第256話 やはり天才ですか

 11月2週目の火曜日、行商の旅から戻ったクロエがライトを訪ねて屋敷に来た。


 ライトが応接室に行くと、クロエが立ち上がって頭を下げる。


「座って良いよ、クロエ。ここに来たってことは、月食に関する報告かな?」


「そうです。結界の外はアンデッドの数が増え始めました」


 ガルバレンシア商会がダーイン公爵家の諜報部隊になってから5ヶ月が経ち、音響測距儀ソナー即時拠点インスタントポータルの支給を受けてクロエ達がダーイン公爵家に忠誠を誓ったことから、ライトとクロエには雇用関係が明確になった。


 それにより、クロエはライトに敬語を使うようになり、ライトは砕けた口調で話すようになった。


 これはガルバレンシア商会側からの願いだった。


 忠誠を誓った相手に丁寧な言葉で喋られること、自分達がその相手に砕けた口調を使うのは精神衛生上良くないと訴えたから、今のような喋り方の関係になったのだ。


 ヒルダも配下に対して丁寧に喋らない方が良いと意見を出し、ライトはそれを受け入れた訳だ。


「クロエが出向いてたのは、大陸東部だったよね? どんな様子だった?」


「まだ被害は大きくなってませんでしたが、瘴気によって新たな病状に悩まされる者達が現れました。被害の規模を考えると、既に例年のこの時期の倍は死者が出てます」


「どこの領地のこと?」


「大陸東部の複数の領地です。時系列から申し上げますと、パイモンノブルスで最初に被害が出たことを確認しております」


 (なんだか嫌な予感がする)


 クロエから知らされた情報により、ライトはモヤモヤした感じがした。


「クロエ、ガルバレンシア商会の皆も患者には近づいてないね?」


「会頭が近寄るべきでないと判断したため、私達は情報を集めるだけにしました。ライト様に頂いた聖水も定期的に服用し、今のところ誰も同様の症状が出た者はおりません」


「そうか。念のため、<鑑定>で確認しても良い? クロエもはっきりさせたいでしょ?」


「診ていただけると助かります。私達の見立てはあくまでも素人判断ですので」


「わかった」


 ライトはクロエに<鑑定>を発動し、特に異常がないことを確認した。


「よし、問題ない。健康だね。念のため、この報告が終わったら、ガルバレンシア商会の者全てに<鑑定>を使わせてもらうよ」


「良かったです。お願いします」


 クロエは自分が健康だと聞いてホッとした。


 そして、仲間の健康状態も確定させたかったので、ライトに頭を下げた。


「これは僕から言い出したことだ。気にしなくて良いよ。大切な諜報部隊がEウイルスにやられたら困るからね」


「ありがとうございます。ライト様、Eウイルスとはなんでしょうか?」


 ライトの口から聞きなれない単語が出てきたため、クロエは素直に訊ねた。


「ん? 今までと違う症状なんでしょ? 瘴気が人体に害を与えるのは知ってると思う。人体に害を与えるのは、瘴気が変異した病原体ウイルスだ。今回で言えば、大陸東部イーストで新たに見つかった病原体ウイルスだから、Eウイルスって呼んだんだよ。新種の症状って言うのも長いしね」


「なるほど。ライト様は医者としても活動されてましたから、医学に明るいんでしたね。わかりました。これより私もEウイルスと呼ばせていただきます。仲間にも知らせておきます」


「よろしく。呼称の統一は大事だからね。それで、Eウイルスの症状はどんなものかわかる?」


「初期症状は発熱や倦怠感というありふれたものです。しかし、それが重症化すると味覚障害や激しい咳、呼吸が苦しくなる等の症状になるそうです」


 クロエの説明を聞き、ライトの表情が険しくなった。


「初期症状に違いがないのが怖いな。クロエ、大陸北部や西部ではEウイルスの発症事例を耳にした?」


「会頭の部隊が北部、弟の部隊が西部に出向いておりましたが、どちらもEウイルスの症状の者が出たという話はありませんでした」


「そうか。初期症状から悪化するのにかかる時間はわかる?」


「サンプルが少ないので絶対とは言えませんが、7日前後です」


 そこまで聞くと、ライトは頷いて応接室の隅に控えていたアンジェラの方を向いた。


「アンジェラ、今すぐ東西南北の門に伝令をやれ。内容は、ダーインクラブよりも東から来た者の入領制限だ。ダーインクラブにEウイルスを持ち込ませるな」


「かしこまりました。領民への聖水の支給はどうなさいますか?」


「月に1本から週に1本に増やせ。各世帯に1つではなく、1人に1本支給しろ。この運用はEウイルスが落ち着くまで継続とする。無論、支給するのは月見の塔で作った物ではなく僕が作った方の聖水だ。良いな?」


「お任せ下さい」


 キリッとした表情で答えると、アンジェラはすぐに応接室から出て行った。


 ライトの対応が迅速かつ慎重なものだったので、クロエは目を丸くした。


「ライト様、まるでアンデッドとの戦争みたいですね」


「戦争だよ。Eウイルスとのね。感染経路がわかれば良いんだけど」


「感染経路ですか?」


「うん。空気感染、飛沫感染、直接感染、間接感染とか色々あるんだ」


 ライトの説明を聞くと、クロエはガルバレンシア商会で集めた情報から必要なものだけを思い出した。


「・・・確か、症状が出た者と近くにいた者が発症したはずです。聞いた話なので確実とは言えませんが、咳き込んだ者の近くにいた者が発症したケースがありました」


「となると、空気感染の可能性は低く、飛沫感染の可能性が高いな。病人と同じ容器で飲食をしたとかそういう話は聞いたか」


「病人と同じ容器を使わないのが常識です。患者から病が移るのではないかと怯えてますから」


「まあ、それが当然だよね。だとすれば、経口感染の可能性はないか。マスクの作成を急がせた方が良いかな?」


仮面マスクですか?」


「マスク違いだね。クロエの思い浮かべてる仮面マスクと、僕が言ってるマスクは違うよ。僕が言ってるのは、鼻と口を覆うものだ。これなら、ある程度飛沫感染も防げる」


「やはり天才ですか」


 (別に僕がマスクの生みの親じゃないんだけどね)


 クロエが自分に尊敬の眼差しを向けて来るので、ライトは前世の記憶から引用しただけなのに大袈裟なと内心苦笑いした。


 報告はとりあえずここまでで終わりとし、ライトはクロエと一緒にガルバレンシア商会が本拠地とする建物へと移動することにした。


 雇用関係から言えば、ガルバレンシア商会の者達が屋敷を訪れるべきである。


 しかし、彼等がEウイルスに感染していないという確信がないから、ライトは自ら赴いた。


 万が一、屋敷にガルバレンシア商会の者がやって来て、その中の誰かがEウイルスを持ち込んだとしたら、妊婦のヒルダとそのお腹の中の子供に危険が及ぶ。


 そんなことはあってはならないので、ライトが足を運ぶことにしたのだ。


 一応、ライトはヒルダに経緯を説明したうえで出かけると告げたが、ライトがそこまで力強く言うのだからその判断に間違いはないと信じ、ヒルダはライトを送り出した。


 ガルバレンシア商会の拠点は、ライトがダーイン公爵家の所有する建物から貸し与えたものだ。


 クロエに連れられてライトが来たので、会員達は慌ててライトの前に集合した。


 ライトは事情を説明し、1人ずつ漏れのないように<鑑定>で健康状態を確かめた。


 その結果、Eウイルスに感染している者は誰もいないことが判明した。


 大陸東部に行っていた者達は危ないのではないかと不安だったが、その不安は<鑑定>を使ったことで解消された。


 特効薬なんて準備できているはずがないのだから、ライトの用意した聖水を服用していたおかげと言えよう。


 聖水も込められた聖気の濃度が濃い程、効力が高いのは当然だ。


 その点で考えると、ライトの聖水に勝る聖水はない。


 ライトはガルバレンシア商会がEウイルスを持ち帰って来なかったことに安心すると、しばらくは行商の旅に出るなら大陸南部のみにするように命じて自分の屋敷へと帰った。


 ライトが帰ると、既に夕食の準備ができていた。


 食堂ではヒルダがライトを待っていた。


「ライト、お帰りなさい」


「ただいま、ヒルダ」


「ガルバレンシア商会の皆は大丈夫だった?」


「うん。今のところ問題なかったよ」


「良かった。じゃあ、とりあえずはひと安心なのかな?」


「油断禁物だよ。アンジェラに命じて、大陸東部からの入領を制限した。既に入っている者については、明日以降診察して安全を確認する。他の貴族には大袈裟って思われるかもしれないけど、こういうのは初動が肝心なんだ」


「そんなことないよ。ライトはいつも正しいもん」


 ヒルダの目には、ライトへの疑いなんて一片もなかった。


「そう言ってくれると嬉しいよ。僕はヒルダが安心して子供を産めるように、そして領民が安心して暮らせるようにするためなら臆病と言われても構わない」


「ライト・・・」


 自分の身と領民のためならば、悪口を言われても構わないと言い切るライトに対し、ヒルダは目を潤ませてライトに近寄って抱き着いた。


 ヒルダがライトをもっと好きになったのは言うまでもない。

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