第5話 帰り道

セレナ海岸へと戻った三人は子供のルースとお爺さんの捜索を続けていた。アルドたちは大声で二人を呼ぶが、一向に返事は聞こえてこない。


「ルースちゃーん!! おじいさーん!! どこですかー!!」

「セレナ海岸は広いからな……! よし、オレはあっちに行くから、フィーネは……」


先程通ったときに気が付かなかったということは、主要な道から反れたところにいる可能性が高い。アルドが二手に分かれることを提案しようとしたとき、何かに気づいた様子のルースが足を止める。


「…………!! あの声は……おじいちゃん……!?」


声のする方へ駆けていくルース。アルドとフィーネはそれを追いかける。


***


海岸の奥、ごつごつした岩場に小さなルースの姿があった。


「う、うう……。どうしよう……」


帰り道が分からなくなってしまった上に、岩肌で膝をすりむいてしまったルースは、その場でしゃがみ込み涙を浮かべていた。日が落ちる前に早くここから去らなければと思ってはいても、立ち上がる気力が出てこない。遠くからそんな彼女の名を呼ぶ声がする。


「ルース……! 大丈夫だったか!?」


やってきたのはお爺さんだった。その姿を目にするや否や、ルースは祖父のもとへ走っていく。


「うう……お、おじいちゃん! 痛かったよ……!!」


ルースの脚の怪我に気付いたお爺さんは傷口から砂を払ってやる。


「そうかそうか、転んでしまったんだな……。でも、もう心配いらないぞ」


祖父にしがみついて泣きじゃくるルース。お爺さんはその頭を抱くと、ぽんぽんと背中をたたく。


「さあさあ、早く家へ帰ろう。薬を塗れば傷だってすぐに治るさ」


そのとき、ルースは涙でかすむ視界の先に幾つかの影を捉える。


「お、おじいちゃん……! あれ……!!」

「…………!!」


お爺さんが振り返り、ルースの指さす方を向くと、石斧を手にしたヤクシャと呼ばれる魔物が数匹、群れを成して二人に迫っていた。


「やだ……! やだよ……!! 助けて、おじいちゃん!!」

「後ろに隠れているんだ、ルース! お前は、わしが絶対に守ってやるからな……!」


三方を岩に囲まれた袋小路の中、ルースたちに逃げ場はない。お爺さんは孫を背にして立ち、魔物たちを睨みつける。


「く、来るなら来い! 魔物ども! いくらでも相手になってやる……!!」


流木や石など、武器になるものを探すルースの祖父。その間にも、魔物たちは唸りながらじりじりと距離を詰めていく。


「待って! おじいちゃん!!」


そこに響いたのはルースの——未来のルースの声だった。彼女は魔物たちの横を駆け抜け、二人の前に姿を現す。


「大丈夫。あなたたちを傷つけさせたりしない。今度は私が守る番だから……!」


未来のルースは両腕を広げて自ら壁となり、魔物たちの前に立ちはだかる。彼女の脚は震えていたが、その横顔には一歩も退くまいという覚悟が滲んでいた。


「お、おねえさん……」


魔物の群れがあと数歩の距離に迫ったそのとき、闇に仇なす時の旅人が、剣を携えやってきた。


「伝わったぞ、二人の覚悟……。あとはオレたちに任せてくれ!」


アルドは魔物の群れに飛び込むと、大きく身体を捻りながら放つ剣技、“回転斬り”を見舞う。剣は旋風を巻き起こしながら空を舞い、ヤクシャの手にした石斧を一本残らず斬り落とした。その動きを捉えることすらできず、魔物たちは慌てふためく。


「おにいさん……すごい……!」


ただの優しいお兄さんだと思っていたアルドの動きに、子どものルースは驚きの声をもらす。


「……まだやるつもりか?」


アルドに鋭い視線を向けられ恐れ慄く魔物たちは、武器を折られて戦意を失ったのか、我先にと敗走をはじめるのだった。


「……ふぅ。これでひとまず安心だな」


逃げていく魔物の影が遠くへ消え去るのを確認したアルドは、安堵の息をつき、剣を鞘に納める。


「大丈夫ですか!? みなさん……!」


アルドを支援すべく背後に控えていたフィーネは、戦闘が終わるとルースたちに駆け寄り、一人ひとりに怪我がないか尋ねてまわる。


「あ、ルースちゃん。足をちょっとすりむいてるね……」


子どものルースの膝には少し血が滲んでいた。魔物の件に気を取られ、しばらくは怪我のことなど忘れていたが、安心したことでその痛みが少しずつ戻ってきていた。


「……う、うん。遊んでたら、帰り道、わかんなくなっちゃって……。歩いてたら転んじゃって……痛くて……」

「うん。うん。痛かったね。今、お姉さんが魔法で治してあげるよ。……ほらっ!」


フィーネがルースの膝に杖をかざすと、傷口は優しい光に包まれ、みるみるうちに癒えていった。


「わぁ! すごい……! ありがとう! フィーネさん! それに、アルドさんも!」


ルースは自分を助けてくれた二人のヒーローを憧れの目で見つめ、感謝の言葉を口にする。


「おう! ……でも、他にもいるんじゃないか? ルースがお礼を言わなきゃいけない人が」

「……うん!」


子供のルースはアルドに頷き返すと、お爺さんたちの方へ向き直る。


「おじいちゃん。おねえさん。……ありがとう! わたしのこと守ってくれて!」


満面の笑みを浮かべるルースに、お爺さんも笑顔を返す。


「ふふ……。どういたしまして、だな」


そのとき、あることを思いついた未来のルースは子供の自分と目線を合わせ、ゆっくりと話しかける。


「あのね、ルースちゃん。私から一つ、お願いしてもいいかな?」

「お願い……?」


お姉さんの言葉に首を傾げる子供のルース。その手を握り、未来のルースは自らの思いを語る。


「今回はね、特別なことじゃないの。あなたをいつも気にかけてくれて、いつも守ってくれる人がいる。ルースちゃんはそれを忘れないで、その人のことを大切にするって、お姉さんと約束してくれないかな?」


これを彼女に伝えるには、おそらく今しかない。未来から持ち帰った願いを、ルースは子供の小さな手に託す。


「……わかった。約束する!」


小さなルースは力強く頷く。その眼はしっかりと十数年後の自分を見つめていた。


「それなら、よし……!」


未来のルースは立ち上がると、晴れやかな表情でアルドたちの方を向く。


「さあ、皆さん! 日が暮れる前にリンデに……」


そう呼びかけようとしたとき、彼女の全身に空気の振動が伝わってきた。辺りを見回すと、岩場の奥の空間にほとばしる青い光が眼に入る。それは異なる時間へと通じる時空の穴だった。


「こ、今度はなんなんだ!? ルース、気を付けるんだぞ!」


異変を警戒し、お爺さんは孫の前に出る。


「あれは……どうやら私の “帰り道” みたいです」


思い返せば、現代に来たときも時空の穴はここに開いていた。ルースはこの先に自分の生きていた未来があるのだと悟る。


「……みなさんとは、ここでお別れですね」


そう呟いたルースの声に、フィーネは名残惜しさが滲んでいるのを感じた。


「……いいんですか? もう少しこの時代にいなくても……」

「ええ。あの子にも、少しは私の気持ちが伝わったみたいなので。それに、私がこの時代にとどまれば、また今回のような事件が起きる可能性もありますし……」


為すべきことは為した。自分にできることはもう、ただ立ち去ることくらいなのだろう——ルースは既に思い出に別れを告げる準備はできているつもりでいた。


「……おねえさん、どこかに行っちゃうの?」

「いいえ。どこにも行きませんよ。きっとすぐに会えますから、だから、二人ともどうか元気で……!」


小さな頃の自分に背を向け、歩き出そうとしたルースを声が引き留める。


「お嬢さん。その前に、これを持っていきなさい」


祖父に呼ばれ、ルースは戸惑いながら振り返る。


「…………! な、なんでしょうか?」

「……はい。忘れ物だよ」


そう言ってお爺さんが手渡したのは、ルースが未来から持ち込んだ「ねこさん」だった。表面の汚れは殆ど消え、欠けていた耳には丁寧な修復が施されている。


「これは……私の猫さん! 耳もなおってる! だけど、どうして……?」

「さっき家を出る前になおしておいたんだよ。これはお前のものなんだろう、ルース?」


もう一生、祖父から呼ばれるはずのなかった名でよばれ、ルースは言葉を失った。


「…………!! おじいちゃん!? ……でも、なんで!?」

「この猫さんが彫られてから何年も経ってるのは、見たときすぐにわかったよ。最初はとても信じられなかったが、お前を見ていて確信した。ああ、ルースが会いに来てくれた……と」


お爺さんは立派に成長した孫へ柔らかな笑みを向ける。


「……ありがとうな。ルース」

「お、おじいちゃん……!!」


未来のルースはその身を崩しそうになりながら、祖父をぎゅっと抱きしめた。


「……ずっと、ずっと会いたかった!」


ルースの両の瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちる。


「ルース……。こんなに大きくなって……」

「おじいちゃん、心配しないで……。わたし、今はまだあんなだけど、少しずつ少しずつ、できることも増えていって……ちゃんと、一人で生きていけるようになるから……。……でも、それでも……やっぱり、わたしにはおじいちゃんが必要だよ!!」

「ふふ……がんばったんだな。お前はいつも一生懸命だから……」


祖父の胸に顔をうずめて泣きじゃくるルースの姿は、まるで幼いころに戻ったかのようだった。


「だけど、思い出してみたら……わたし、全然おじいちゃんを大切にしてあげられてなくて……。だから……!」

「そうかそうか、それで……。でもな、大丈夫だ。このままでいい……ちっとも間違ってなかったんだよ。今のお前を見ればわかる」


お爺さんは孫の頭を抱きながら、ぽんぽんと背中をたたく。


「ううっ……。おじいちゃん……!」


アルドたちが見守る中、しばらくの間むせび泣いていたルースだったが、やがて涙をぬぐいながら、むこうで混乱している子供の自分へと目を向ける。


「そうだ……。あれを返さなきゃね」


ルースは彼女に歩み寄り、この時代の「猫さん」をその手に渡す。


「はい。ルースちゃん。約束……ぜったい守るんだよ?」

「う、うん……。ありがとう……おねえさん……?」


かつての自分へ静かに微笑むと、ルースは再び時空の穴へと向き直る。その表情はもう、幼い少女のものではなかった。


「さあ、これで思い残すことはない……かな?」

「……未来では迷子にならないように気をつけろよ。ルース」


ルースはアルドに頷き返す。


「ふふふ……承知しました。アルドさんたちには、いろいろとご迷惑をおかけしましたね。……できればこれからも、私と祖父を宜しくお願いします」


丁寧にお辞儀をしたルースは、フィーネを見ると目を細める。


「よろしければ……未来でも」

「はい! ルースちゃんはこれからもわたしたちのお友達です!」


二人の旅人たちと言葉を交わしたルースは、もう一度だけ懐かしい祖父の顔を見る。


「……それじゃあ、またね。おじいちゃん」

「ああ……。元気でな」


ルースは振り返らず、時の狭間へと踏み出していく。虚空に開いた穴は大気を巻き上げながら彼女を飲み込むと、跡形もなく消え去るのだった。


「………………」


孫の帰っていった未来を思い浮かべながら、お爺さんは空を見つめ続ける。

しばらく沈黙が続いたあと、アルドが大きく伸びをしながら口を開いた。


「……よし。二人のこと、街のみんなが心配してるぞ。早く帰って無事を知らせてやろう」

「うん……!」


幼いルースはお爺さんを見上げ、その手を引く。


「行こうよ、おじいちゃん!」

「ああ……。そうだな」


***


セレナ海岸の北、無事に未来へと戻ったルースは、どこまでも広がる青い海を見つめていた。


「……なんだか、夢を見てたみたいだな」


暖かい潮風が、涙に濡れた頬を撫でる。


「そうだ……! 猫さん!」


ルースは鞄の中を覗き込むと、片耳だけが新しい猫の彫刻を取り出した。よかった。夢ではない。


「耳、やっぱりきれいになおってる……。ありがとう。おじいちゃん……」


——私は過去を変えられただろうか。相変わらず自分はワガママで、祖父を困らせてばかりかもしれない。いや、どちらにせよ後悔は尽きず、きっと私はまたあの頃に戻りたいと願うのだろう。でも、そうやって何度も運命に波を起こそうともがく私を、大きな海のような祖父はいつも変わらず笑って抱きしめてくれる——そんな気がする。


遠い日の欠片を拾い集める旅は終わり、彼女は再び歩き出す。木彫りの猫がつないでくれた、時空を超えた絆をその胸に抱きながら。


***


港町リンデに帰った小さなルースとお爺さんは、二人の身を案じてくれていた街の人々にお礼を言いながら、いつものように家路についていた。


「おじいちゃん! お腹すいた!」


あれほどの問題を起こしておきながら、ルースは躊躇なく要求を押し付ける。


「はいはい。帰ったらすぐにつくってやるからな……」

「あ、そうだった……!」


今しがた不思議なお姉さんと交わしたばかりの約束を思い出すルース。このままではまずい——。


「おじいちゃん、わたしも手伝う!」

「おお、そうか! それじゃあ何をやってもらうかな……?」


ルースは元気よく家の方へ駆けていく。


「ふふふ……。約束の効果はてきめんのようだな」


お爺さんが一人頷いていると、先を走るルースが二人を待つ人影に気付く。


「あれ……? もしかして……お母さん?」

「…………!! ルース……!」


そこにはユニガンに住んでいるはずの母の姿があった。リンデを後にして数年が経ち、もう顔も思い出してはくれないだろうと思っていた娘に呼ばれ、彼女は眼を潤ませる。


「あ、あの……父さん……」


続いてやってくるお爺さんに向かい、ルースの母親はゆっくりと語り始めた。

託された小さな願いが、新たな運命を紡いでいく——。


***


お爺さんたちを送り届けたアルドとフィーネはセレナ海岸に戻ってきていた。


「未来に帰ったルースも、きっと見てるんだろうな……あの海を」


ヴァルヲも二人の側に寄ってくると、夕暮れが近い海を共に眺める。


「いろいろあったけど、みんな無事でよかったな。フィーネ」

「……あのさ、お兄ちゃん」


前を見つめたまま呟くフィーネ。アルドはその横顔を覗く。


「……なんだ?」

「今日は冒険に戻る前に、バルオキーに寄っていかない?」


フィーネは兄の方を向くと、そう提案する。


「……そうだな。オレもちょうど今、そう思ってたところだ」

「やった! いっしょに彫ったヴァルヲ、おじいちゃんに見てもらおうね!」

「ああ! オレの、猫だってわかってもらえるといいけど……」


いつものように元気いっぱいに笑う妹とともに、アルドは祖父が二人を待つ家へと歩き出した。

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遠い日の欠片 タツチキ @tatsu-kichi

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