6.5−4 “新婚ほやほやラッブラブ夫婦♡”

 揃いの着物――浴衣というらしい――に、揃いの指輪を嵌めた男女。フィールーンは自分の隣に立つ木こりと視線を交わしたあと、改めて赤面している仲間たちを見遣った。


「ふ、夫婦って……?」

「こっちが訊きたいわよ! 長い着物にくるくる巻かれてたら、いつの間にか指に嵌められたんだもの」

「しかも外せないのです。姫様、これは何らかの罠なのでは――!」


 動揺するエルシーとリクスンから同時に指輪を見せつけられる。金の輪に真っ赤な宝石を戴いたその指輪は、婚姻の誓いとするにはやや派手な一品だ。しかしこうして並んでいるとそうとしか見えなくなってくるので不思議である。


「!」


 同じ格好をしていることに気づいた二人はハッとし、恥ずかしそうに手を引っ込めた。するとフィールーンの背後から、長身の女将がぬっと現れて上機嫌に手を叩く。


「はあああん♡ 良い、良いっちゃああ! どう見ても夫婦めおとですわぁん!」

「みちるさん。まさか、二人にも“配役”が?」

「ええ、ええ。竜先生からお二人の関係をお伺いしまして、これしかないと思いましたの。ずばり――“湯治に来た新婚夫婦”ですわ!」

「「はあああ!?」」


 こちらも揃った抗議の叫びは、女将の大きな耳には届かなかったらしい。幻の高級旅籠を預かる女は、細い両手でみずからの腕を掻き抱くとくねくねと身を捩らせて言った。


「“愛をめぐる激しい戦いに傷ついた夫と、そんな彼を心身ともに支える妻。ようやく勝ち取った平穏な日々を健やかに過ごすべく二人が訪れたのは、浮世から遠く離れた空飛ぶ秘湯。ここで夫婦の愛はさらに燃え上がり、久遠くおんのものへと――”」

「なっなっ、何よそれ!?」

「まあまあ。落ち着きなよ二人とも」


 ゆったりとした声にフィールーンが振り向けば、ふたたび床に腰を落ち着かせている仲間たちの姿が目に入る。この騒ぎの最中だというのに、いつの間にか自分と“夫婦”たち以外は寛いでいたらしい。


「言ったでしょ。俺っちたちがユノハナにタダで宿泊できる条件」

「えっと……こちらの旅籠の経営困難を解決するお手伝いをすること、ですか」

「そ。それがまさに、女将の言う“配役”に徹することなのよ」


 にっこりと笑むと、浴衣を着こなした知恵竜は茶菓子を貪っている木こりと商人の少女を手で示して続ける。


「セイちゃん、それからフィルは“社会勉強のために特別乗船させてもらった若者”。俺っちとタルちゃんは“幅広い知見を借りるため招かれた学者と商人”」

「光栄っすけど、なんかあっしらの設定簡単すぎじゃないすか?」

「それぞれが相応の働きを見せることで、ユノハナに内外から刺激を与える。この数日間が、今後の経営における重要な判断材料になるわけだ」


 ほう、と一度は若者たちから納得の声が上がる。しかしすぐに身を乗り出したのはやはり細かすぎる“配役”を申し付けられた二人であった。


「だったら、ただのヒト族の宿泊客って設定でいいじゃない! なんで夫婦である必要が……」

「そうです! それに、この指輪は一体」

「よくぞお訊きくださいましたわ!」


 黒い尻尾を嬉しそうに膨らませ、女将が金色の瞳を輝かせる。


「ヒト族の夫婦めおとは婚姻を結ぶと、揃いの指輪を身につけるものでしょう? そちらは私の魔力を込めて作らせた特別製ですの」

「……というと、なにか特殊な効果でも?」

「ええ! 宿で働く者であれば誰しもがお二人を、“新婚ほやほやラッブラブ夫婦♡”として認識できる優れものなのでございまする!」

「とんでもない技術を無駄に結集させないでちょうだい!」


 声を荒げるヒト族の剣幕など、おそらく数百年を生きるだろう女将には取るに足らないものらしい。しかしこちらの意見を全く受け付けないわけではないらしく、女将はややシュンとしつつ小さな箱を取り出して提案した。


「じゃ、じゃあせめて、この揃いの首輪を。下界では“ちょーかー”とか呼ばれて、もてはやされているのだとか」

「なにか苦い記憶を彷彿とさせる品だな……。それは勘弁願いたい」


 細かな装飾は違えど、その首用のアクセサリーはフィールーンたち全員の記憶を刺激した。なんだか喉が締め付けられる息苦しさを覚える。


 女将はチョーカーの箱を閉じ、がっくりと着物の肩を落として呟いた。


「どんな旅籠にとっても新婚夫婦のお客様というものは、もっとも嬉しいご縁なのでございまする」

「女将殿……」

「新しい人生の門出に、当施設を選んでいただけた喜び。それらは私どもにとって大変名誉なことですし、最上級のおもてなしをせねばと全員の身が締まるのでございますわ」

「そ、そうは仰いますが……! 自分と彼女はまだ――」

「お二人はどこからどう見てもでございます。これからヒト族の夫婦様をお迎えするに向けて運営を見直すには、だと直感いたしましたの」

「う……し、しかし」

「けれど、私のまなこが曇っていたのやもしれませぬ。もちろん、無理強いはしませぬので」

「やるわ!」


 哀れな様子の女将の前にずいっと歩み出たのはエルシーだ。まだ頬を上気させたままの少女は、呆気にとられているリクスン、そしてフィールーンたちを見回して宣言する。


「そこまでお願いされちゃ断れないじゃない。やるわよ、“新婚夫婦”!」

「ホワード妹!? 何を」

「だって、皆――あなたの主君だって、与えられた仕事をこなすのよ。あたしたちだけわがまま言えないでしょ」

「うッ!」


 側付の顔色がさっと白み、フィールーンを見る。次いで王女と同じ仕事着をまとった木こりや、客の格好をした仲間たちをバツの悪そうな顔で眺めた。


「それは、そうかもしれんが」

「じゃあ何。そんなにあたしと“夫婦”になるのが嫌ってわけ?」

「なっ――!」

「こんなの、ただのごっこじゃない。サラッとお役目を果たして、のんびりさせてもらおうじゃないの。たしかにあなたの身体には湯治が必要だし、そのついでってコトで」

「むう……わかった。そういうことならば」


 覚悟を決めた表情になったリクスンが、迷うことなくフィールーンの前に立つ。律儀な臣下はいつものように膝をつこうとしたが、それでは着物が乱れることに気づいたのか深く礼をするに止めながら言った。


「姫様。この特別任務を終えるまで、しばしお側を離れる許しを得たく」

「はい! 私は大丈夫です。頑張ってくださいね、リン」

「が、頑張るとは……」

「ああ、嬉しゅうございまする! もちろん、旅籠内での身の安全は保障いたしますわ」


 心の底から安堵した様子の女将はふたたび尻尾を持ち上げ、一同を見回した。


「では改めまして皆様、当旅籠でのご活躍をお願い申し上げまする」

「あのぉ、ちょっといいっすか?」

「はい、何でも」


 茶菓子のかけらを頬につけたままのタルトトが手を挙げる。仕事用のニコニコとした笑みを貼り付け、小さな商人は手を擦り合わせて問うた。


「商人ってえのは、“万が一”のハナシまで詰めとかなきゃ安心できねぇ生き物でしてね」

「さすが、賢明でいらっしゃる」

「んふふ。それで、あっしらがもしそちらさんのお役に立てなかったと判断された場合――お宿代のほうは、いかほど請求されるんでしょう?」

「まあ、そんなご心配を。かしこまりました、概算いたしますのでお待ちくださいませ」


 可笑しそうに口元を歪ませた女将だったが、胸元から取り出した鈴をチリンと鳴らした。すぐさま文道具を持った従者が飛んでくる。女将はそこにサラサラと淀みなく筆を走らせた。


「ウールワナから神秘郷まで、六名さまと馬、それに荷が少々。毎日のお食事とお部屋のお代金、それにヒト族への配慮諸々を考慮しまして――このくらいのお値段になりまするかと」

「ふーむ! どれど――れええええええ!?!?」


 紙面を覗き込んだタルトトが、文字通り盛大にひっくり返った。続いて「大袈裟だねえタルちゃんは」と言いながらのんびり歩いてきたアーガントリウスも、概算書に目を落とす。褐色の肌が珍しくサッと蒼ざめた。


「ち、ちょっと女将。俺っちの記憶より、ずいぶん値上がりしたみたいだけど」

「仕方のうございますよ、竜先生。雲の上にだって、不景気ってものがありまする。うちの従業員たちはよく食べますし、舟を支える“雲水晶”も最近では値上がりしましたの」

「ややや、ヤバいっすよ。こんな額を支払っちゃ新しい装備どころか、あっしらみんな素っ裸で神秘郷入り確定でやんす!」

「!?」


 一行の懐を預かる商人がそう叫ぶのを聞き、フィールーンたちは顔を見合わせた。払えなくはないが、ほとんどの財産を失うに匹敵する額なのは間違いない。


「申し訳ないでやんすが、い、今からお暇するって選択肢は……?」

「大森林には着陸できる場所がありませぬゆえ、その次のタダピローイ高原にてお降ろしするかたちになりまするが……」

「くぅ、だいぶ距離を稼いじまう。たとえこの何分のイチの金額だったとしても、宿代にしちゃ大赤字でやんす」

「よっし。全員、状況はちゃんと呑み込めたね?」


 頭を抱えている商人のとなりで、知恵竜が静かに立ち上がる。同時に、手にした宿代の概算書が赤く輝き、ぼっと音を立てて燃え上がった。



「俺っちたちがこの先もに旅を続けられるよう、ここでは懸命に働こうじゃないの。各自しっかりと“配役”をこなすこと――いいね?」



***

あとがき的近況ノート:

https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16817330652809970586


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