百頭悪霊編

第97話 悲しいけどこれ戦争なのよね

 10月はジェシカの論文を基に、教会の聖水作成班がすぐに行動に移り、聖水の質が少しずつライトの作成したものに近づいた。


 凸レンズを使うやり方だけでなく、鏡を利用してより多くの月光を取り込めるように、聖水を作成する部屋が改装された。


 残念ながら、大々的に聖水を作成できる土地がセイントジョーカーには余っていなかったので、現状では限られた月光をいかに効率的に取り込むか聖水作成班が頭を悩ませている。


 それ以外では、イルミの誕生日でイルミがライト手作りの誕生日ケーキをホールで食べたぐらいで、他の月と比較して穏やかに過ぎ去り、11月に入った。


 11月になると、教会も教会学校も慌ただしくなった。


 それは、今月に月食が起きるからである。


 月食とは、前世に置いて太陽と地球、月が一直線に並ぶ時、つまり、満月の頃だけに起こる月が暗くなったり、欠けたように見えたりする現象でしかなかった。


 ところが、ニブルヘイムにおいて月食とはそれ以上の意味がある。


 聖水や聖銀ミスリルを作る際、月光に含まれる聖気がアンデッドに対して効果のある物へと変質させる。


 その月光が、月食によって減る。


 そうなれば、人類はアンデッドに対して有効な道具を作れる量が減る。


 それどころか、夜間の大気中に聖気が減ることで、アンデッドの動きが活発になってしまうのだ。


 死者アンデッドなのに活発とはどうなのかと思うかもしれないが、瘴気を撒き散らして動きやすい環境にするには丁度良いタイミングなので、世界中でアンデッドの動きが活性化する。


 ライトも入学するまでの間、月食の時は治療院で治療したり、守護者ガーディアン達の装備を浄化したりと大忙しだった。


 だから、ライトは月食が他の人よりも嫌いだ。


 人の役に立てるのは嬉しいことだが、人の生き死にが関わることで忙しくなるのを喜べはしないのである。


 それはさておき、11月1週目の土曜日の午後、生徒会室にヘレンがやって来た。


「こんにちは、生徒会の皆さん」


「「こんにちは、叔母様」」


「「「こんにちは」」」


 ライトとイルミにとっては叔母でも、それ以外の3人にとっては教皇ローランドの妻兼秘書だ。


 ヒルダは少し打ち解けてはいるが、ジェシカとメイリンの表情が普段よりもこわばってしまうのは仕方のないことだろう。


「シスター・アルトリアにも話はしてあるんだけど、こういうことは貴方達にも直接話すべきだから言いに来たわ」


「叔母様、何か私達に依頼があるの?」


「そうよ、イルミちゃん。実は、教会学校を代表して、生徒会パーティーにもセイントジョーカー防衛網に加わってほしいの」


「やった!」


 イルミが喜ぶセイントジョーカー防衛網とは、月食の時にセイントジョーカーを守るための守護者ガーディアンの布陣のことである。


 セイントジョーカーにとって月食は、他の貴族の領地と違ってアンデッドに執拗に攻められる。


 何故なら、セイントジョーカーには世界樹があり、それを結界が守っているからだ。


 全容は解明されていないが、アンデッドは世界樹を憎んでいる。


 大気中の聖気が少なくなったことを好機と捉え、ここぞとばかりに世界樹を滅茶苦茶にしてやろうとアンデッドがこぞって押し寄せて来るのだ。


 月食の際、本来であれば、教会学校の生徒はセイントジョーカーの結界の中で教会に兵站に関わる人手として駆り出されるだけだった。


 しかし、今年はライトが入学したことで話が変わった。


 <法術>で多くの人々を救ったライトがいれば、治療の面でセイントジョーカー防衛網でも死傷者を減らせる。


 そればかりか、聖水が足りなければ聖水を作れるし、聖銀ミスリルの武器が壊れれば銀製の武器さえあればそれを聖銀ミスリルの武器に変えられる。


 はっきり言って、ライトはセイントジョーカーの切り札だ。


 ライトを兵站の人手に回すなんて、そんな作戦を考える者はどうしようもない愚物として歴史に名を残すことになろう。


 いや、世界樹が滅茶苦茶にされてしまえば、人類が無事である状況ではないだろうから、歴史を語る者もいなくなってしまうに違いない。


 ちなみに、イルミがセイントジョーカー防衛網に加われることを喜んでいるのは、兵站の人手として使われるのが退屈だからだ。


 退屈だなんて、兵站に関わる人達に対して失礼である。


 だが、イルミは地味な作業よりも戦いたい性分なのだ。


 喜ぶイルミをスルーして、ジェシカが生徒会長としてヘレンに応じた。


「セイントジョーカーを守るため、私達が参加できることを光栄に思います。しかし、私達はどこでどのような役割をするのでしょうか?」


「生徒会パーティーに望むのは、前線での救護班よ」


「ということは、主にライト君の護衛と手伝いですね?」


「その通りよ。はっきり言って、ライト君がいるだけで戦況は大きく変わるわ。だから、東西南北の門の内、最もアンデッドが多く来るであろう地点に生徒会パーティーを救護班として配置し、それ以外の3つの門にそのリソースを充てるわ」


 ヘレンの説明を聞き、イルミ以外は納得して頷いた。


 イルミが納得しないのは、上げて落とされたからだった。


「え~、叔母様、私もアンデッドを倒したい。そのために頑張って来たのに・・・」


「イルミ姉ちゃん、聞き分けの悪いことを言わないで」


「でも~」


「悲しいけどこれ戦争なのよね」


「イルミ姉ちゃん。我儘言わないの」


「は~い」


 ヘレンとライトにより、イルミは渋々承諾した。


 一体、イルミとライトのどちらが年上なのか。


 当然、イルミである。


 もっとも、前世の年齢も合算するならば、ライトの方が大人になるが、それを差し引いてもイルミが子供っぽいのは否定できない。


 むしろ、しょぼくれている表情のイルミを見て、子供ではないと言い張る者がいれば驚きである。


 だが、しょぼくれているイルミのせいで、生徒会室の空気が若干どんよりし始めたので、ライトは溜息をついてから口を開いた。


「イルミ姉ちゃん、ちゃんと言うことを守れるなら、イルミ姉ちゃんの誕生日パーティーで作ったケーキを作ってあげる」


「ケーキ!? わかった! お姉ちゃん、ライトの言うこと聞く!」


 (・・・チョロい。チョロ過ぎるぞ、イルミ姉ちゃん)


 食べ物に釣られるイルミに対し、ライトは苦笑いを隠せなかった。


「どうしましょう。イルミちゃんがライト君に餌付けされてるわ。しかも、ペット並みに従順じゃないの・・・」


「ヘレンさん、それは元からです」


 戦慄したヘレンに対し、ヒルダは冷静にツッコんだ。


 イルミがライトの作る料理に釣られ、言うことを聞くのは生徒会メンバーにとってありふれたことなので、驚くことなんて何もないのである。


「そ、そうなのね。やっぱり、ライト君をただの11歳だと思ったら駄目なのね」


「いえ、この場合はイルミの精神年齢が低いことをツッコむべきです」


「それもそうね。うっかり、いつもの癖でライト君の年齢詐称疑惑について考えちゃったわ」


「ライトが大人びてるのもいつものことです。それよりも、話を続けて下さい」


「ごめんなさいね。じゃあ、話を戻させてもらうけど、生徒会パーティーには前線の救護班になってもらうわ。東西南北のどの門に設置するかは、アンデッドの動きを見てこちらから指示するわ。だから、ライト君達には今月が終わるまでの間、指示がない限り毎日教会に朝から晩までいてもらうわ」


 セイントジョーカーからの出入りのかなめとなる東西南北の門に、すぐに派遣できるように、ライト達はセイントジョーカー中央にある教会での待機を義務付けられた。


 ヘレンの発言を聞き、ライトは疑問をぶつけた。


「叔母様、その間の教会学校での僕達の扱いはどうなるんでしょうか?」


「公欠扱いになるわ。と言っても、教会学校の生徒もアンデッドの進軍が始まれば、兵站の人手として駆り出されて公欠になるから、他の生徒よりも拘束時間が長いだけよ」


「月食が来ると、セイントジョーカーは本当に大変なんですね」


「ええ、大変なの。生徒会パーティーの動きで、多くの守護者ガーディアンの生死が決まるから、期待してるわよ」


「微力ながら尽力します」


 世界樹を滅茶苦茶にされたら、ライトはダーインスレイヴへの誓いを破ったことになって死ぬ。


 だから、ライトは是が非でも生き残るために全力を尽くす所存だ。


 自重? 何それおいしいの? と平然と言ってのけるぐらいには、本気を出すつもりである。


 ライトの指示に従っていれば、ケーキを食べられるイルミもやる気満々だ。


 ライトが本気ならば、ヒルダがそれに付き合わないはずがなく、ジェシカも然りだ。


 メイリンも、イルミばかりにご褒美があってはずるいと訴え、肉料理を強請ることを考えている。


 ライト達のセイントジョーカー防衛網へのモチベーションは、現時点でも既に高い。


 それを見たヘレンは、安心して生徒会室を後にするのだった。

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