだわ。衛兵や守護者ガーディアンの不安を解消できるなら、するに越したことはないもの。実際、彼等も保険に入ってからは戦争前よりもキリッとするようになったし」


 ライトに感謝されたヒルダは、微笑みながらライトに寄り掛かった。


 そんな仲睦まじい2人を見つつ、エリザベスはハッと気づいた。


「そういうことね。ライト、本当に貴方は大したものだわ」


「何がでしょうか?」


「衛兵の移住なんてめったにないけど、教会所属の守護者ガーディアン達は今、実力に自信がない者達が次々に大陸東部から西に拠点を移してるの。その理由は、ライトが今まで話してくれた通り自分が死んでしまった時の不安が原因よ。ライトの死亡保険は、戦力をダーインクラブに繋ぎ止めるためだったのね?」


「母様のおっしゃる通りです。確かに死亡保険の導入の目的には、ダーインクラブの戦力の維持も含まれてます。とはいえ、僕としては領民の不安を解消したいと思う比率の方が大きかったんですけどね」


 恥ずかしそうに笑うライトに対し、エリザベスは微笑んだ。


「その気持ちは領主として大事にしておきなさい。そうすれば、パーシーみたいに少し抜けてても領民が助けてくれるわ」


「はい、大事にします」


「ところで、預かったお金ってどうやって管理してるのかしら?」


 エリザベスはずっと気になっていたことを質問した。


 見舞金ならば、元は貴族の資産だから普通に貴族が管理すれば良いが、貸し出すことも考えるとどう保険料を管理するのかがわからなかったのだ。


「貸し出してる分以外は、僕の<道具箱アイテムボックス>の中ですね。当然、僕やヒルダの貯金、家のお金とは別にしてあります」


「そうなると、セイントジョーカーで真似するなら金庫を今使ってるものとは別に用意した方が良さそうね」


「僕もそう思います。預けられたお金を私的に流用してると思われないように、保険料は貴族の資産とは別に保管すべきです」


「わかったわ。一旦セイントジョーカーでもやってみて、上手くできたら他の貴族にもやるように指示を出すわ」


「頑張って下さい。不明点があれば、また質問してくれれば答えますから」


「ええ。頼りにしてるわ。さて、難しい話は終わりよ。ヒルダちゃん、トールを抱っこさせてちょうだい」


「お疲れ様です。お母様、どうぞ」


「はぁ~。癒されるわ~」


 真面目な話が終わってトールを抱っこすると、エリザベスはとても満ち足りた表情になった。

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