第4話 分岐点
アルドたちがリンデに着くころには、日は大きく傾き夕暮れ時が近づいていた。
「お二人とも、ここまでどうもありがとうございました」
ルースは丁寧に頭を下げる。
「この後はどうするんだ? この時代のルースたちとは仲直りしなきゃいけないし……」
今回の事情を直接話しては相手を混乱させてしまうかもしれないが、事態をそのままにしておくのも二人のルースの今後を考えると良いことではないだろう。
「そうですね……。窓から祖父の仕事場が覗けるので、手が空いているようなら、声をかけてみようと思います」
「彫刻家の仕事場かぁ……わたしもちょっと見てみたいな」
彫刻家、というフィーネの言葉にルースは反応を見せる。
「ああ……実を言うと、祖父は彫刻家ではないんですよ。あれは趣味の範囲で、普段は家具をつくったりする職人なんです」
「なるほど。それで木材の扱いが得意なんだな。……でも、あれだけの技があったら彫刻家としても十分やっていけるんじゃないか?」
アルドたちは世界中の、そして2万年前の古代から800年後の未来に至るまでの様々な街を訪れてきたが、お爺さんの木彫りの猫は各地で売られている工芸品にも勝る完成度に見えた。
「ふふふ……。そんなに世の中は甘くありませんよ。まぁ、祖父の作品を気に入ってくれる人はたくさんいましたから、そういう道もあったのかもしれませんね」
話しながら、ルースは少しずつ頬を緩ませていく。
「祖父は船乗りの家に生まれたんですけど、初めて海に出た時に溺れかけて航海が怖くなっちゃったらしいんですね。それで家具職人に弟子入りしたそうなんですが……」
彼女はそこで声の調子を落とす。
「そうやって働いて、頑張って育てた娘も孫も、親不幸、祖父不幸で……本当に申し訳ないです」
そう語るルースの様子を見ていて耐えられなくなったのか、フィーネが一歩前へ出て自らの思いを口にする。
「ルースさん。わたし、思うんです。変えなきゃいけないのはルースさんの過去じゃなくて……未来の方なんじゃないかって。だから……お友達になりましょう! わたしたちと!」
「お、お友達……?」
フィーネの突然の提案にルースは戸惑いを見せる。
「わたしとお兄ちゃんは、未来でもきっとバルオキーにいると思います。ルースさんよりも大人になっちゃってるかもしれないけど、きっと仲良くできると思います! だから、そうすれば……ルースさんは独りなんかじゃありません!」
一瞬、目を丸くしていたルースだったが、フィーネの言葉を聞き終えると彼女に小さな笑みを返す。
「優しいんですね、フィーネさんは。……私もあなたのような女の子になりたかったです」
「………………」
ルースが自分を否定するたび、なぜだかフィーネは胸が痛む気がした。思い切ってこちらが手を伸ばしてみても、彼女はそれを掴んでくれない。暗がりにいることを選んでいるルース自身が一歩踏み出す意思を持たなければ、彼女の未来は変えられないように思える。自分たちが味方でいることで、ルースが少しでも前を向けるようになれば——フィーネはそう願うのだった。
「お二人とも、本日はお付き合いいただき、どうもありがとうございました。それではこの辺で……」
ルースがアルドたちに別れを告げようとしていると、東の方から大きな声が聞こえてくる。
「おーい! 港の方にはいなかったか?」
アルドたちが道の先を見ると、街の人々が数人集まっているのがわかる。
「いや、誰も見てないって。そっちはどうだった?」
「セレナ海岸に向かうのを見たって言うのが何人かいたよ。見間違いだといいんだが……」
どうやら誰かを探しているようだ。さっそくフィーネが事情を尋ねに行く。
「みなさん、そんなに慌てていったいどうしたんですか?」
情報を交換し合っていた若い男性が振り返り、状況を説明する。
「ああ、この辺りに住んでる女の子が、遅くなっても帰ってこなくてな。その子の爺さんも探しに出ちまって、もうすぐ日が暮れるっていうのに二人とも戻ってこないんだよ」
女の子、お爺さん……アルドたちの脳裏に不安がよぎる。
「それってまさか、ルースたちのことじゃないか!?」
「そう! その子だよ! あんたたち、よかったら、セレナ海岸の方を見てきてくれないか? あっちは魔物が多くて俺たちだと厳しいんだ」
セレナ海岸は今しがた通ってきたばかりだが、その広さを考えれば行き違いになったということも十分にあり得る。あの危険な場所で迷子になってしまったのであれば、一刻も早く助けに向かう必要があるだろう。
「おう! 任せてくれ!」
ルースたちを心配する街の人々に向かい、アルドは大きく頷き返す。
「……ルースさん。この日、どこまで行ってたのか覚えてませんか?」
「それが……おかしいんです。そこまで遠くに言った記憶は……」
ルースは必死に今日あったはずの出来事を思い出すが、該当する場面は一向に浮かばない。どうも何かがおかしいと考えていると、彼女は一つの可能性にたどり着く。
「ああっ! まさか……!」
「何か思い出したのか!?」
「いえ、その……あの時は、まだ猫さんが見つかっていなかったので、町からは出なかったんです。でも今回は、私が持ってきた猫さんを見つけてしまったから……」
もう一つの「ねこさん」を見つけたことでこの時代のルースは探し物をやめ、遠くへ出かけてしまったようだ。
「ルースちゃんの行動が変わっちゃったってこと!?」
「それはまずいな……。二人の身が安全だという保障はないぞ……!」
この時代のルースは既に、今アルドたちの目の前にいるルースとは異なる運命を生き始めている。何が起こってもおかしくない状況だ。
「どうしよう! 私のせいでおじいちゃんが……!」
過去を変えることを望んだのはルース自身だ。しかし、今、皮肉にもその願いの結果がささやかな幸せをも消し去ろうとしている。それだけは何としても防がなくてはならない。
「アルドさん、フィーネさん! お願いです! 一緒に二人を探してください!」
「ああ、もちろんだ! ……フィーネもいけるな?」
フィーネは力強く頷く。
「わたしたちに任せてください! ルースさん!」
「お願い、おじいちゃん! 無事でいて……!」
三人は踵を返すと再びセレナ海岸に向けて走り出した。
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