第207話 教皇なんてブラックだ。絶対に嫌だよ

 2月に入って初めての月曜日、ライトはダーインクラブの屋敷の庭でアンジェラと模擬戦をしていた。


「【捌式:夢未ゆめひつじ】」


「くっ、やりますね」


 ライトが放ったのは、外から見ていると普通の振り下ろしである。


 勿論、受けた方にとっては全く普通ではない。


 相手が無意識に油断する瞬間、相手に呼吸を合わせて振り下ろしを放つ。


 自分の動きを読まれているせいで、どうしても受ける側は後手に回ってしまい、アンジェラでもライトの杖を弾くので精一杯だった。


 ライトがこうしてアンジェラと模擬戦をしているのは、あれこれ考えるのに疲れたので気分転換をしようと思い立ったからだ。


 そこに、ヒルダがやって来た。


「ライト、ちょっと良い?」


「どうしたの?」


 ヒルダがやって来たことで、ライトは模擬戦を中断して振り返る。


「お義父様が執務室に呼んでるわ。大事な話があるって」


 (遂に来たか・・・)


 パーシーから呼び出された用件は、ライトに心当たりのあるものだった。


 逆に、このタイミングでそれ以外に大事な話があるならば教えてほしいとさえ思えるぐらいだ。


 【浄化クリーン】で汚れや汗をさっぱりさせると、ライトはヒルダと一緒に執務室に行った。


 執務室に入ると、そこには既にエリザベスとイルミがいた。


「ヒルダちゃん、ライトを連れて来てくれてありがとう。そこに座って。全員揃ったし、これから家族会議を始める」


 ライトとヒルダが到着してすぐに、パーシーは家族会議を始めると言った。


 どうやら、ライトとパーシーだけで話すことはないらしい。


「父様、議題はなんでしょうか?」


「教皇選挙についてだ」


「ですよね・・・」


 答えがわかっていたとしても、ライトは訊かずにはいられなかった。


 先月中旬から月末にかけて、国内各地で流れるはずのない噂が流れた。


 正確には、ライトやローランドが知らない情報が広まっていたのだ。


 その情報とは、グロアがどんな情報を呪信旅団に売ったかである。


 オークション翌日、ローランドの名前で指名手配中だったグロアが呪信旅団に寝返ったこと、オークションの盗難事件の黒幕だったこと、セイントジョーカーを包囲したグロアをライトが討ち取ったことが公表された。


 教会からの発表は以上3点だけだったのだが、どういう訳かグロアがどんな情報を呪信旅団に売ったのかが噂になっていた。


 ローランドはその噂を知ってすぐ、自らダーインクラブまで足を運んで噂の内容をライトが知っているのか確認した。


 ライトも寝耳に水な状態で、噂については教会が発表した事実以外はどこから流れたものか不明なため信用しないように各地の教会から発表すべきだとアドバイスした。


 幸い、何を根拠とした噂だったのかわからないこと、教会の訂正が速かったことから教会の発表以上の内容についてはデマであるという認識が一般化した。


 ところが、大陸北部の男爵と騎士爵の治める領地を中心に呪信旅団の活動が活発になると、デマとして扱われた噂の内容が正しいのではないかと混乱が生じた。


 正しいとされた噂の内容は、男爵や騎士爵の弱点である。


 グロアが大陸北部にネットワークを広げていたからこそ知っているに違いない彼等の戦闘スタイルが、呪信旅団に筒抜けだった。


 そのせいで、ネームドアンデッド討伐に出向いた男爵や騎士爵が呪信旅団に負傷させられると、自分達を売ったグロアを輩出したドヴァリン公爵家と教皇であるローランドが非難を浴びた。


 そして、それがきっかけであることないことが再び国内各地で噂されるようになり、ヘレンが全力で対応しても火消しが困難な状態まで追い込まれた。


 これ以上はヘレンが体調を壊してしまうと判断し、ローランドは教皇を辞任する決意を固めた。


 教皇が辞めるか亡くなるとどうなるか。


 当たり前だが次の教皇を決める必要がある。


 ヘルハイル教皇国の教皇は、代々4公爵家から代表が選出されてその4名から選挙で決まる。


 その選挙に出るダーイン公爵家の代表者をこの場で決めるため、こうして家族会議が開かれた訳だ。


「ライト、俺はヘレンが言ってたようにお前が代表になるべきだと思ってる。代表になってくれないか?」


「お断りします」


「何故だ?」


 パーシーはノータイムで断られたので、ライトにその理由を訊ねた。


 オークションがあった日にグロアの死を報告されてから、今日までの間にライトが教皇になる覚悟を決めていたと思っていた。


 それゆえ、ライトに断られるとは夢にも思わなかったのだ。


「僕はまだ領主の経験もありません。そんな僕が教皇になり、この国全てを導くのは無理があります」


 (教皇なんてブラックだ。絶対に嫌だよ)


 もっともらしいことを言っているが、ライトの心の声はこれである。


 無論、口にした内容と心の声が大きく乖離している訳でもない。


 人口を増やしてアンデッドの数を減らし、人類がライトに頼らずともアンデッドを狩れるようになることが、ヘルに設定されたライトのゴールだ。


 そのゴールに辿り着くには、いずれ教皇になる必要があることをライトは重々承知している。


 スケジュールがぎっしり詰まっている教皇になりたくなくても、ならざるを得ない時が来ることはわかっている。


 それでも、ライトはまだダーインクラブの領主にすらなっていない12歳の少年だ。


 精神年齢ではこの部屋の中で最年長でも、肉体の年齢は最年少で成人ではない。


 パーシーの手伝いをすることはあっても、1人でダーインクラブの仕事全てを回したことがない。


 それにもかかわらず、一足飛びで教皇になろうというのは無理があるだろう。


 ステップを踏まずに期待に応えようとしても、最高の結果を出せる保証がないのなら今は政治的地力をつけたいと思うのは自然なことだ。


「はい! ライトがならないならお姉ちゃんが代表になる!」


「イルミ、現実を見なさい。それは無理よ」


 元気良くイルミが挙手すると、エリザベスが即座に却下した。


「え~?」


「少なくともパーシー並みにデスクワークができなきゃ教皇は務まらないわ」


「大丈夫! そういうのはライトが手伝ってくれるから!」


「やる訳ないじゃん」


「なんだって・・・」


 ライトが手伝わないというと、ズーンと効果音が聞こえそうなぐらいイルミは落ち込んだ。


 教皇の仕事を回せる自信がないから断ったというのに、今のやり取りを全く理解していなかったイルミを見てライトは大きな溜息をついた。


 そんなライトの様子から、エリザベスはパーシーの方を向いた。


「パーシー、貴方が代表になりなさい」


「リジー、そうは言うけど俺じゃ世間が納得しないんじゃないか?」


「大丈夫よ。パーシーは人当たり良いからダーインクラブ以外でも評判良いもの。パーシーが教皇になったら、ライトが公爵を継ぐと言えばライトのために代表になったってみんなわかってくれるわ」


 エリザベスの言い分は正しい。


 ライトの活躍が派手なせいで目立っていないが、パーシーはヘルハイル教皇国の貴族としてトップレベルの善政を敷いている。


 ライトが生まれる前から、ダーインクラブの領主として領民を第一にする姿勢は領民から尊敬されていたし、本人が貴族にありがちなプライドを振りかざすタイプではないので親しまれている。


 そして、ライトの突飛な発想を受け入れるだけの柔軟さも持っていることから、周りが助けてさえやればパーシーは教皇になれる器にある。


 エリザベスを援護するように、ヒルダも口を開いた。


「お義父様が教皇選挙に出るならば、父は間違いなく辞退してお義父様の力になるでしょう。そうなれば、少なくとも南と西の貴族達はお義父様を応援してくれるはずです」


「ヒルダちゃん・・・」


 エリザベスとヒルダに持ちあげられ、ライトに任せず自分が出ても良いかもしれないとパーシーが思うようになった時、凹んでいたイルミが立ち直った。


「しょうがないなぁ。父様がそれでも嫌ならお姉ちゃんが」


「俺がやるよ」


 イルミにやらせるぐらいなら自分が代表になろうと覚悟を決め、パーシーは意思を表明した。


「父様、よろしくお願いします。父様が教皇になった暁には、僕も公爵の地位を継ぐ覚悟を決めます」


「わかった。だけど、俺が教皇になるためにライトも協力してくれよ?」


「勿論です。全力でバックアップしましょう」


 こうして、ライトはダーイン公爵家の代表として教皇選挙に出ることはなくなった。


 ゴールに辿り着くことを急ぎ失敗するよりも、地道に成果を積み上げていくことは立派な決断だ。


 とりあえず、家族会議はパーシーを代表にすることで閉会となった。

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